第101話 魔帝アムシャテリス
「カトゥヌスに人間か……」
「オレの息子だ」
父であるカトゥヌスがそう言うと、魔帝アムシャテリスがフッと鼻で笑った。
そして父の頭に乗る自分へと赤い瞳が向けられる。
ユーゴによく似たその瞳の奥は、驚くほど冷たくて生気を感じない。
ゾクっと背筋が寒くなるが、それを振り払う為に、己を鼓舞する為に、ベルトマーは大剣を肩に担ぐ。
「狼の神獣の子ベルトマー。てめぇを倒す男の名だ」
堂々と宣言する。
父であるカトゥヌスから話は全て聞いた。
神獣の子を育てた理由も、自分たちの選択肢も、そしてユーゴの運命も。
それらを全て聞いたベルトマーの答えは、相手が奇襲を仕掛けて来たら、『その場で倒す』だった。
「急いではいけませんよ。狼の神獣の子」
海面に立つカトゥヌスの横から、人魚の神獣が水面に顔を出した。
濡れた蒼い髪と額についた丸い宝石が光を反射して輝いている。
人魚の国に来た自分たちが暴れるつもりだと聞いた彼女は、暴れても周りに被害を及ぼさない場所を用意してくれた。
彼女自身も魔帝のことで確かめたいことがあるらしい。
「久しぶりだな。ユスティア」
「ええ。ホントですね。魔帝アムシャテリス」
「神獣と呼ばれ、下等な人間に神と崇められるのは気分がいいか?」
「悪くないですよ。だけど昔は貴方だって優しかった。でも変わってしまった……神界から追放され、暴君となった貴方を止める為に私たちは人間側についた」
魔帝アムシャテリスが口端を吊り上げる。
無表情なら何を考えているか分からない程、生気の感じない表情が一気に鮮やかになる。
「愚かだな」
そう短く返した魔帝が動く。
一歩踏み込み、こちらとの距離を潰して来た。
「ベルトマー!」
「おうよ!」
父親である狼の神獣の合図。
ベルトマーは足に魔力を流し、高く飛んだ。
魔帝はカトゥヌスの首に狙いを定めている。
(親父しか視界に入っていないのなら!)
魔帝にとって自分は気にする必要のないただの人間だ。
意識の殆どは父であるカトゥヌスへと向いている。
隙を見つけるのは容易かった。
手に握る大剣に魔力を流し、魔帝に向けて振る。
巨大化した茶色の斬撃が海面に直撃して、巨大な水しぶきが昇った。
「面白い人間がいるもんだ」
魔帝の声。
水しぶきの中から全身ずぶ濡れの魔帝が見えた。
傷一つ付いていない相手に舌打ち。
簡単な相手でないことは承知していたが、実際に無傷だとショックである。
「オレの息子は大したもんだろ!?」
カトゥヌスがパカっと口を開けた。
口の中で茶色い魔力が渦巻き、球体が生成される。
その球体が形を織りなし、一つの大剣となった。
柄も装飾も無く握りと刀身だけの大剣をカトゥヌスがグッと口に咥える。
そして首を動かして魔帝に向けて一振り。
神獣が生成した巨大な魔力剣を魔帝は片手受け止めた。
人間と大きさの変わらない魔帝には、かなり巨大な大剣だが、相手は涼しい顔で海面に立っている。
「やるじゃねぇか」
「力押しで我を倒せるとでも? 貴様は相変わらず単純だ」
魔帝アムシャテリスがそう返すと、相手の足元にある海面がボコボコと音をたてる。
人魚の神獣が指を鳴らすと、その水が相手の身体を包んだ。
堅牢な水の牢屋。
カトゥヌスが大きくバックステップして、魔帝との距離を空ける。
そして大剣を加えたまま叫んだ。
「いけ! ベルトマー!」
海面に着地した自分への言葉。
足裏に魔力を集め、海面を力強く蹴った。
相手の魔帝は動くことが出来ない。
普段は当たらない大振りの攻撃も、今なら当てることが出来るはずだ。
「うおおお!!」
力強く。
渾身の力でベルトマーが大剣を振り降ろした。
堅牢な水の牢屋すらも簡単に切り裂き、魔帝の肩に大剣がめり込む。
しかしめり込むだけで、肩から先はビクともしない。
「てめぇ……何で身体出来てんだっ」
「さぁな? 牢屋をわざわざ壊してくれて助かったぞ」
魔帝の右手が動いた。
しかしそれを認識したと同時に衝撃。
顎を殴られて気がついたら天を仰いでいた。
「くそっ」
そう吐き捨てて、空中で体勢を立て直す。
海面に着地して、口端から垂れていた血を拭う。
「やるじゃねぇか」
そう言って顔を上げると魔帝が自分を殴った腕を気にしている。
よく見ると自分を殴ったであろう、右腕の肘から先の白い肌にヒビが入っていた。
「肉体は回復していないようね」
魔帝を挑発したユスティアが再び指を鳴らす。
同時に彼女の周りに水の槍が無数に生成された。
右手を軽く振ると水の槍が魔帝へと伸びていく。
「少し興が乗っただけだ」
魔帝が左手から結界を展開。
白濁色の壁で水の槍を防いだ。
「なら! 今ここで肉体を破壊する! 昔と同じようにな!!」
その巨大な体躯からは想像もつかない程の俊敏さで、カトゥヌスが魔帝の背後に回り込む。
そして口に咥えた大剣を首の動きに合わせて振り降ろす。
魔帝がひび割れた右腕でその大剣を掴んだ。
しかしカトゥヌスの圧力に耐えられない右腕のヒビが、徐々に大きくなる。
そして右腕が砕け散り、肘から先が失われた。
消滅した部分から出て来たのは白い光の粒子。
どうやら身体の構造までも、普通の生物とは違うらしい。
「やれ!」
カトゥヌスの言葉と同時に、ベルトマーが込められる渾身の魔力で斬撃を飛ばす。
力強く水平に振られた剣から放たれた魔力の塊が、魔帝の身体に直撃した。
空高く昇る水の柱。
その柱が収まる頃には、魔帝の姿は無かった。
「意外と呆気なかったな」
ベルトマーはそう呟き、大剣を背中に戻す。
神獣の子と神獣二体の連携ならばそれも当然かと思う。
それに魔帝の手口は、過去の戦闘からこちらに筒抜けだ。
そして向こうには神獣の子に関する情報はない。
その意味で意味では、こちらが有利に立てたと言うのも事実だ。
「舐められたものだ」
上から魔帝の声。
ベルトマーが顔を上げると白い輝きを放つ、魔帝アムシャテリスの姿があった。
失われたはずの右腕も回復しており、身体には傷一つない。
「面白れぇ……」
ベルトマーは笑みを浮かべ、大剣を手に取った。
どうゆう理屈か分からないが、相手は身体を再生させる術を持っているらしい。
「やめなさい。狼の神獣の子」
人魚の神獣がそれを制する。
思わぬ注意に彼女をギロッと睨む。
まだ自分はやれる。
元々神獣二体と共同作戦というのも不満だった。
父の説得で渋々承諾したが、戦えるのなら一対一がいい。
ユスティアに戦う気がないのなら、自分一人で倒す。
「俺様に命令すんじゃねぇよ!」
大剣を背中から抜き、海面を力強く蹴る。
まずは距離を詰めて、そこからジャンプしようとグッと膝を曲げた時だった。
(なんだ……)
背中に走ったのは悪寒。
ゾクっと背筋が凍る。
それは漠然ではなく、ハッキリとしたイメージ。
――自分が殺される姿がハッキリ想像できた
「さっきまでの威勢はどうした?」
宙に浮かぶ魔帝が冷たい目でこちらを見下ろす。
言葉で言い表す事のできない威圧感。
ひたすら戦いに没頭して来た自分にはわかる。
(こいつ……次元が違う……)
底知れぬ強さ。
それを自分の勘が告げる。
人間が神獣の子を見る時はこんな気分なんだろうと勝手に思った。
「やっぱり、魂までは傷つかねぇのか」
父の言葉に魔帝が鼻で笑う。
「アザテオトル不在で傷つけられるとでも?」
「肉体が万全ではないのに、『最果ての地』から出て来た貴方が言うことですか?」
海と空で睨みあう人魚の神獣と魔帝。
間に漂う空気は険悪そのものだ。
「昔も今も同じことだ。貴様ら神獣は竜の神獣頼り……そしてあの赤い竜も我の魂を完全には破壊できなかった。勝ち目はない。絶望して滅びろ」
父から話は聞いたことがあった。
神獣たちの中でも竜の神獣は最強と称されている。
特異な能力を持ち、飛びぬけた戦闘能力を持つ神獣たちが仮に戦ったとすれば、相性などもあるから、優劣は簡単にはつけられない。
ただしその関係性は、竜の神獣のある能力で簡単に崩れる。
それは赤い竜にのみ許された絶対の力。
遥か昔に起こった魔帝軍との戦いで、神獣たちは魔帝アムシャテリスの身体を破壊することで倒そうとした。
しかし魔帝アムシャテリスは、内蔵した魂から力を引き出している。
その魂を完全に破壊しない限り、魔帝の身体は何度でも復活する。
魔帝に創造された神獣たちでは、上位神である魔帝の魂を破壊することは出来ない。
ただし魂だけの状態だと、魔帝のこの世界での活動時間は限定される。
かと言って、魔帝の身体の回復は数か月で元通り。
終わりの無い戦争は、消耗する一方だった。
絶望が人々の心を支配する直前、覚醒したアザテオトルの力でなんとか魂の一部を傷つけることに成功。
そのまま『最果ての地』に封印した。
完全に破壊しない限り、魔帝は復活すると神獣たちは確信していた。
どれくらい時間があるのかは分からない。
だけどいつかは再び戦うことになる。
そのための準備は進めてきたつもりだった。
ギルドの創設、騎士団の設立、魔術学院の開校。
予想外だったのは、人間やエルフ、それに獣人たちがそれぞれで国を創ったことだった。
魔帝を倒す為に準備した戦力は、互いの戦争に使われ、傷つけあうだけになった。
そこで神獣たちは別の策を講じる。
――それが神獣の子
ただし魔帝を倒すだけだと、再び戦争の道具になるかもしれない。
人間の欲望は果てしなく深い。
だから神獣たちは意志を子供たちに託すことにした。
自分たちと同じ道を進むのか、それとも人間を切り捨てるのか。
そして二十年前。
魔帝の復活を感知した神獣たちは一堂に会して、神獣の子を育てる決意をした。
それからは各自で動き、準備に費やした。
魔帝を倒す。その為だけに。
「最果ての地にて貴様らを待つ。もちろん……辿り着ければだがな」
魔帝がそう言い残し消えた。
それは宣戦布告。
本格的な戦争の始まりだ。
(チッ。めんどくせぇ)
舌打ちをしたベルトマーは大剣を再び背中に戻した。
一人では勝てそうにない。
その事実に、今は無性に腹が立った。