詩織Side 第一話 婚約者
今回からしばらく、詩織ちゃん目線で第一話から書きます。
由紀目線では見ることができなかった詩織ちゃんの話をお楽しみください。
小学1年生の春わたしは、伯母が学園長を務める栞ノ宮学園に首席で入学した。
その頃は、まだ小学1年生とあってか『士堯院』という名前を聞いても、誰も関心を持っていなかった。
それこそ、水族館のクラゲさんの方がまだ関心を持たれていただろう。
でも、そんなのは同学年の人だけの話で、上級生や、ある程度知識がある人たちは『士堯院』の名前を聞くと、理由をつけて近寄ってきた。
けれど、当時から感情を表に出すことが苦手だったわたしは「愛想がない」と言われることも多くあった。
学年を上がると、ついには同学年以外の人たちも近寄ってくるようになり始めた。
中には、わたしの興味を惹こうとイタズラしてくる人も出てくるしまつ。
そして小学3年生のある日、その事件は起きてしまった。
朝のホームが終わると、他学年、他クラスの子が男子女子関係なく流れ込んできた。
おかげで教室内はパニックになり、怪我人まで出る始末。
こんなのは、動物園のパンダさんと何も変わらない。
いえ、怪我人を出さない分パンダさんの方がよほどマシだと思う。
わたしのキス衝動が大きくなったのは、ちょうどその時だった。
初めて味わう感覚に恐怖を覚えたが、相談できる友達もわたしにはいなかったので誰にも相談することができなかった。
そこで、わたしは伯母であり、この学園の学園長でもある士堯院麗香さんに相談することにした。
「なんだ?珍しいじゃないか詩織がここに来るとは」
学園長はとても綺麗で、カッコイイお姉さん。
しかし、そろそろ『お姉さん』と言うのは難しくなるなる年齢に差し掛かってきている。
わたしは麗香さんに、自分の抱えている変な感覚について話してみた。それに過去の話も付け足して。
それを聞いた麗香さんは、
「よし、わかった。では私が相手になってやろう。女同士のキスはノーカウントだ。いつか来るであろう婚約者のために、わたしがしばらくは代役を務めよう」
と快く受け入れてくれた。
麗香さんは口調は悪いけれど、基本的いい人だ。
それと、わたしには婚約者がいるらしい。
これを話されたのは、小学校に入学してすぐだった。
でもこの時のわたしは、今までの環境から男の人のことを信用できなくなっていた。
それこそ、「男の人を信用するくらいなら、人食いワニさんを信用した方がマシだ」というくらいに。
そして小学5年生の春、わたしは『坂井由紀』という人に出会った。
詩織side:第一話〜
今日、この屋敷にわたしの婚約者が来るらしい。
わたしは数時間前、その事実をお父様から聞かされた。
相手はわたしよりも6つ上の人で、お父様の高校時代からの友人の息子さんだそうだ。
しかし、自分で言うのも可笑しな話だけれど、わたしは不信症です。
身内以外と話す時は、いつも不安で仕方がない。
約束の時間は午後3時。
まだ2時間近くも残っている。
わたしはリビングでくつろぎながら、テレビを観ることにした。
平日の昼間の番組は、たいてい子供にとってつまらないものしかやっていない。
現に今も、昼の泥沼ドラマや、芸人たちが喜劇を繰り広げたりしている。
その中からわたしは、10分クッキングにチャンネルを決めた。ポーっと眺めていると、緊急ニュースが始まりまった。
『ただいま、銀行に強盗団が立て籠もっているようです________』
うちの近くで銀行強盗があったようだ。
でも、なんでこの人たちは銀行を襲おうと思ったのだろう?
強盗に入りための武器を買うお金があるのなら、それを食費に充てるだけで随分と変わってくるはず。なのに、この人たちはお金を稼ぐために、逆にお金を無駄使いをしている。
それに、立て籠もったのも判断ミス愚策だ。
立て籠もりは、やるだけ愚かなことだとわたしは思っている。
実際、立て籠もりが成功した例をわたしは見たことがない。
銀行強盗なんて、犯人は逮捕され、人質は時間を無駄に取られ、警察も働かなければいけない。
立て籠もりのどこにいいところがあるのだろうか?
少し考えれば簡単に分かる話なのに、そんなことも分からない人はおバカさんだと思う。小学生のわたしですら分かることなのだから。
それを思うと、やっぱり大人はおバカさんばかりなのだ。
そして予想通り、犯人5人の内4人が突入で取り押さえられた。
わたしは心の中で「おバカ」と笑いながら、最後の1人が取り押さえられるのを待っていた。
でも、一向に出てくる気配がない。
人質はさっき解放されたので、あとは取り押さえるだけのはずが、誰も銀行から出てこないのだった。
すると中から男の声で、
『いいかお前ら!少しでも妙なことしてみろ!こいつを撃ち殺すぞ!』
外のマイクが拾えるくらいの大声が聞こえた。
どうやら、逃げ遅れた人質がいるようだ。
なんて間抜けな……。
人質を批判していると、見るからに高級な、黒い車が現場に到着した。
おそらくは、犯人が要求した逃走車両でだろう。
これで残る要求は2つに減ったわけだけれど、ここでまた、銀行内から大声が聞こえてきた。
『うるせぇ!黙ってろ!殺すぞ!』
それは警察以外の誰かに向けた声だった。
これはわたしの予想では、人質になった人が犯人になにかを言ったのだろう。
命知らずのバカな人なのだろうか?
だけど、わたしはそういう人は嫌いではない。むしろ、自分の力で問題を解決しようとする姿は、どれだけ無様でも美しいと思う。
そしてまたすぐのように硬直状態に入った。
しかしこの硬直状態はすぐに解かれることになる。
人質の男の人が急に意識を失った。
それに困惑した犯人は、足手纏いと判断してか人質を放り捨てて車へと走って行く。
しかし車は一向に進む気配がなく、逃げ場を失った犯人さんは呆気なく捕まってしまった。
そして中継は終了した。
さて、事件も1段落したようだし、わたしも勉強しないといけない。
春休み明けは実力テストがあるのだ。
わたしはきたる実力テストに向けて、部屋で算数の勉強をすることにした。
3時を少し過ぎたところで、部屋の扉がいきなり開いた。
「紹介しよう。あの子が我が愛娘の士堯院詩織。君の婚約者だよ」
そこにはお父様となおさんと見慣れない男の人が立っていた。
………あれ?この人どこかで見たような…?
そんな事よりもお父様が連れて来たという事はこの人が坂井さんなのだろう。
お父様に紹介されて、わたしは振り返り、わたしの婚約者である坂井由紀さんに挨拶する。
「しぎょういんしおりです。よろしくお願いします。お兄ちゃん」
婚約者のお兄ちゃんに向かって、わたしのできる最高の笑顔で微笑んだ。
しかし、坂井さんはわたしを見ると無言のままにドアを閉めてしまった。
「あぁ、詩織のあまりに可愛さに恥ずかしくなっちゃったんだな。全く、由紀くんもピュアだな〜」
はっはっは、と笑う前に、事情を説明してほしい。
なんの話もなしに突然連れて来るとはどういうつもりなんだろう?
着替えの最中だったらどうするつもりだったのか?
「そういえば、詩織には紹介まだだったな。彼が詩織の婚約者の坂井由紀くんだ」
お父様はなにごともなかったかのように言った。
『一目惚れ』という言葉がわたしは嫌いだった。
だって、『一目惚れ』というのはつまり、外見だけで人を判断しているということだから。
見た目のいい異性に一目で惹かれて、中身を確認することもなく勝手に運命を感じる。
そんなことは運命ではない。
そう思っていた。
でもわたしは今、その『一目惚れ』を体感している。
言い方を変えれば、運命を感ている。
坂井さんの顔を思い浮かべるだけで、顔に熱が登ってくるのが分かる。分かってしまう。
あの人と一緒に暮らせたら楽しいだろうな。
そんな事を知らず知らずのうちに考えていたわたしが、わたしですら怖くなる。
「恋は人生を変える」と誰かが言ったような気もするけど、確かにそれは本当のようだ。
こんなでは他人ひとのことを批難できない。
そこで不意に部屋の扉がノックされた。
このお部屋に来る人は限られている。
お母様が亡くなって以来、お父様とメイドの奈緒さんくらいしかここには来ない。
だからか、わたしは相手を確認することもなく扉を開けた。
そして固まった。
そこには、さっきまでわたしが想っていた人物、坂井さんがいたのだ。
坂井さんの顔をみままま、わたしは硬直してしまっていたけれど、ふと意識を取り戻して「はいって」と動揺がバレてしまわないように、早口で招き入れた。
お部屋にお父様と奈緒さん以外の人が来るのはいつぶりだろう。
もう何年も来ていないような気がする。
久しぶりのお客さんに少しテンパリながらも、とりあえずはテーブルを用意することにした。
丸い卓袱台のようなテーブルだ。
わたしのお部屋は奈緒さんが毎日掃除してくれている。
だから、何年も放置されていたテーブルも、埃が積もることはなかった。
う、重い……。
テーブルを持つと、意外と重かった。
だからと言ってお客さんである坂井さんに持ってもらうわけにもいかない。
そう思っていたのに、テーブルはあっさりと坂井さんに取られてしまった。それも無言で。
わたしはどうしてしまったのだろう?
たったこれだけのことで、胸のあたりがキューっとなってしまった。
テーブルを中央に置くと、坂井さんは確認するようにこちらを見た。
「ありがとうございます」
そう言うのがやっとだった。
それくらいにわたしの胸は苦しかった。
テーブルの前に座ると、わたしは坂井さんに正面に座るように促した。
こうしているとお見合いをしているようで、恥ずかしさが込み上げてきた。
それを隠すように、あるいはわたしが坂井さんに気があることに気付かれないようにわたしは至って冷静を装って口を開いた。
「どうしたのですか?お兄ちゃん」
「うん、取り敢えずその“お兄ちゃん”って言うのやめようか?」
奈緒さんに教えてもらった事を実践してみたのだけど、坂井さんはお気に召さなかった様子だ。
「む?こう言えば年上の男の人はよろこぶと聞いていたのですが…」
「誰だ小学生にそんな事吹き込んだのは!」
「なおさんです」
「 なおさん?」
「ウチで雇っているメイドさんです」
奈緒さんはとても優秀なメイドさんで、わたしのとっては少し歳の離れたお姉ちゃんのような人物だ。
「よりにもよって!?何してるんだよメイドぉ!?」
「『メイドの嗜みです』だそうです」
「それはダメなメイドの嗜みだ!」
「なおさんはゆうのうですよ」
坂井さんの奈緒さんを侮辱するような物言いにムッとする。
いくら坂井さんでも奈緒さんをバカにするのは許せなかった。
「ごめんね?そういう意味じゃないから」
じゃあどういう意味なのだろう?
しかしその疑問が解明される事はなかった。
「えっと、ちょっと話しいいかな?」
話?そういえば坂井さんは何の用で来たのだろう?
「もちろんです。さかいさんも何か用事があったんですよね?」
「うん、詩織ちゃんは今回の話をどう思ってるのかなって思って」
「こんかいのこと?」
それはやっぱり婚約者の件についてだと思う。
でも、「どう思う?」とはどういう意味なのだろう?
そんなわたしの心をどう読み取ったのか、「ほら、婚約者の話」と補足した。
そこでわたしは坂井さんの真意を悟った。
きっと坂井さんは、わたしが婚約者の話に不満を持っているのではないかと心配してくれているのだろう。
だからわたしは、
「わたしには不満はありませんよ?前から聞いてましたし」
と答えた。
実際不満はない。
むしろわたしは、坂井さんを離したくないと考えている。
「いや、でも全く知らない人と結婚しないといけないんだよ?嫌じゃなかったの?」
それでも坂井さんは確認してきます。
確かに一生を決める大事なこと。それを考えるとここまで真剣に考えるのは普通だと思う。
だからわたしもずっと思っていたことを打ち明けることにした。
「確かに不安はありました。でも、今日さかいさんに会ってその不安もなくなりました。さかいさんはわたしではふふくですか?」
不服とわたしの中ではちゃんと言えたのだけれど、どうしても平仮名になってしまう。
いや、今はそんなことよりも坂井さんの返事が気になる。
ここでもしも「嫌だ」と言われたらどうしようかと、さっきまでの自分の態度を反省していくと不安が募ってきた。
しかし坂井さんは「不服じゃないよ」と言ってくれた。
小躍りしたくなる気持ちを抑えていると、坂井さんは続けた。
「でもさ、年齢的に言えばまずくないかな?詩織ちゃんは何歳だっけ?」
その質問で、初めて坂井さんが何度も確認してきた意味がわかった。
坂井さんはわたしと自分の年齢差という問題を見据えて何度も確認してきていたのだった。
でもわたしは、そんなもの気にして欲しくなくて、
「小学5年生で、10歳です。でも、ねんれいなんて時間がたてばかいけつします。のーぷろぶれむ、です」
解決方法を提示した。
そしてわたしは、もしかしたら人生初のワガママを坂井さんにぶつけた。
「だから、わたしが追いつくまで待っていてください」
恥ずかしかったけれど、わたしは心からの笑顔を坂井さんに向けたのだ