奈緒さんと僕
奈緒さんの来訪で我が家の両親は完全に歓迎ムードになっていた。
夕飯もいつもより豪勢になり、食卓も明るい雰囲気になると予想されたのだが…。
「奈結様のご機嫌が優れないようですね」
「いや、あれはいつもの事だから気にしなくてもいいぞ?それよりも僕が気になるのは、どうしてアンタが僕の部屋に居るのかって事なんだけど」
「あぁ、そういえば説明していませんでしたね。今日よりわたくしが帰るまでの間流石に何もしないで居候させて頂くのは申し訳ありませんでしたので、それまでわたくしは由紀様専属のメイドとして働かせて頂きます」
なん…だとっ!?
奈緒さんが…あの悪魔のような女が僕専属もメイド…だと!?
背筋に冷たい物が走る。
「いっ、要らない!僕みたいな庶民にメイドなんて要らない!」
「そんな事はございません。近く将来、わたくしは由紀様に仕える羽目になるのです。その予行演習だと思えばわたくしも耐えられます」
「お前の都合かよ!」
「むしろわたくしが由紀様の御都合で動くとお思いで?」
そうだよ!思わないよ!
アンタはそういう人間だからな!
「えぇ、わたくしはどうやら由紀様にとって悪魔のようですから」
クッソ!やっぱりこの人やりずらい。
一々人の心を読んでくるなよ!
「それは嫌です。わたくし、由紀様の嫌がる事をするのが生き甲斐でありまして…」
「そんな生き甲斐捨ててしまえ!」
「嫌ですわ…それでは由紀様はわたくしに死ねと仰るのですか?」
「そこまでは言っていないわ!」
他にもっといい生き甲斐を探せよって事だよ。
「そういえば詩織ちゃんが荒れたって言ってたけど、やっぱり怒ってた?」
「それはもう…」
う〜ん、やっぱり一言くらい言ってくるべきだったか?
いやそれだと事は上手く進まなかっただろう。
「そうですね、もしもお嬢様が事前に由紀様が出て行く事を知っていればお嬢様はなんとしても止めたでしょう。それこそわたくしも由紀様を裏切る必要が出てきたでしょうね」
怖っ!?
やっぱりこのメイド怖いよ!
早く帰ってくれないかしら?
「そう邪険になさらないで下さいませ。先程はお伝えしたようにここに居る間わたくしは由紀様の忠実なメイドなのです。今のところはわたくしから由紀様に危害を加え予定も裏切る予定も御座いません」
「なにその不穏な言い方。まるでその内危害を加えて裏切るみたいじゃないか?」
「場合によってはそういう事だって有り得るのではないでしょうか?」
嫌だなぁ。
こんないつ爆発するかも分からない爆弾を手元に置いておくなんて絶対に嫌だなぁ。
ホント早く帰ってくれないかな?
「いえいえ、わたくしが由紀様のお側に御仕えするのは由紀様にとってもそこまで悪い話ではありませんよ?」
「……例えば?」
「美人で有能なメイドをこれ見よがしに自慢して街を歩く事ができます。やりましたね、これで由紀様は今後街中の嫉妬の的ですよ」
「嬉しくない!ちっとも嬉しくない!っていうかお前今自分で美人とか有能とか言ったか?」
「えぇ、事実ですから」
なんて自信。
でも悔しいけど確かにこの人は性格最悪という一点を除けばその通りだ。
悔しいけど!
「ふふん」
「その勝ち誇ったような、それでいて人を嘲笑うような顔をやめろ。超ムカつく」
普段全く表情筋を動かさない癖に…。
「それはさて置き由紀様。こちらに帰って来てどうですか?」
「どうってなんだよ?」
「いえ、1ヶ月開けている内に御友人から存在を忘れられていなかったかと_______」
「いなかったよ!悪かったな!」
「そうですか…」
「そこであからさまに残念そうな顔をするな」
「全く由紀様といると無駄な力を使うから嫌ですね。由紀様はわたくしの表情筋を潰す気ですか?」
お前が勝手にやってるんじゃないか!
あぁ、僕の平穏な生活は一体どこへ行ってしまったのだろう…。
今朝までは確かにそこにあったのに…。
「だからこそ人はその瞬間瞬間を大切にして生きる必要があるのです。大事なものというのはいつだって失って初めて気付くものですから。あまり過去に縋っていては大成できませんよ?過去は過去と受け入れ、現実と向き合って初めて大人になるのです。失った物を思って泣くだけではいつまで経っても子供のまま成長は出来ません」
「……なんなの?なにいきなりちょっといい感じに語り始めてるの?知ってるよ、そんな事知ってるよ。アンタに言われるまでもなくみんな解ってるから」
「ふふふ、“知っている” のと “解っている” のとでは天と地ほどの差があるのですよ?」
なにを言ってるんだこの女。
一々よく分からない事ばかり言う。
「それでどうですか?お嬢様を裏切ってまで帰って来たこの街は」
「言い方に悪意しか感じねぇよ。別になにも変わらないよ。奏美がいて、凪がいて、鈴菜がいて、海斗がいる。そう…なにも変わらない」
なにも変わらないはずだった。
そのはずだったのに、そこには僕の代わりにアイリスがいた。
どこかの国のお姫様。
アイリス・御白・クライアス。
「ほぅ、クライアスの第6王女が婿探しに日本へ留学しているとは聞いていましたが、まさかそれがこの街だとは思いませんでした」
「アンタ知ってるのか?」
「えぇもちろん。噂はよく耳にしております。クライアス皇国はわたくしも何度か旦那様と赴いた事がございます。確か西の外れにある小さな島の独立国家だったかと」
「国名そのままじゃん!」
奏美、お前なんでそれが覚えられなかったんだ…。
「そしてアイリス・御白・クライアスという少女の母親は確か日本人だったと記憶しています。名前は確か御白陽菜。職業は考古学者で、クライアス皇国にある遺跡の調査の際に現実国王であるヨセフ・クライアス王に見初められその側室となったそうです」
「僕はなんでアンタがそこまで知っているのかが1番怖いよ」
「このくらいメイドを勤めるのであれば一般常識でございます」
「やだなぁ、他のご家庭の家庭事情まで知ってるメイドとか嫌だなぁ」
「あら?しかし最初に知りたいと仰られたのは由紀様では?」
「言ってない。僕は知ってるのかって聞いただけで、知りたいとは言ってない」
「それは屁理屈というものですよ?」
だったらアンタのはこじつけだ。
「ですがあそこでわたくしが知っていると言い、その続きを話さなければ由紀様もお訊ねになられたのでは?」
「それは…」
それは否定しきれない。
というか絶対聞いていた。
僕の事はなんでもお見通しかよ。
つくづく苦手な女だ。
「しかしおかしいいですね…」
「おかしい?なにが?」
「いえ、確か御白陽菜様の御息女はもう1方いらっしゃったはずです。そう…アイリス様の双子の妹君が」
「だとなんだよ?」
「数が合わないのです。クライアス家が御白陽菜様を側室に迎える前、クライアス家の御子息御息女は5名しかいらっしゃらなかったと母から聞いています。しかし今クライアス家にいらっしゃるのはアイリス様を合わせて6名。では、この双子の妹君はどこへお行かれになったのか…と」
「それは……そうだな。どういう事なんだ?」
「考えられる可能性としては、どこかの貴族に養子に出されたか生後間もなく御病気でお亡くなりになられたかですが、もしかしたらもっと最悪の事態もあるかもしれません」
「もっと最悪な事態?」
「………いえ、これ以上はやめておきましょう」
「は!?」
なんだよ!
こんだけ期待させといて肩透かしかよ!
「これはあくまで推測の域を出ません。そんな話を人にするべきではありません。ただ______」
「ただ?」
「どうしてアイリス様はこの街に留学して来たのでしょうか?婿探しと言うのなら別にこの街でなくてもいいですし、もっと言うのであれば栞宮学園の方が金持ちの御子息だっていらっしゃいます。それを敢えて庶民ばかりのこの街にいらっしゃった訳。そして消えた妹君。ここまでヒントを言えばいくら鶏頭の由紀様でも推測くらいはできましょう」
いやごめん、なにが言いたいのか分からない。
「えぇ、分からないのならそれでいいです。正直わたくしも言っていてこじつけが過ぎると思っていたくらいですから。ただもしもわたくしの予想が当たっていたとして、その目的でアイリス様がこの街にいらっしゃったと言うのであれば由紀様」
「なんだよ?」
「由紀様の周りは今後荒れるでしょうね。それもお嬢様が誘拐された時とは比べ物にならないほどに」
そう言って奈緒さんは不敵に笑う。
なんだよその意味深な言い方。
1人で納得してるんじゃねぇよ。
「大丈夫です。これはあくまでわたくしの妄想。きっと単純に養子に出されただけでしょう。貴族間ではよくある話みたいですし。そういうわけでこの話はここで区切らせて頂きます。もしも真相が気になると言われるのであれば、本人に直接確かめてみるのもいいのではないでしょうか?しかしその前によく考えて下さいませ。それを聞くという事は由紀様はクライアス皇国の問題に首を突っ込むことになるかもしれないという事を」
「………」
「忠告は致しましたからね?」
そう言うと奈緒さんは立ち上がり部屋を出て行ってしまった。
そうだ、最初僕は何度も思っていたじゃないか。
どうしてウチの学校に留学生、それもお姫様が来るのかって。
もしかしたら奈緒さんの言う通り本当になにかあるのかもしれないし、ないのかもしれない。
でも、こんな世界どころか日本中でさえ知れ渡っていない学校に一国の王女様が何の理由もなしにやって来るはずがない。きっとそこには意味があるはずだ
「奈緒さんにはああ言われたけど、明日聞いてみるか」
僕はスマホを取り出して奏美へメールを送る。
返信はすぐに帰ってきた。
『オッケーだって。なぁにぃ〜?もしかして由紀、アイリス狙い?』
『違う、少し聞きたい事があるだけだ』
『むふふぅ、そういう事にしといたげるよ。それで待ち合わせの場所なんだけど_______』
こうして僕は明日アイリスと会う約束を取り付けた。
やっぱり、持つべきものは友だった。




