婚約者2
「早速なんだけれど、詩織に会ってもらえないかな?」
「………はい」
ここでNOと言えるほど、僕の肝は据わっていない。
正直、婚約者というのは怖い。
何が怖いかといえば、既に結婚を決められているのに、その相手が残念な娘だったら、と考えると怖くて仕方ない。
さらに言えば、性格だってどんな性格をしているかもわからない。もしもタイプの娘じゃなかった場合、きっとうまくいかない。
大抵思春期の女子は、「キモい」、「ウザい」、「死ね」しか言わない。
会って早々、「誰それ?キモ」とか言われた日には立ち直れないと思う。
そういう意味では、幽霊や鬼よりも、婚約者の方が百万倍怖い。
そうして案内された場所では大きな扉が僕の行く先を塞いでいた。
できればこのまま塞いでいてもらいたいところだが、晃さん目を向けると、メイドさんはその扉を開けてしまった。
中では一人の女の子が机に向かって何かをしていた。
そう女子と言うより女の子という表現の方がしっくりくる。
身長が百三十あるかないかで、全く染められていない黒い髪の毛、机の横には真っ赤なカバンがぶら下がっている。
そう、真っ赤な________ランドセルが………。
「紹介しよう。あの子が我が愛娘の士尭院詩織で、君の婚約者だよ」
その紹介に合わせるかのように、少女、詩織ちゃんはこちらを振り向いた。
「しぎょういんしおりです。よろしくお願いします。お兄ちゃん」
あまりに現実離れした現実にとうとう僕の頭が思考することをやめ、その扉をそっと閉めた。
次の日、目が覚めた時僕はすべてが夢であったらと期待したが、そんな期待は晃さんが僕の様子を見にきたことで木っ端微塵になった。
そして、現実に絶望しながらも、メイドさんに声をかけて電話を使わせてもらった。
相手は当然、すべての元凶であろう人物だ。
「親父、どういうことか説明してくれる?」
『どういうって聞いての通りだが?』
あくまで反省のない声で帰ってくる。
『何が不満なんだ?詩織ちゃん可愛いだろ?婚約者になれて嬉しくないのか?』
「確かに可愛いよ!?可愛かったけど!でもさ、妹的な可愛さだったんだけど!」
どこからどう見ても幼い少女、幼女だだったが、詩織ちゃんは確かに非常に可愛かった。
しかし、まだ小学生だ。
十歳近く歳が離れているのだ。
ロリコン呼ばわりされたらどう責任を取るつもりなのだ?
「とにかく、小学生を婚約者にするって正気か?」
『別に五年もすれば普通に高校生の女の子だぞ?何か問題があるか?それに約束だからな』
「そうそれ!約束ってなんだよ?」
晃さんも言っていたが、約束とは一体なんのことなのか?
流石に晃さんに訊くのは悪い気がするので、父さんに訊くことにした。
『いや、約束っていっても大したことじゃないぞ?お互い子供が異性だったら結婚させようって言ったくらいだし』
「………よく分かったよ」
そう言うと電話の向こうから、「分かってくれたか!」と歓喜の声が聞こえてきたが、分かったのはそこじゃない。
「うちの父親はアホだってことがな!」
言いながら受話器を置いた。
本当のところは叩きつけたかったが、人様の物なので自重。
しかし、これでようやく次の行動が決まった。
まずは詩織ちゃんを味方につけよう。
扉を3回叩くと、内側から扉が開いた。
詩織ちゃんだった。
詩織ちゃんは無表情にじっと僕の顔を見ると、「はいって」と入れてくれた。
そのまま部屋の中央に案内されると、詩織ちゃんはどこからか丸いテーブルを一生懸命持ってきていた。
その姿はとても愛らしく見えたが、流石に小学生女子に重い物は運ばせられない。
僕は無言のまま詩織ちゃんからテーブルを受け取り(優しく奪った)、中央に置いた。
詩織ちゃんは僕の顔を見ると、「ありがとう」と言って、テーブルの前に座り、僕も促されるままに反対側に座った。
「どうしたのですか?お兄ちゃん」
「うん、取り敢えずその“お兄ちゃん”って言うのやめようか?」
「む?こう言えば年上の男の人はよろこぶと聞いていたのですが…」
「誰だ小学生にそんな事吹き込んだのは!」
「なおさんです」
「 なおさん?」
「ウチで雇っているメイドさんです」
「よりにもよって!?何してるんだよメイドぉ!?」
「『メイドの嗜みです』だそうです」
「それはダメなメイドの嗜みだ!」
「なおさんはゆうのうですよ」
「ごめんね?そういう意味じゃないから」
っと、本題を忘れてた。
とにかくその“なおさん”は警戒しておこう。
「えっと、ちょっと話しいいかな?」
「もちろんです。さかいさんも何か用事があったんですよね?」
「うん、詩織ちゃんは今回の話をどう思ってるのかなって思って」
「こんかいのこと?」
まだ、『今回』が指す物をちょっと理解していないらしく、ちょこんと首をかしげる。
「ほら、婚約者の話」
これは僕の予想だが、小学生とはいえ、やはり不満はあるだろう。
ならば、詩織ちゃんがこちら側についてくれる可能性は高い。
そして、本人同士が決めたのであれば、2人も納得せざるを得ない。
これが僕の立てた完璧な作戦だ。
「わたしには不満はありませんよ?昔から聞いてましたし」
「いや、でも全く知らない人と結婚しないといけないんだよ?嫌じゃなかったの?」
それに10歳ともなれば普通クラスに好きな男の1人や2人はいるものなのに…。
これがお金持ち特有の「親の言うことは絶対」ってやつだろうか?
「確かに不安はありました。でも、今日さかいさんに会ってその不安もなくなりました。さかいさんはわたしではふふくですか?」
それこそ「不安です」と言わんばかりの瞳で訴えられたら嫌とは言えない。でも、
「不服じゃないよ。でもさ、年齢的に言えばまずくないかな?詩織ちゃんは何歳だっけ?」
「小学校5年生で、10歳です」
ほらみろ、6年も離れてる。
「ねんれいなんて時間がたてばかいけつします。のーぷろぶれむ、です」
だから、と付け足して続ける。
「わたしが追いつくまで待っていてください」
相変わらずの無表情で、彼女は僕に言った。
その真意は僕には分からなかったが、説得に失敗した事だけははっきりと分かった。
僕は昨日のことを頭の中で整理していく。
詩織ちゃんを説得しようとして失敗した。以上。
………じゃなくて!なんでこうなった?
というか何が1番の誤算って、詩織ちゃんが思った以上に乗り気って事だ。
あの年頃の女の子ならもっと嫌がったりするものだろうし、正直“キモい”、“ロリコン”くらいの罵倒は受けるつもりだったのだけれど、むしろ「わたしが追いつくまで待っていてください」とポジティブな返事が返ってきてしまった。
あの子はあまり表情が出ないからその真意は読み取れない。
でもまあ……そういう事なんだろうなぁ…。
……っと、そんなことよりも早く準備しなければ遅刻してしまう。
僕は急いで制服に着替えようとして、その事実に気づいた。
「こっちの制服持ってない………」
初日で遅刻してしまう可能性を考えながら、それでもなんとかする方法を考えた。
取り敢えずは前の学校の制服を着るという方法もあるが、そもそもこれから行く学校について僕は何も知らない。
どうやって1人で登校すればいいのかすら分かっていない。
昨日散策範囲にも学校はいくつかあったが、そのどれでもない可能性もあるのだ。
いや、1つだけ方法はある。
晃さんならば、僕が行く学校のことも知っているはず。
ようやく見つけた突破口に向かって、無駄にでかい階段を降りていく。
そして晃さんの書斎、初めて通された部屋の扉をノックする。
が、一向に返事は返ってこない。
もう1度ノックする。
_____________無反応。
そこに、朝からご苦労様なメイドさんが横を通った。
「あの、晃さん知りませんか?」
「旦那様でしたら、今朝方ドイツへお出かけになりましたよ?1年はお戻りにならられないのではないでしょうか?」
……………は?
1瞬で頭が真っ白になった。
ドイツへお出かけ?
そんな簡単に?昨日の今日で?
ブルジョワか!?
………いや、ブルジョワか…。
父さんの親友だって事でなんとなく察してはいたが、やっぱりあの人もアホなのだろう。
「それと由紀様へ旦那様から伝言を預かっております」
「何ですか?」
僕の学校について何か言い残していったのかと思って訊いてみる。
「『詩織のことは任せたよ。あと、どうしても我慢できなくなったら、詩織は生理前だし別にヤるなとは言わないけれど、ほどほどにね』だそうです」
何をヤるの!?
というか、それは親の言葉か!?
それ以前にもっと他に言うべきことあるだろ!?
ダメだ。ツッコミが追いつかない。
これで確信した。
晃さんもやっぱりアホだった。
「では、わたしわたくしは詩織様を起こして参りますので、失礼します」
惚ける僕の横を、何事もなかったかのように通り過ぎていくメイドさん。
窓から見える空は、何が嬉しいのか、雲一つない青空だった。
「さかいさんの行く学校なら心配ありません。わたしと同じ学校です」
学校の問題は案外すんなりと解決した。
なんと小中高大一貫の学校で、詩織ちゃんと同じ敷地内だという。
しかしおかしな話だ。
そんな入学も難しそうな学校に、どうして僕は試験免除で入学できたのだろうか?
「栞ノ宮学園はわたしの伯母が理事長をやっています」
僕の思考を読んだかのように詩織ちゃんは言った。
だいたい察しはついた。
つまり、コネで転入できたわけね。
ドラマでよく聞く“裏口入学”だろう。
「制服は学校に用意してあるそうですから、どのようなふくそうでもいいそうです」
「………了解」
さっきから僕は詩織ちゃんを直視できないでいた。
原因は晃さんの伝言だ。
どんなに歳が離れていたとしても、可愛い女の子と1つ屋根の下であんなこと言われたら意識せずにはいられない。
「……今日のさかいさんは何かおかしいですね?さっきからわたしの顔を1度も見ませんし」
むしろ昨日までの僕ってそんなに詩織ちゃんの顔をジロジロと見ていたのだろうか?
……やめよう、想像して見たが完全に変態の図だった。
「いや、別にいつも通りだぞ?変なところは一つもないぞ?」
詩織ちゃんはジーっと僕の顔を眺めたあとで、
「なんでもないならいいです」
と話を切り上げた。
流石に、小学生相手に気不味くなったなんて口が裂けても言えない高校生だった。