詩織誘拐事件 解決
「ゆきさん……なおさん…」
そうだよね?普通バイクで突っ込んできたら驚くよね?
詩織ちゃんは僕と奈緒さんを丸い目で見ていた。
それはこの場にいた誘拐犯も同じらしく、今この瞬間この場の時間が止まっていた。
「由紀様、わたしくはこちらの刃物を持った臭そうな男性の相手を致します。由紀様はあちらの死にそうな男性の相手をお願いします」
「言い方!言い方がストレートすぎるんだよアンタは!」
まあ全くもってその通りなんだけどさ。
多分奈緒さんは奈緒さんで、アレで相当ブチ切れているんだろう。
せめてあの男の命が無事である事を願っておこう。
僕はただ、臭そうな男へ向かう奈緒さんの背中を眺めている事しか出来なかった。
「で、これを僕にどうしろって言うんだ?」
腹を刺されたのか、シャツを赤く染めて結構な量の血が流れている。
悪いけれど僕に止血の知識はないぞ?
「ゆきさん……」
詩織ちゃんが不安そうに僕を見る。
そんな目で見られてもね…?
ま、ここは順当に119だろう。
僕はスマホを取り出して電話をかけようとした。
その時、
「__やめてくれ!」
その腕を掴まれた。
「のざきさん?」
詩織ちゃんが意味ありげに男の名前を呼んだ。
なんとなく察していたけどこの男、あの男を裏切ったのか?
いや、今はそれよりも
「悪いけど僕には医療の知識は全く無いんだ。このままだとアンタ血の出し過ぎで死ぬぞ?」
「______構わない」
「のざきさん!」
「救急車なんて呼んだら金が掛かる……僕の家にそんな余裕はないんだ…。家族に迷惑はかけられない…」
家族に迷惑はかけられない……ね。
その言葉はなんとも______カンに触る。
「なにが今更家族に迷惑はかけられないだ?」
「ゆきさん…?」
「それ以前にこんな誘拐なんてやらかしてどれだけの人間に迷惑をかけた?どのみち誘拐をしたアンタは警察に捕まるんだよ。そうなったらその家族だって批判される。アンタはとっくに家族に迷惑をかけてるんだよ。それが今更1つ増えたってなにが変わるんだよ?え?」
「それは…でも……」
「アンタがどういう心境の変化であの男を裏切ったのかは知らないけど、僕にとっては詩織ちゃんを誘拐し、ひどい事をしようとした一味の1人に過ぎない。正直アンタなんかこのまま死ねばいいとすら思ってる。じゃあどうして自分を救けるのかって?僕が聞きたいよ。なんで僕はアンタみたいな男を救けようとしているのか自分で意味が分からない。でも、アンタに家族がいて、迷惑をかけたくないって思える人間ならせめて生きろよ。家族と同じ苦しみを味わいながら生きろよ。自分だけ死んで楽になりますなんて虫のいい事考えてんじゃねぇよ!」
……気不味い。
自分よりも何周りも歳上の人に説教垂れたうえに怒鳴ってしまった。
うわぁ…思い出すと結構生意気な事言ってるわ。
しかもすっごい痛々しい事ばっかり言ってる。
あんな事偉そうに言っておいてアレだけど、______死にてぇ…。
「……その通り…だな」
「ん?」
「君に言う通りだ。僕は多分死ぬ事で償おうと思っていた。でも君に気付かされたよ。僕はそうやって都合のいい事ばかり言って、ただ色々な責任から逃げようとしていただけなんだって。すまない。……救急車を呼んでくれないか?」
………嫌だなぁ。
すっごい嫌だなぁ。
なんだろう、こういう “絆されました” な展開僕すっごい嫌いだな…。
救急車呼ぶのやめようかな?
「あ、あのゆきさん、ありがとうございます」
詩織ちゃんのその言葉を聞いてやめることをやめた。
うん、こんな純真な子の前で僕はなにをやろうとしていたんだろうか。
ここは人助けの精神を見せてお手本になるのが『大人』の務めだろう。
僕はスマホを取り出すと、今度こそ119番をプッシュした。
通報を終え野崎さんの様子を見ると、彼は冷や汗を流しながらある一点を見続けていた。
その視線を追っていくと、彼が見ていたのは奈緒さんたちの方だった。
そう、ちょうど奈緒さんがおっさんにアッパーを喰らわせていた。
「お、俺が悪かった!悪かったからもうやめてくれぇ!」
「あら、やめて欲しいのですか?そうですね______」
奈緒さんがわざとらしく考えるフリをする。
そして____
「イヤです ♪」
今まで見たこともないくらいに可愛らしい笑顔でおっさんにとっては残酷な一言を告げた。
「どうしてわたしくしがやめて差し上げなければいけないのでしょうか?確か『悪い子にはお仕置き』ではなかったですっけ?」
「ひっ!?」
なんの話かは知らないけれど、その言葉を聞くとおっさんは短い悲鳴を上げた。
「あなたには死んだほうがよっぽどマシだと思えるくらいのお仕置きを用意しております。ぜひ楽しんで逝ってください」
うわぁ、字がヤバイだろそれは。
そして奈緒さんは詩織ちゃんに1礼すると、おっさんを別室に引き摺って行った。
「うわっ!やめてくれ!やめて下さい!」
「この程度で根をあげるとは情けないですね。ほら、お次は左手ですよ」
「あ"あ"ぁ"ぁ"ぁぁ」
………。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「謝られまして困りますわ。それではわたくしがイジメているみたいではないですか。ふふふ…ではお次はコレなんてどうでしょう?」
「がぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"ぁ"!!!!」
…………。
「死ぬ……本当に死ぬ……」
「まだ死ぬのが怖いのですね?どうやらまだお仕置きが足りないようで。さぁ、休んでいる暇はありませんよ?」
「________________!!!!!!!」
…………。
とうとう悲鳴が声に出なくなった。
一体なにをしているのやら。
きっと知らないほうが幸せに生きていける事だろう。
僕は一部始終を聞いていた野崎さんに向く。
「もしも今のアンタに救いがあるって言うのなら、それはきっと僕がアンタの相手だったって事だろうな。あの人多分怪我人だろうが容赦しないから」
「………」
野崎さんは痛みからなのか、おっさんの姿に自分を重ねているのか、冷や汗をダラダラ流しながらひどく震えていた。
「お、救急車が来たみたいだな。流石日本の救急機関は優秀だな。こんな所にも5分で来るんだから」
まあそのたったの5分でおっさんの精神を崩壊させる奈緒さんはホント恐ろしい。
「ほら、さっさと治療を受けてこい。そんでしっかりお勤めしてきな」
「……ぁぁ、ありがとう」
そう言うと野崎さんは外に歩いて行った。
悪いけど肩を貸してやる気は一切起こらなかった。
そう言えばいつの間にか隣の部屋が静かになっていた。
いや、よく耳を澄ますと、おっさんの声が聞こえる。
「もう殺して…ころしてください…お願いします殺してくださいぃ!!」
「ふふふ、ようやく反省なさったようですね。ではそのまま記憶を無くしてもらいましょうか。恨まれても厄介なので」
「う"っ」
…………。
……………。
今度こそ本当に静かになった。
そして奈緒さんが出てくる。
「お見苦しい所をお見せしました」
あのメイド服に着いている赤い点々はなんだろう?
さっき入っていくまでは無かったはずなんだけど…。
僕にできる事は、あれがおっさんの血液でないことを祈るだけだった。
「では帰りましょうか」
さらっと涼しい顔でそんな事を言う奈緒さん。
まるで何事もなかったかのような奈緒さんは本当に悪魔だと思う。
「まってください」
「お嬢様?どうかなさいましたか?」
「あの、ここに来る途中でちさちゃんに会いませんでしたか?」
「ちさちゃん?」
誰だろう?
「智沙様はお嬢様のご友人です。しかし、申し訳ありません。だいぶ飛ばして来ましたので全く気が付きませんでした」
「そうですか…」
ん〜。
何か忘れてる気がするんだよな…。
「……ゆきさん?どうかしましたか?」
詩織ちゃんの顔を眺めすぎた所為か、詩織ちゃんが不思議そうにこちらを見上げる。
もう少し…もう少しで何か思い出せそうなんだけど…。
………。
…………。
「あの…そんなに見つめられると照れてしまいます」
そんな風に頬を染める詩織ちゃん。
小さな身体を竦ませて、恥ずかしいのか黒い前髪に瞳は隠れている。
可愛い。可愛いけど…。
小さな身体……?黒い髪……。
「あっ」
「何ですか由紀様?というかお嬢様を誘惑しないでくださいませんか?」
「いや、誘惑したつもりはないんだけどさ。ここに来る時になんか誰かとすれ違った気がするんだよ。それも多分詩織ちゃんと同じくらいの身長の」
「っ!ちさちゃんです!どこですか?どこで見ましたか?」
「ホントにここに到着する直前くらいだかな」
「なおさん!」
「承知しましたお嬢様」
奈緒さんは詩織ちゃんから要件を聞かず返事をすると、バイクを瓦礫の中から掘り起こして跨った。
「少し席を外しますが、お嬢様に手を出そうものなら、いくら婚約者である由紀様といえど半殺しですよ?」
「いや、出さないから」
少なくとも僕から手を出すつもりはない。
「そうですか。……では行って参ります」
バイクのエンジンが掛かったと思ったら物凄い勢いで行ってしまった。
「さて、それじゃあ僕らはここで奈緒さんを待とうか」
「はい、そうしましょう。それにゆきさんには聞きたいことが山ほどありますから」
「聞きたいこと?」
なんだろう?
「ゆきさん、いつの間になおさんとあんなに仲良くなったんですか?」
………おっと?
なんか詩織ちゃんが勘違いしていらっしゃるようだ。
別に僕と奈緒さんはそんなに仲良くはないと思うんだけど。
「かくしてもしてもムダです。なおさんがあんなに楽しそうに話すのは、今までわたしだけでしたから」
楽しそう?
あれが楽しそう!?
嘘だろ…。
「さぁ、はいてください。わたしのいない間に2人でなにがあったんですか?」
それから奈緒さんが帰って来るまでの間、僕は詩織ちゃんに尋問をされ続けた。
その結果分かったことだけど、やっぱり詩織ちゃんはあの悪魔の影響を多大に受けてしまっていた。




