詩織side 詩織誘拐事件2
どれだけ時間が経ったか分からないけれど、車を降りる頃には既に陽は沈んで月が昇っていた。
抱えられるように車を降ろされて、わたしたちはボロボロの小屋のような建物の中に運ばれる。
「それじゃあ早速始めようか」
おじさんが口角を上げて気持ちの悪い笑みを浮かべ、わたしたちを舐め回すように見てくる。
隣では耐え切れなかったのか智沙ちゃんが短い悲鳴をあげる。
感情の起伏の少ないわたしだって怖いのだから、多感な智沙ちゃんはもっと怖いだろう。
「………」
ドライバーをしていた男の人が何かを言いたげにわたしを見ている。
その瞳は何かに迷っているようで、わたしは疑問を覚えた。
もしかしてこの人はそこまでこの誘拐に乗り気じゃない?
車の中で思った疑問が再びわたしの中で蘇る。
この人はずっとおじさんを止めていた。
決めつけるのは早いかも知れないけれど、もしかしたらこの男の人はそこまで悪い人じゃない…?
すると男の人は何か意を決したかのようにおじさんに声をかけた。
「道雄さん、先に送る動画を撮ってもいいですか?」
「またお預けか?」
「そう言わず譲って下さいよ。ここまで運んだご褒美だと思って」
「はぁ、仕方ないなぁ。早く終わらせてよ?」
「……えぇ、そんなに待たせません。そういうわけでちょっと2人とも借りてきますよ」
「あれ?2人とも連れてっちゃうの?折角詩織ちゃんが来るまでその子に暇つぶししてもらおうと思ったのに」
「あの学園に通っているって事はこの子の家もそれなりに金持ちなんですよね?ついでだからこっちにも動画を送るんですよ」
「まったくお前さんは金のためなら汚いねぇ」
「ははっ、道雄さんには言われたくないですよ。さ、来るんだ」
そう言うと男の人はわたしたちの足の縄だけ解いた。
ここからは自分で歩けって事だろう。
わたしが男の人に後に続いて足を進めると、智沙ちゃんも恐る恐ると付いて来た。
そしてそのまま別の部屋へと移動した。
そこはパイプ椅子が置いてあり、周りはブルーシートで覆われていた。
動画を送った時に場所を特定されないための対策だろう。
男の人は扉を閉めると数泊置いて口を開いた。
「逃げなさい」
「……ぇ?」
声を漏らしたのは智沙ちゃんの方だった。
「逃げなさいと言ったんだ。やっぱり僕にはこんな事できない」
もしかしたらとは思っていたけれど、やっぱりこの人はそのつもりだったようだ。
「でもわたしたちを逃がしたりしたらあなたがひどい目にあうんじゃないですか?」
「そうだね…よくて半殺し。悪ければ本当に殺されるかもしれないね。あの人キレると何するか分からないから」
「でしたらどうしてわたしたちを逃がそうと思うんですか?」
わたしの質問に男の人は渇いた笑み浮かべる。
「良心の呵責…かな?娘とそんなに歳の変わらない君たちを見ていたら、僕は一体何やってるんだろって思ったんだ。それでもし自分の娘が誘拐されて滅茶苦茶にされたらって考えたらやってられなくなってね。本当に申し訳ない」
そう言ってわたしよりも何周りも歳の離れた大人が頭を下げた。
「…信用しても大丈夫なの?」
智沙ちゃんだった。
「その人だって誘拐犯の1人なんだよ?そんなに簡単に信用してもいいの?」
「安心して。わたしもこの人をしんようはしてないから。でも、逃してくれるんですよね?」
「あぁ、そこだけは信じてほしい」
「ってことみたい。だまされても今以上にひどくなることはないんだからここはすなおに逃してもらおう?」
本当に逃げられれば万々歳といったところだ。
それに、あの後悔に満ちたような目をわたしは信じたい。
わたしの言葉に智沙ちゃんも一応頷いてくれた。
「よし、実はここに小さな穴があるんだ。大人は通れそうにないけど、君たち子供ならいけるだろう」
ブルーシートを剥がすと確かにそこには子供が1人ようやく通れるような穴が1つ空いていた。
「ちさちゃんから先に行って」
「でも_____」
「だいじょうぶ。すぐに行くから」
「……うん」
頷くと智沙ちゃんは穴を潜り始めた。
「あの」
智沙ちゃんが潜っている間にわたしは男の人に声をかけた。
「なんだい?」
「ちゃんとあなたも逃げてくださいね?むすめさんのためにも」
「_______っ!そう…だね。うん、心配してくれてありがとう」
「それではお元気で_____」
「おーいまだか_________あ?」
智沙ちゃんの後に続こうとしたところでおじさんが部屋に入ってきた。
そしてわたしが逃げ出そうとしているのを見つけると、その眼を鋭く光らせた。
「みち…お…さん?なんで…?」
「なんで?それってこっちのセリフでしょ?お前何やってんの?え?」
「いや、これは…」
「1人足りないよね?もう1人はどこ行ったの?まさか逃してないよね?」
「それは…」
「言い訳はいいんだよ。_____覚悟はできてるんだろうな?」
おじさんは懐から包丁を取り出した。
一体何に使うつもりだったのかは分からないけれど、少なくともさっきからずっと持っていたという事は確かで、それを使うつもりがあったというのもまた確かだった。
「詩織ちゃんもさ、よくも逃げようとしてくれたね?悪いけど逃げたもう1人の分もお仕置きさせてもらうよ?まあ連帯責任ってやつだよ」
そうして向けて来る眼には怒りの炎が燃えていた。
「詩織ちゃん?まだ?」
そこにタイミング悪く智沙ちゃんが穴の向こうから声をかけてきた。
「あれあれ?もしかしてまだそこにいるのかな?」
「っ!詩織ちゃんっ!」
「逃げて。早く!」
このままだとまた智沙ちゃんが捕まってしまう。
これ以上智沙ちゃんを巻き込むわけにはいかない。
わたしは今にもこっちに戻ってきてしまいそうな智沙ちゃんに大声をあげた。
「でも!」
「いいから早く!逃げてなおさんにここのことを伝えて!」
奈緒さんさえ来ればこんなおじさんの1人や2人なんでもない。
まあ…それまでにわたしが生きていられたらの話ではあるけれど。
「……分かったっ!絶対助けを呼んで来るから!」
足音が遠ざかって行く。
ちゃんと逃げてくれたようだ。
「あーあ。逃げちゃったねぇ?ねぇ、詩織ちゃん?」
「………」
「あらら黙っちゃった。でも、おじさんが質問してるのに無視はいけないよねぇっ!」
ゴンッと頬を叩かれた。
口の中を切ったのか、口の中には鉄の味が広がる。
「み、道雄さん!もうやめようこんな事!」
「あー、はいはい。裏切り者の野崎くんは黙っててねっ!」
「うっ___!」
おじさんの持っている包丁が、男の人_____野崎さんのお腹に深々と刺さっている。
赤い血が地面を広がって、真っ赤な水溜りが大きなってきく。
この人、本当に刺した。
なんの躊躇いもなく、このおじさんは人に刃物を突き刺した。
一方の野崎さんは膝から崩れ落ちて動かなくなってしまった。
流石にまだ生きてはいると思うけど、早く治療しないと本当に命が危ない。
「さてと、これで煩い邪魔者もいなくなったし、続きを始めよっか」
野崎さんの返り血で顔や服を真っ赤に染めたおじさんがわたしに一歩、また一歩と近づいて来る。
恐怖のせいで、まるで石になってしまったかのようにわたしの足は動いてくれない。
あぁ、多分わたしはここで死ぬのだろう。
助けを呼びに行くと智沙ちゃんは言っていたけれど、こんな人気のないところに偶々誰かが通りかかるなんてないだろうし、奈緒さんを呼びに行くにしても、屋敷からここまで来るのにはそれなりに時間が掛かる。
多分奈緒さんの到着を待たずにわたしはこのおじさんに滅茶苦茶にされるだろう。
____せめて、
____こんな事になるなんて分かっていたなら
____最後に由紀さんと会っておけばよかった。
____もっと由紀さんとお話しておけばよかった。
____もしも叶うならせめて、
____もう一度だけ由紀さんに会いたかった…
「ちょっ!前!前!前!前!前!壁!前!壁!壁が!壁がぁぁ!!」
バキバキ!
そんな声と共にバイクが小屋を突き破って突っ込んで来た。
「喧しいですね。これしきの事で騒がないでください」
「これしきの事!?建物にバイクで突っ込んで行くのがこれしきの事!?ねぇアンタ感覚が狂ってるんじゃねぇの!?」
その声にはとても聞き覚えがあって、
「っていうか大丈夫だよな?これって器物破損とかになったりしないよな?あとで高額な請求書が来たりしないよな?」
「こんな犬小屋いくら潰れたって問題ないでしょう?それに高額な請求書?由紀様はお馬鹿でございますか?わたくし共は天下の士堯院家なのですよ?請求額の1000万や2000万なんて端金ですよ」
「そういう事言うなよ富裕層!僕たち平民にとってはとんでもない額なんだよ!」
聞いているだけで心が温かくなる声。
「って、そうじゃなくて!アンタ目的忘れてないよな?」
「えぇ、もちろん由紀様に言われなくても覚えていますとも」
「だったらよかった。言っておくけど犯人は殺すなよ?殺すなよ?」
「保証はしかねますが、善処しましょう」
埃の舞う中に、月明かりに照らされて2つの人影が浮かぶ。
一方は片膝をついて傅くように、
一方はその後ろからゆっくりと歩み、
「詩織ちゃん_____」 「詩織お嬢様_____」
「助けに来たよ」「ただ今参上仕りました」
2人のナイトがここに参上した。




