婚約者
僕は今、初めての体験をしている。
16年とちょっとの人生の中でも3番目位には入るだろう。
全く、面倒なことになった……。
頭に銃を突き付けられながら、僕はそんなことを思っていた。
「いいかお前ら!少しでも妙なことしてみろ!こいつを撃ち殺すぞ!」
僕の頭に銃を突き付けている張本人、スキンヘッド(悪く言うとハゲ)で筋肉をノースリーブで見せびらかしている男は、警察たちに包囲されながら叫んだ。
僕は人生初の人質体験中だった。
こんなことになるなんて、数時間前の僕は想像できていただろうか?
いや、できるはずがない。
というか、できていたら現在こんなことにはなっていない。
そんなことを想像できる人間なんて、自身の頭の中で設定を作っている人か、裏社会のプロくらいだろう。
つまり、一応は一般ピープルとして通っている僕に、そんな予想をできるはずがないのだ。
警察も人質を傷つけるわけにもいかないためなのか、随分と慎重にことを運んでいるらしい。
おかげで、こっちは暇で暇で仕方がない。
というわけで、僕はすべてのことの始まりを思い出してみることにした。
きっと現在に至る頃には何か進展があるはずだ。
桜が舞う中、僕は春休みの最終日を満喫していた。
といったところで、大したことをしたわけではない。
初めて来る土地を散策したり、店でご飯を食べたりと、ただただ平和で退屈な、しかし貴重でゆったりした休日を堪能していた。
高校一年生の終業式の日、両親から急に転校する旨を伝えられた僕は、「行けば分かるから!」と言う両親によって四月に入ったところで家を追い出された。
その時は、「きっと少し遅いエイプリルフールなのかも」と、楽観的に考えていたものだったが、級友に挨拶をすることも、見送ってもらうもなく、そのまま電車に乗せられ、この街まで来てしまった。
その後、両親から受け取った住所メモに従って、これから僕が暮らすであろう建物を探していた。
慣れない土地で、独りうろうろしていると、いつの間にやら時計は十二時を指しており、腹の虫も鳴き出した。
財布の中には100円玉が4枚と、10円玉が5枚、そして、なぜか増殖を続けた上に、なかなか使わなかったことで減ることを知らなかった1円玉が、いち、に、さん……、20枚くらいあった。
きっと僕の財布の重みのほとんどが1円玉なのだろう。
何を始めるにもお金は必要になる。僕は両親が振り込んでくれているであろう生活費を求めて、銀行へ向かった。
そしてこれが、まぁ、間違いだったわけだ。
口座には1ヶ月分の生活費、5万円が振り込んであった。
今まで一人で生活することが、皆無と言っていいほど無かった僕には、これが多いのか少ないのか判別はできない。
取り敢えず1万円を下ろした僕は、1万円分減った通帳と、1万円増えた財布を手に銀行を出ようとした。
その時、
「動くな!」
シャッターが閉まり、ドスのきいた男の声が室内に響き渡った。
僕より後ろで声がしたことから、客に紛れて様子を伺っていたのだろう。
銀行強盗をする時は、必ず複数犯であると何かで聞いたことがある。
一人では作戦に失敗する率が高くなるからだ。
現に、この犯人グループも五人というか団体で来ていた。
僕たち客10人と、従業員15人は手足を縛られた上に、スマホを没収された状態で人質となった。
が、すぐのように警察が急行し、5人集団の内4人を確保。
人質も全員解放された。
………僕を除いて、だけれどね。
人間とは現金なもので、自分が助かってしまえば、誰が助かってなくても無視してしまう。
今回人質になった彼らは全員、解放と同時に走り去ってしまった。
そして逃げ遅れた僕は、あっさり残りの犯人に捕まって、人質にされた。
で、最初に至る。
ちょうど今、犯人が要求した逃走車両が到着したらしい。
黒い高級車が1台停まった。
犯人の要求は今までに3つ。
逃走車両の確保、自身の身の安全の保証、そして3億円だった。
そして今、そのうちの1つが消滅した。
それと、犯人にそのつもりはないのかもしれないが、さっきから僕の首が絞まっている。
犯人は僕の首に、その太い腕をまわし、自身に押し付けるようにしているため、気管が閉まる。
これでは要求がすべて通る前に落ちそうだ。
「ちょっと、首、首しまってる!」
「うるせぇ!黙ってろ!殺すぞ!」
犯人を思って言った(半分本当)台詞なのだが、犯人はそれを突っぱねた。
というか、現在進行形で死にそうなんだけど…………。
などとは死んでも言えない。
むしろ、言ったら死ぬだろう。
言っても死んで、言わなくっても死んで。
…………どうしろと言うのだろう?
僕が死んで困るのは犯人も一緒のはずなのに。
仕方ない。
何物も命には変えられない。
僕の得意中の得意技の1つ。
『死んだフリ』
身体の力をだらんと抜き力無く俯く。
呼吸も止めて、側から見たら完全に意識を失っているように見えるだろう。
「お、おい!急にどうした!クソっ!」
男は悪態を吐くと僕を放り捨てて、銃弾を手当たり次第に撃ちながら用意された車へと走り出す。
「どけっ!どけぇっ!」
囲んでいた警察官が怯んだ間に人垣を掻き分けて男は車に乗り込む。
そしてエンジンをかけ________。
「なっ!クソ!なんでだ!」
どうやらエンジンが掛からないらしい。
そして逃げ場を失った男は、そのまま他の仲間同様お縄についた。
しかしあのタイミングで偶々エンジンが掛からないなんて奇跡は有り得ない。多分どこかで燃料を抜いていたのか、それとも何かを燃料に混ぜたのかしたのだろう。
「おい!誰か早く救急車を呼べ!」
警察官が制服姿の駐在さんに指示を出していた。
そういえば僕今死んだフリの最中だった。
取り敢えず起き上がる。
「あ、いえ。お構いなく」
呆気にとられている警官に爽やかな笑みを向けて、逃げるように走り去る。
「……!ちょ、キミ!待ちなさい!」
数秒遅れで追いかけて来るが、これだけ野次馬がいれば巻くことなんて容易い。
正直これ以上拘束されるのはごめんだ。
僕は人混みを縫うようにしてその場から立ち去った。
午前中から面倒な事件に巻き込まれ、早くもホームシックになりかけている僕は、下ろしたての1万円でレストランに入った。
レストランといっても、たかだか1万円ではホテルのレストランでの食事は不可能だ。
そのため、レストランはレストランでもファミリーで行くことができる、お手頃値段のファミリーレストランだ。
しかし、前々から不思議には思っていたのだが、どうしてファミレスはハンバーグばかりがあるのだろうか?
ファミレスはどこも、基本的ハンバーグばかり置いてある。
あとはせいぜい、冷凍を揚げたポテトや、小さく切り分けたステーキが少しあるくらいだ。
あくまでレストランを名乗るのであれば、フルコースの一つや二つ出してもらいたいものだ。
そんな不満を覚えながらも、僕はチーズインなハンバーグを豪華にセットで頼んだ。
もちろんドリンクバーとスープバー付きだ。
なんだかんだ言って、結局ファミレスではハンバーグが一番美味いのだ。
そして待つこと15分。
待ちに待ったチーズインなハンバーグが運ばれてきた。(先に運ばれてきたサラダは完食済み)
先に準備しておいたドリンクバーのコースとスープバーのコンソメスープ、そしてハンバーグが到着したことで、ようやく僕の昼食が始まった。
同系列のファミレスの料理は、大抵同じレシピが渡される。
そのはずだ。
だが、それはあくまで同じレシピが渡されるだけであって、同じ料理人が作るわけではない。
つまり店舗によっては不味い店と美味い店が存在しているわけだ。
はっきり言おう。
ここのファミレスは不味い!
形が少し歪なのは大目にみるとして、問題はその内容だ。
胡椒辛いし、肉はパサつくし、チーズはドロッと感が足りない。
あれはもはや悪夢だ。
チーズインなハンバーグという名の悪夢だった。
それと同時に、二度とここには来ないと心に決めた。
ふと、時計を見ると、針は2時50分をお知らせしていた。
約束の時間は午後3時つまり、あと10分で住所の場所に行かなければならないということだ。
………………。
それから僕は交番に寄り、道を聞いた。
そのおかげで3時5分には住所の場所の近くへたどり着いた。
のはいいのだが、問題の家がない。
さっきからあるのは、壁、壁、壁………。
どこまで言っても壁ばかりだった。
そしてそれが家の塀だったと知ったのはそれから10分後の話だ。
「はっはっは、まさか家の前で迷われるとは思わなかった」
目の前で若い(恐らく30代前半)のおじさんが笑った
『おじさん』と『若い』を一緒に並べてもいいものかと思ったが、これが一番的確な言葉だと僕は思った。
「えっと、僕は坂井由紀です。こんな名前ですが男です」
僕の名前は女の子に付きそうな名前だ。
昔名前の件で親に抗議した事がある。
というのも、学校で名前をバカにされたからだ。
そして両親が明かした僕の名前の秘密は、父さんの“僕は娘が欲しかったんだ”というなんとも身勝手なものだった。
「由紀くんでいいのかな?君が一番話やすい話し方でいいよ。それと、僕は士尭院晃、よろしく」
士尭院晃と名乗ったおじさんが差し出す手を僕も握る。
握った手を離すと、晃さんはソファーに腰を下ろした。
「さて、亮輔から話は聞いていると思うが、私と彼は親友同士でね。約束とはいえ、最初は不安だったのだけれど、こうして直接会ってみてそれは解消されたよ」
晃さんが何を言っているのかサッパリであった。唯一分かったのは、晃さんと父親、つまり坂井亮輔が親友同士だったということだけだ。「というわけで」と言うと、晃さんは僕の肩に手を置いた。
「詩織のことは君に任せた」
真剣な面持ちで晃さんが言った。
…………詩織って誰?
「あの、晃さん。一つ聞いていいですか?今、なんの話をしてますか?」
深い意味があって聞いたわけではない。
僕は少なからず、新しい土地に期待を持っていた。
可愛い彼女ができるかもと夢を持っていた。
だからせめて、最初にそれを教えておいてくれれば、ささやかながらも、自由な恋愛を期待することはなかったはずなのだ。
それほどまでにその答えは僕にとってショックの大きい答えだった。
「何って、君とうちの詩織の結婚についてだが?亮輔から聞いているだろ?」
僕の知らない間に、僕には婚約者がいたという事実が判明した。