第二章1
第二章1
僕は調べ物をするというラルグを置いて、学校へと来ていた。相変わらず夏の日差しは厳しいし、早く夏休みになって欲しいと思う。
だが、そんなことを思いながら教室に入るといつもと様子が違うことが分かる。
そこには見慣れない生徒たちがいたのだ。ヨーロッパの人間に見えるが、それでもどこか感じが違う。
転校生かと思ったが、それにしては僕の知らない生徒は多すぎた。そして、ホームルームが始まりみんなが席に着くとその異様さが際立つ。
知っている生徒たちが何人も消えてしまっていたのだ。
おそらくこの町の異変と同じようなことが学校でも起きたのだろうと僕はすぐに確信した。
「何か知らない生徒がたくさんいるけど、どうなってるの、ジョシュ?」
休み時間になると、僕は前の席にいる幼馴染みであり、親友のジョシュ・フレデリックに声をかけた。
ジョシュは眼鏡をかけていて、端整な顔立ちをしている。しかも、自他共に認めるゲームオタクだ。
だが、成績は極めて優秀なので、周囲からの信頼も厚い。
「おいおい、暑いからってなにボケてるんだよ。みんな一学期を共に過ごしてきたクラスメイトだろうが」
ジョシュの言葉に僕はやっぱりそういうことになっているのかと思った。
「でも、あんな女子生徒はどう見てもいなかったけど」
紫色の髪とか絶対におかしいだろ。
「ちゃんといたよ。お前、熱中症じゃないのか?ニュースじゃ熱中症で死んだ奴もいるって言うし、気を付けた方が良いぞ」
「僕は大丈夫だよ。でも、デイビッドやリチャードもいなくなってるから、ちょっとびっくりしてるんだ」
二人とも僕のクラスメイトでかなり目立つ存在だった。その二人がいなくなったのだから、クラスの雰囲気もガラリと変わっている。
「誰だ、それ?」
ジョシュは眼鏡のフレームを指で摘んだ。すると僕が口を開く前に隣の席の女子が口を開く。
「リィオ、あんたあのオカルトマニアのエリシアと一緒にいすぎで頭がおかしくなってるんじゃないの。消えたクラスメイトなんてネタは今時、流行らないわよ」
赤毛にスレンダーな体を持つ女子生徒、レベッカ・ユリシールがからかうように言った。ちなみにレベッカも僕の幼馴染みなので付き合いが長い。
「レベッカまで」
僕は額を押さえたくなった。
「その通りだな。今からでも遅くないからオカルト研究会なんて止めて、ゲー研に入れ。面白いゲームとかやり放題だぞ」
そう勧めてきたジョシュはゲーム研究会に所属していて、世界中のゲームをプレイしているし、かなり熱の入った活動をしているようだ。
「それは遠慮しとくよ」
楽がしたいからオカルト研究会に入ったのだ。エリシアに振り回される時もあるが、それでも基本的に活動は強制されていないし。
「なら、バスケットで汗を流すのはどう?男子のバスケット部は部員も少ないから、頑張り次第でレギュラーにもなれるかもしれないわよ」
レベッカはバスケット部に入っている。しかも、エースとして活躍しているらしい。
「運動部なんて絶対、嫌だ」
僕は基本的に汗を流すのが嫌いなのだ。
「それは残念。とにかく、今日からテストが返却されるし、それを考えると気が重くなるわね。数学はちょっと自信ないし」
レベッカは溜息を吐いた。
「俺は全教科、八十点は固いな」
ジョシュは窓から見える真夏の太陽に視線をやりながら言った。ちなみに僕の席は窓際の四番目だ。
なので、太陽の光をもろに浴びてしまうからとにかく暑い。
「私だって、全ての教科で平均点は確保してみせるわ。夏休みになってもバスケ部の活動はあるし、補習になんてなったら目も当てられないから」
レベッカは舌を出して笑った。
「僕も平均点を下回らなければそれで良いかな。どうせ成績なんて関係なしに高等部には上がれるんだから」
でも、今回のテストにはそれなりに自信がある。なので、ジョシュともちょっとした勝負をしているのだ。
「そうよね。何にせよ、高等部になっても一緒のクラスになれると良いわね、リィオ」
レベッカは僕の顔を横から覗き込んだ。
「そうだね。レベッカがいると僕も元気になるし」
そう口にして僕は思わず頬を紅潮させる。女の子を見て元気になるとか言うのはちょっと恥ずかしいよね。
「そう言ってくれると、嬉しいな」
レベッカは照れ臭そうに笑った。それから、ジョシュは前を向き、レベッカは携帯を弄り始めた。
「ねぇ、リィオ」
話しかけてきたのはプラチナブロンドの女子生徒だった。その顔は妖精のように可愛らしく、肌なんて透けるように白い。
文句なしの美少女と言えるな。
「どうしたの、レフィリア?」
僕はクラスメイトのレフィリア・フォン・ヴェストリッジに聞き返していた。
「リィオって、もしかしてエルセイオン人のことを知らないの?」
レフィリアの青い目が揺らめく。
「知らないよ」
「ふーん。なら、ちゃんと憶えておいてよね」
レフィリアは含みのある声で言った。
「どうして?」
「みんなで仲良くしていきたいからよ。それにアメリカでは差別は御法度でしょ」
と言っても、このヴァークレフ・シティーの九割の人間がヨーロッパ系のアメリカ人だからな。
そのせいか、アメリカにありがちな人種差別とかは目にしたことがない。
「うん」
僕は少し押されるような形で頷いた。
☆
テストの返却が終わり、放課後になると僕は部室へと行った。夏休みまでは学校は半日で終わるので、僕も部室でカップヌードルを食べる。
「あんたのクラスでもそうなっていたわけね」
エリシアはペットボトルのコーラをグビグビの飲みながら言った。
「そうだよ。クラスメイトが見たこともないような人間に変わってるし、あれにはびっくりさせられたな」
しかも、誰もそのことを不自然に思っていない。
「つまり、彼らがエルセイオン人ってわけね」
エリシアは「飲む?」と聞いて、ペットボトルのコーラを僕に渡してきた。
このまま飲むと間接キスとかになりそうだけど、エリシアはそんなことを気にしたりはしない。
だから、雪のような白い足を広げて、短いスカートからパンツとか見えそうな体勢を取っている。
「だと思う。エリシアは何か分かったことはないの?」
僕はあまり期待せずに尋ねた。
「イビルナートのことをネットで調べてみたの。そしたら、イビルナートに願いを叶えて貰ったっていう人間が何人もいたのよ」
こんなことが起きた以上、彼らが嘘を吐いているとは思えないが。
「本当?」
僕は温いコーラを飲みながら言った。
「ええ。どうもイビルナートは気に入った人間の願いなら何でも叶えてくれるらしいわね。だけど、イビルナートに直接、会った人間はいないみたいだわ」
エリシアは顎に手を這わせながら言葉を続ける。
「私も、またメールを送ってみたけど今度は何の返事も来なかったし」
だとすると、イビルナートとはもうコンタクトが取れないかもしれないな。
「となると正体は分からないか」
イビルナートは自分を悪魔の中の悪魔だと言っていたが、果たしてその言葉を真に受けて良いものか。
「ええ。とにかく、手紙の内容を信じるなら町がおかしくなったのはイビルナートの仕業と見て間違いないわ。おそらくだけど、誰かがイビルナートに願いを叶えて貰ったんでしょうね」
イビルナートや手紙のことは昨日の内に電話でエリシアに話してある。
「それって誰なの?」
そこが肝心な部分だ。
「分からない。でも、私たちがこの町のおかしさを認識できるのはゲートを通ったせいだというのは、あの本を読んで分かったわ。どうも、ゲートには翻訳の魔法の他にも色々なプログラムが施されているようね」
あの本って言うのは図書室にあったイビルナートの本だな。
「そっか」
「いずれにせよ、何者かがこのヴァークレフ・シティーをエルセイオン王国の王都にしようとしているのは確かよ」
イビルナートは力を貸しているに過ぎないと言うことだな。
「なら、その何者かを見つける必要がありそうだね」
「ええ。魔方陣は学校の部室にあった。しかも、空き部室は十年以上、前から使われていなかったっていうのよ。空き部室の鍵も業者に頼んで、わざわざ新しく作って貰ったくらいだし」
十年間もあの魔方陣は生徒たちの目から隠されてきたのか。
「ひょっとしたら、私たちの他にもエルセイオン王国に行った人間がこの学校にいたのかもしれない」
エリシアは難しい顔で言ったし、その可能性は十分あると僕も思った。でなければ呪文の書かれていた部分を切り取ったりはしないだろう。
「逆にラルグのように異世界から連れてこられた人間がいる可能性もあるよね?」
十年前のエルセイオン王国がどうだったのかはラルグに聞く必要があるな。
「そうね。その人物が滅びてしまったエルセイオン王国を蘇らせたくて、イビルナートに願いを叶えてもらったと考えれば、一応、筋は通るわ」
だからといって、現代のアメリカの一都市をその舞台に選んで貰っても困る。
「とにかく、町を元に戻すためには、その人物を探すしかないね。だけど、そのためにはこの町をもっとよく調べる必要があるよ」
今はとにかく情報収集あるのみだ。
「同感よ。ネットでも今のこの町の状況について色々と調べることができるし。そこら辺は助かるわね」
そう言うと、エリシアはまたパソコンの画面に向かい始めた。部室にはどことなく女の子の汗の臭いが漂っている。
それを嗅ぐとおかしな気持ちになりそうだった。
ま、エリシアとは子供の頃から付き合ってきたからな。一緒にお風呂に入ったこともあるし。
でも、エリシアはネットでエッチなアニメの動画とかを平気で見てるんだよな。本人は健全な女の子として当然でしょとか開き直っているが。
とはいえ、僕もエリシアよりは胸の大きいレベッカの方が好みなのだが。
そんなことを悶々と考えながら、僕が窓の外を見ていると、いきなり景色の一部が蜃気楼のように霞んだ。
そして、しばらくすると浮かび上がるように大きな宮殿が現れた。これには僕も度肝を抜かれる。
「冗談だろ」
僕はポカンとしてしまった。エリシアも横を向きながら突如として現れた宮殿を見て、目を見開いているし。
「このままじゃ、どんどん町が変わってしまうわ。手遅れにならない内に何とかしないと」
エリシアも焦燥に駆られたように言った。それから、エリシアは何とはなしにテレビを付ける。
すると、地下街の更に下にある迷宮から凶暴なモモンスターが現れたというニュースが目に飛び込んでくる。
ニュースによると、そのモンスターによって迷宮に挑んでいる冒険者や地下街にいる人たちが何人も殺されたという。
しかも、そのモンスターはギルドの戦士や騎士団の騎士たちでは歯が立たないらしい。なので、警察も出動したが、なかなか仕留められずに手を焼かされているようだ。
そのニュースを見て、僕はギルドや騎士団なんてあったのかと、そっちの方を驚いてしまった。
いずれにせよ、この町の地下には迷宮もできてしまったわけだし、何というか、出鱈目も良いところだ。
「地下街には迷宮へと続く入り口があるって言うし、私たちも地下街の人たちを助けに行きましょうよ」
「正気なの?」
モンスターと戦えるわけがない。
「当たり前でしょ。まだ因果関係は分からないけど、もし私たちがゲートを開けなければこんなことにはならなかったと思うの。だから、見て見ぬ振りはできない」
「そうかな」
僕たちに責任があるとは思えないけど。
「そうよ。今回のことは、きっと私たちがイビルナートの力を借りて異世界に行ったことが引き金になっているんだわ」
「なら、迷宮には僕が行ってくるよ。ラルグも連れて行くし、神の力が宿っているというエルセイオンの剣の力も見てみたいから。だから、女の子のエリシアは待ってて」
僕が女の子という言葉を強調すると、エリシアも唇を噛み締めながら頷いて見せる。ま、ドラゴンのラルグならどんなモンスターにも勝てるはずだ。
あと、イビルナートから送りつけられたエルセイオンの剣のこともちゃんと昨日の内にエリシアには話してある。
「分かったわ。なら、その間に私はできるだけ情報収集をする。だから、リィオも絶対に生きて戻ってきてよね」
エリシアはそう言って笑った。
☆
僕は家に帰ってくると、クーラーの効いているリビングへと行った。
するとそこにはラルグがいて、皿に乗ったクッキーを食べていた。キッチンの方からは母さんの鼻歌が聞こえて来る。
「おっ、帰ってきたな」
ラルグはなぜか母さんのタブレットも手に持っていた。
「これから地下街に行くから、お前もついてきてくれよ」
僕の言葉にラルグはタブレットの画面をポンッと指で触る。
「どうして?」
ラルグは実に暢気な顔でクッキーを口に放り込む。
「地下街にモンスターが現れて、人を襲っているらしいんだ。だから、そいつをお前に退治して貰いたい」
「何でおいらがそんな面倒なことをしなきゃならないんだよ。お前にとっても、人事だろうに」
ラルグは人を食ったように言った。
「そうでもないよ。僕たちが異世界に行かなかったら、今回のことは起きなったかもしれないし」
もちろん、全てが自分のせいだと思うつもりもない。
「そうか。ま、別に構わないけどな。でも、ネットの情報だと地下街の人間を襲っているのはあの獣王ガルムナートだって言うし、下手したらお前、殺されるぞ」
調べ物をしたいというラルグにはパソコンの使い方は教えてある。まさか母さんのタブレットまで使えるようになるとは思わなかったが。
「そのために神の力が宿っているエルセイオンの剣があるんだろ。あの剣さえあれば神すら倒せるって言ったのはお前じゃないか」
その言葉の真偽の程は定かではないが。
「そうだったな。とはいえ、エルセイオンの剣についてはそういう風に言われているだけだし、実際にどうなのかはおいらにも分からないけどな」
その言葉には僕もおいおいと言いたくなる。
「頼りないな」
僕はやっぱり迷宮に行くのは止めようかなと思った。
「まっ、竜騎士における最高の栄誉のドラグナートの称号を持つ者として、おいらとしても今回の一件を見て見ぬ振りしてはいけないのかもしれない」
竜騎士という言葉に僕は反応した。
「ラルグは竜騎士だったの?」
「ああ。元々、おいらは人間の竜騎士でドラゴンの姿にもなれる力を持っていたんだ。だけど、邪神ジェハム・イールの呪いでドラゴンの姿から元に戻れなくなった」
まるでおとぎ話だな。
「それは知らなかったよ」
「そういえば、お前にはどうしてエルセイオン王国が滅びたのか詳しく説明してなかったな」
ラルグはタブレットを操る指を滑らせる。
「じゃあ、教えてよ」
「分かったよ。エルセイオン王国が滅びたのは、魔王デモス・ナーダと邪神ジェハム・イールのせいなんだ」
邪神の次は魔王のご登場か。
「ジェハム・イールは宮殿でジャハルという名前の宰相をしていた。でも、裏では帝国と通じていて、エルセイオン王国を滅ぼした暁には帝国で高い地位を与えられることになっていたんだよ」
ラルグは憎々しそうに言うと、口を開く。
「そんなある日、宮廷にいた高名な錬金術師、アルタイレルが作りだしたモンスターに襲われなくなるアミュレットが何者かに盗まれた。それから、アミュレットはどういう経緯か分からないがジェハム・イールの手に渡ったんだ」
ラルグは難しい顔で言葉を続ける。
「そして、アミュレットを身につけたジェハム・イールの手下の魔法使いは、アミュレットの力に守られながら迷宮の最下層まで辿り着き、弱まっていたゲートの封印を完全に解いた」
この言葉に僕は息を飲む。
「すると魔界を牛耳っていた魔王デモス・ナーダが現れた。デモス・ナーダは大量のモンスターを迷宮に送り込んだ。その結果、迷宮から溢れ出て来たモンスターたちによってエルセイオン王国の王都は大混乱に陥った」
それがどれだけ恐ろしいことか僕には想像もつかなかった。
「更にそれと会わせるようにアシュランティア帝国のガルバンテス将軍と参謀のギュネウスの率いる軍勢がエルセイオン王国の王都に攻め込んできた。こうして、エルセイオン王国は滅ぼされることになったってわけさ」
そう語り終えたラルグは小さく息を吐く。
「そんな事情があったのか」
僕は雲を掴むような話だと思いながら言った。
「ああ。エルセイオン王国が滅びたのはちょうど十年前だ。でも、その歴史的な史実をこの町にいるエルセイオン人はまるで知らないんだよな。どうもエルセイオン王国が滅んだことはなかったことになっているみたいだ」
ラルグから掻い摘んだ話を聞かされた僕は神妙な顔をする。ちょうど十年前にエルセイオン王国はそんな状況に陥っていたんだな。
「そうか。だとすると、今もこの町には魔王デモス・ナーダや邪神ジェハム・イールがいるのかな」
「そこら辺はおいらにも分からない。いずれにせよ、奴らの存在を感じ取るにはもう少し成り行きを見守るしかないだろうな」
ラルグは浮かない顔で言った。