第九話
翌日、聖花は兄の慌ただしい声で目が覚めた。
「どうしたの?兄さん」
「どうしたもこうしたも小単がいなくなったんだっ!」
「え」
「あいつはいつも早起きだからめずらしく寝坊でもしているのかと思って起こしに行ったんだ。そうしたらすでにもぬけの殻で、こんな手紙と大金が・・・」
聖花は賓の手から手紙をひったくった。
今まで面倒を見てくれて感謝します、どうかお元気でというようなことが走り書きしてある。兄の手にしている大金の袋はあの赫鉄手から奪った物だろう。
聖花は着替えもせず靴も履かず、部屋を飛び出した。
「聖花?!」
兄の止めるのも聞かず外へ飛び出す。
「小単っ・・・小単!!」
聖花はよろめいて木に寄り掛かった。
彼女は大声で泣き出した。
朝日の煌めく中いつまでも青年の名を呼び続けた。
どれくらい歩いたか。
阿堂弦之介は額の汗を拭った。
辺りに人家はなく仄暗い山道は昼だというのにぞくりとするほど寒かった。
それでも汗が止めどなく流れるのは、彼の体内奥深くに渦巻く怒りのためである。
思い出したくはなかった。
すべて忘れ去った一人の無垢な人間として生を全うしたかった。
右腕の古傷が痛んだ。
「やっ?!」
腕から伝わるわずかな振動。
馬蹄の響きだ。
彼はその場にうずくまったまま静止した。
――――――五六頭程か・・・
しばらくじっとしていると向こうの方から五人の男達がやって来た。
「ぬっ!なんだてめえは、踏み潰されてえのかっ!!」
一人の男がそう言い、ぐるりと騎馬のまま弦之介を取り囲んだ。
「こいつ生きてますぜ。どうやら行き倒れじゃないようだが・・・」
弦之介はいきなり一人の男の足を掴むと馬上から引きずり降ろした。
腰の刀を奪うと男の首筋に持っていく。
一瞬の出来事に四人は呆然とした。
「おまえらは何だ、旅の者とも思えぬ。土匪か?流賊か?ふふん、まあどちらでもよい。俺は今機嫌が悪いのだ。匪賊の一人や二人、殺したとて役人は動くまい」
周りで見ている四人は急な成り行きに身動きがとれずにいた。
刀を当てられている男は失神寸前である。
その時、彼らの前方からさらに数十騎を引き連れた男がやって来た。
その貫禄、落ち着きよう、どうやらこれが親玉らしい。
「攬把っ」
「大攬把っ!」
口々に男達は親玉らしい壮年の男を呼ぶ。
「攬把だと?きさまら遊撃隊か」
弦之介は馬上の男を見上げた。
日焼けした顔は彫りが深く、肉の盛り上がりは服の上からでも確認できる程だ。
「うっ」
突如襲った激痛。
弦之介は喘ぎながら在るはずのない右腕を掴んだ。
腹の底から込み上げてきた物を吹き出しながら彼は後方へ倒れ込んだ。
白濁した意識の中、彼は男の澄みきった瞳だけを凝視した。