第七十一話
弦之介は馬を駆った。
夜明け前の縹色の空が妙に眩しかった。
桃色に色づいた雲が棚引き、幻相のように美しい。
彼は手綱をしぼった。
馬は高く嘶き足を止めた。
「若君!」
黒田は弦之介の前まで来ると下馬し、片膝をついた。
「伝書鳩の携えていた文によると、響四郎たちは無事なようでございます。まもなく我々と合流するかと思いますが」
「そうか」
弦之介は黒田から聖花に視線を移した。
彼女の腕の中で眠っている信太郎は、薄闇の中でさえ仄かに光って見えた。柔らかな髪が、真珠のようにふっくらとした頬にかかっている。
黒田は黙って馬に跨り言った。
「どちらへ行かれるのです」
聞かなくても解っていた。
「京へ」
帝の御座す都へ―――。
辺りもだいぶ明るくなり始めた頃、弦之介一行は羅城門を跨いだ。
兵は合戦から戻っておらず、防備の手薄となっている門は容易に入ることができた。
とは言っても、それなりの警護はなされている。
それらを弦之介らはことごとく気絶させた。
だが、さすがに朱雀門はそうはいかなかった。
向かってくる兵はどれも親兵だ。
相手に峰打ちをくらわせながら、弦之介は胸の内の確かな思いをかみしめた。
禁裏はすぐそこなのだ。
弦之介は今まで無官であった。
少し前ならば、彼はそこそこの階位は授与されていたし、将軍の実子なのだから正式な手続きをふめば天皇への謁見は叶ったかもしれない。
しかし、今は状況が悪い。のろのろとした取り次ぎを待っている余裕もなかった。
何よりも彼は、幕府側の大将として堂々と乗り込みたかったのだ。
父・定路から譲り受けた、征夷大将軍の職と従一位太政大臣の官位を背負って―――。
弦之介は最後の親兵を気絶させると長刀を鞘に収め、それごと放った。
朱雀門をくぐり、ついに建礼門にさしかかった。
開け放たれた承明門から紫宸殿が見えた。
その中に、現人神とまで言われた帝がいるのだ。
「帝に御目にかかりたく存じます。どうか、お取り次ぎを!」
返事はなかった。
風はどこまでも清々しく弦之介の項をさすった。
空には暁の桃色がいや増し、紫宸殿をはじめとする各殿を優美かつ壮大に浮き上がらせた。
弦之介は階に足をかけた。
その後を黒田たちが行く。
かすかに揺れている御簾をさっと払った。
弦之介の喉元に鋭利な切っ先が向けられた。




