第五十七話
昼に見る景色は昨夜のように憂えをふくんではいなかった。
空には雲一つなく、灰色の山が際だって見えた。
影井は馬上で遙かに見える敵を見つめていた。
その顔には、自信と余裕の笑みがあった。
なんといっても、こちらには精鋭の者が揃っている。退路も確保してあり、そこに待機させてある兵も武名高い部将の麾下、自在に動いてくれよう。そして、鉄砲隊もあれば大砲もある。
まず、負けることなど考えられなかった。
敵軍には何もないのだ。
体を鎧い、太刀を帯びただけのいでたちで何ができよう?
彼は、この戦に勝てる自信があった。
その昔下克上の嵐の中を駆け、矢の雨剣の風をしのいできた己に絶対の自負があった。対する敵軍の将は、右も左も、西も東も分からぬような青二才だ。おそらくこれが初陣であろう。先の将軍の跡を継いで日も浅い。
こちらが負ける理由などないはずだ。
影井は鼻で笑うと、右腕を高々と上げた。
点火の合図だ。
導火線の炎はすさまじい勢いで伝っていく。
大地ばかりか天まで轟けといわんばかりの轟音。
重く鋭い鉛のかたまりは、あからさまに幕府軍を挑発していた。
右に左に、前に後ろに。
重砲の吐き出す砲丸はとめどなく降ってくる。
一瞬、いや、もっと長い時間だったやもしれぬ。
その大きな鉄屑は命中した。
広がる波紋の如き喧噪。
兵はわっと左右に分かれた。
弦之介は刮目した。
我が軍を。
そして敵を。
この時、天と地のあいだにおとずれた静寂は弦之介を風に変えた。
「かかれッ!」
長刀を天高く掲げ彼は叫んだ。
弦之介は後方にいたが、その声は皆に響き渡った。
喚声が上がった。
軍と軍がぶつかる―――。
そう思ったときだ。
連続的に鳴った破裂音。
乾いた、耳障りな音が鼓膜に張り付いた。
砂塵が舞った。
いや、血だ。
血煙―――。
刹那に散った命はどれだけだろう。
だが止まることはもう、許されないし許さない。
血霧を顔面にかぶりながら弦之介は疾駆した。
栗色の馬体を力いっぱい締め上げ敵中に突っ込んでいく。
地を覆うは敵味方の死体。
弦之介は長刀を振るった。
血が出んばかりに手綱を噛みしめる。
また鉄砲が鳴った。
仲間が倒れる、死んでいく。
血はなおも彼を濡らしていく。
「腕に覚えのある者は前へ出よ!この俺がお相手仕るっ」
だがその声は怒濤の中に掻き消えた。




