第四十五話
あたりは静まりかえっていた。
それはあたかも、弦之介の心中をあらわしているかのようだ。
障子は仄かに開けられており、行燈の灯りが淡く漏れている。
縫い物でもしているのだろうか、槐はずっと下を向いていた。
―――ああ・・・我が君、夜桜の人・・・
槐は顔を上げた。
やや翳りをおびた表情の美しさはどうだろう。
「誰か、いるのですか?」
不安に駆られ、彼女は立ち上がると障子を開けた。
「あっ」
弦之介が、そこに立っていた。
彼は、驚いて立ちつくしている槐には目もくれず、土足のまま縁側に上がった。
「若君・・・どうなさったのです」
最後まで言わぬうちに槐は強い力で引き寄せられた。
華奢な体は隻腕の弦之介が抱いても儚げであった。
槐は彼を仰いだ。
その白い顔にたゆたう濃い陰は、行燈によってつくられたものではなかろう。
「夜桜の君・・・」
「お放しくださいまし。いくら若君といえど、これ以上のことをなさったら舌を噛みます」
弦之介の表情が苦痛で歪む。
「なぜです。俺はあなたを愛している。どうして、わかってくださらないのですっ?!」
彼はぽろぽろと涙を流した。
槐は弦之介が愛おしく思えた。
頬に触れようと手を伸ばすが、思いとどまる。
「わたくしは史の妻にございます。弦之介様」
「・・・から?」
うまく聞き取れず槐は首を傾げる。
「だから、何だというのです?」
槐は顔から血が引いていくのを感じた。
弦之介は槐を引き離すと、勢いよく畳に押さえつけた。
したたかに背中を打ちながら、槐は弦之介の頬を力いっぱい張った。
「人の道を外れる気かえ?!弦之介っ」
驚くのは弦之介の番であった。
殴られた頬をおさえ、夢からさめたばかりのような呆けた顔で槐を見やる。
「よく見なさい。これが何だかわかりますか?」
そう言われ、彼ははじめて槐が手に持っている物を見た。
一枚の鏡であった。
弦之介の物と瓜二つであるが唯一の違いは、裏に月天子が鮮やかに浮かび上がっているところだ。
彼は咄嗟に手を左胸にあてた。
「それは・・・母の形見・・・」
「私にとっても母の形見です」
槐は静かに言った。
「私はそなたの姉じゃ。弦之介」
「ああっ!!」
弦之介はいきなり絶叫した。
「酷うござります!酷うござりますっ!」
片手で頭を抱え、座敷から飛び出した。




