第三十七話
弦之介は庭園を横切ろうとしていた。
その足どりは遅く、夜だというのに灯りひとつ持っていない。
あちらこちらで虫たちの澄んだ声がし、月光を浴びた竜胆の花が茫と淡く耀う。
空には上弦の月が昇っていた。
「兄上」
ふと眼を転じ足を止めると、肌寒い夜だというのに定路は単一枚で縁側に出ていた。
「弦之介」
こちらに気付いたらしく、定路はその虚ろな眼を向けた。
「お体に障ります。早くなかへ入ってください。萩殿、薬の用意を」
定路は晩夏から急速に衰えはじめた。痩せ細った体からは精気が抜け、十数歳老いて見える。
弦之介はそんな兄の姿を見て、胸のあたりにぐっとくるものを感じた。
「薬があとわずかしかありませぬ。また響四郎に調合させましょう」
そう言って彼は薬湯の入った湯呑みを差し出した。
定路は黙って受けとる。
枕元に座っていた萩の君が手を添え、薬を飲ませた。
弦之介は迷った。
兄のこの様子では今日の会議でのことを伝えた上で、指示を仰ぐことなど無理なのではないか。
戦が起こると知ったなら憂えのあまり、病状が悪化するのではなかろうか。
「弦之介、わしはもうだめかもしれん」
あまりにも弱々しい声にどきりとして弦之介は顔を上げた。
「何を申されます。兄上は気を病んでおられるだけで死ぬなどとは・・・」
「いいや、わしは死ぬ。迎えが来ているのだよ」
「兄上、お耳に入れたき儀が」
弦之介は強い口調で言った。
目で萩の君に退がるよう合図する。
不安な表情をしながらも彼女は部屋を出ていった。