第三十四話
「まて!」
凛とした声。
弦之介であった。
「敵はすでにいまい。追っても無駄だ」
そう言って彼は起きあがり、おもむろに着物の襟をくつろがせた。
なんと、鋭い腸繰の鏃は一枚の小さな鏡に突き立っていた。
「これのお陰で助かった。危うく本当に死ぬところだったよ」
「若君、それは?」
「生母の形見だ。どうやら天は俺を助け給うたようだ」
弦之介は笑ってみせた。
「しかし、なぜ若君が狙われたのでしょう?」
響四郎が不安げな面持ちでたずねる。
「この矢は俺を狙ったものではない。おそらく―――」
言いかけた時、慌ただしい足音とともに史が数人の部下とともに入ってきた。
部屋の中の状況を見て何が起きたのかを察した。
「若君、お怪我は?」
「いや、大丈夫だ」
弦之介は腰に大小を差しながら言った。
そして後方を見やり、
「奥方。せっかくのご厚意を無駄にして悪いのですが、これでお暇させていただきます」
「そのようなこと・・・。お引き止めいたしたために命が危険に晒されることになってしまって・・・」
目の前で起きたことがよほど衝撃的だったのか、槐の顔は青ざめ震えている。
弦之介は礼をして部屋を出た。
その際、史に人知れず近づき耳元でささやいた。
「其処許も用心いたせ。でなければ死期が早まるぞ」
史は無言で、横を通り過ぎた弦之介に一礼した。
時は瞬く間に過ぎた。
だが、その間に起こった事件を思えば一日とて一月ほどの長さに思えよう。
ここ数ヶ月のうちに幕臣が三人も殺されたのだ。
死んだ場所は違えど、殺しの手口は同じであった。
しかも犠牲となったのはすべて幕府の重臣である。
弦之介は歯ぎしりした。
こうも早く手を打ってこようとは。
いつだったか、史の邸宅での出来事。あれはすべて史を亡き者にするためのものだったのだ。彼が生きていて都合が悪くなるのは勤皇の志士たちである。
暗殺された三人は三人共、幕府の意に添わぬという理由から上の許可も得ずに、何人もの志士を処刑している。殺される理由としては充分であった。
秋晴れのこの日、城では事件についての会議が開かれていた。
弦之介も出席したが、こういったことに意見する権限は彼には与えられていないし、また、口を出す気もないので隅っこの方でひっそりと座っていた。