第二十三話
「若君。御兄君にお会いすべきです。現実をしかとその眼でご覧じられませい!」
弦之介の口元がふいに緩んだ。
くっくっくっ、と笑いを噛みしめる。
「何故そこまでせねばならん。今のままで充分均衡が保たれているではないか。もちろん兄上には会う。だが政に口は出さん」
そう言うと立ち上がり座敷を出ていってしまった。
右近が追おうとするのを黒田が遮った。代わりに響四郎が急いで後を追う。
店を出ると弦之介の後を静かに付いて歩いた。
弦之介は無言だった。
響四郎も口を開かなかった。
どれくらい歩いたろう。川のせせらぎが聞こえるということは城下町からかなり離れたところまで来たということだ。
「恐ろしゅうございますか」
響四郎の言葉に弦之介はひたと足を止めた。
ふうっと溜息をつく。
「俺はすべてを終わらせるつもりで帰ってきた。だが、この国は今あまりにも豊かになりすぎている。それを終わらせるということが恐くてたまらんのだ」
「豊かと申されますか。・・・確かに島国であるこの国がここまで栄えたのは古来より続く日本人の精神故でしょう。それはかけがえのないものです。でもその豊かさも精神も平等ではないのです」
「わかっている」
響四郎は見えぬ眼で弦之介を見た。
何度か盲いた目を瞬かせ、ゆっくりと歩き出した。
「行きましょう、若君。国の根底にこそ真実はあるのです」
町から少し離れればそこは不毛の地以外の何ものでもなかった。
何ヶ月もの旱のために穀物は一切の成長を止めら枯らされた。
米が採れないということは年貢が納められないということだ。そのために家や田畑、家畜から我が子まで失った者は数知れない。
雨を降らせるために何人もの人間が神の贄となり、雨乞いの祈祷に託けて金儲けを企む輩も増える。
だがもっとも苦しい思いをしているのは農民ではなく被差別部落の非人たちであった。人柱となる人間は殆ど非人の中から選ばれる。
百姓でさえ食うことに困るというのに、まして非人に三食の飯が食えるわけがない。
それでも生きるために皆懸命に働いているのだ。