第十九話
翌日、日本の船に乗り込んだ弦之介主従はもはや支那人の格好はしていなかった。
弁髪を切り袴に小袖姿である。
港を離れていく船上から弦之介はこの大陸での生活を思い出していた。
潮のかおりが鼻をつく。風によって梳かれた漆黒の髪は後ろに控えている黒田のところまで流れてきた。
別れて数年。少年は青年に成長しどこか遠くの人のようになってしまった。将軍の御弟君とその家臣なのだから隔たりがあって当然だが、両親より己になついてくれたあの可愛らしい和子が、黒田にはたまらなく懐かしく思えてならなかった。
「若君はおおきくなられましたな。本当におおきく・・・」
「ははは、何を言う。お前の方がまだまだ大きかろう」
「いや、そういう意味では」
「ふん、わかっておるわ・・・なあ、黒田」
「何でございましょう」
「向こうに着いたら一切俺のすることに文句をつけるな。お前達の忠言を聞くべきかどうかは俺が判断する」
「はい」
黒田は弦之介の背中を見つめたまま応えた。
からっぽの袖がばたばたとはためく。
「郷愁の思いにかられているなんて、やっぱりあなたは弱虫ね」
凛と響く支那語だった。
二人がぱっと振り向くと、そこには彼らと同じ袴に小袖の編み笠を被った少年が立っていた。どこで手に入れたのか、日本人に扮した聖花であった。
「どんなに外見を取り繕ったって、所詮中身は泣き虫弱虫意気地なしの小単よ。そんなに自分に自信がないわけ?黙ってあたしを置き去りにして何様のつもり?あまく見ないことね!」
そう言って男装の美少女はふふんと鼻で笑った。
「これは一本取られたな。では何があろうとあなたを守ると誓いますよ、小姐?」
聖花は編み笠を取るとにっこりと微笑んだ。海風が少女のほつれ毛を揺らめかせる。
三人を乗せた船は、広大無辺な碧海の上を滑るように日本へと向かっていた。