第十七話
夏が過ぎ秋が過ぎ冬も終わろうとしていた。
雪解け水は川となりて山間を滑り一切のものを潤す。
まだかすかに肌寒いが太陽はすでに春の顔だった。
弦之介は自然の声に耳を傾けながら山道を下っていた。
早朝まだ暗いうちに梁金燕に別れを告げひっそりと出発しようと思っていたのだが、どこから漏れたのか皆が弦之介の出発を見送ってくれた。
一年近く共に過ごした仲間だ。
別れるのは少々悲しかった。
彼が感謝の気持ちと別れの言葉を述べると、彼のことを「兄貴」などと言って慕っていた狄春など泣き出してしまったのだ。
梁金燕の信頼厚い衛峰は始終無口だったが弦之介の姿が見えなくなるまで見送ってくれた。
皆多くは語らなかった。
梁もその配下達も、また巡り会う時がくると信じているのだろう。これが今生の別れだったとしても、あれやこれやと言って引き留め、別れを惜しんだりはすまい。
あまりにもあっけらかんとした送別の時だったが、弦之介の胸は一杯だった。
山越え谷越えして彼は海を目指した。
日本へ帰るために。祖国の土を踏みしめるために。
そして、すべてに終止符をうつために。
この日弦之介は港の近くで宿をとった。
明日に備えて早めに休もうとしていたとき、宿の者が来客があることを告げに来た。
彼は眉一つ動かさずに訪問者を部屋に入れた。
「久しいな、黒田」
旅の汚れで一層黒さが増した家臣の顔を見て、弦之介はにこりと笑った。
「若君・・・お恙もなくこうしてまた再会でき、何よりでございます」
「おまえには迷惑をかけたな、すまなかった」
「若君・・・!」
黒田は嗚咽した。
主従という前に親と子のような間柄だ。青年の無事な姿を見て泣くのも無理はない。
「花妹」
弦之介は扉のところで立ち止まったままの聖花を呼んだ。
呼ばれても彼女は応える言葉も言うべき言葉も出てこなかった。いや、言うことなど何もなかったのだ。
弦之介も静かに少女を見つめているだけだ。
「小・・・単・・・」
それだけ言って聖花は俯いた。
弦之介は慰めの言葉の一つでも言ってやろうと思ったが、こちらも言葉は出てこなかった。