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Used  作者: 百円
3/7

さん 優斗Side

 りぃちゃんはいつも嘘ばっかりついている。ケチャップを買いに行ったときだってそうだ。りぃちゃんは態度がころころ変わって、僕を困らせるんだ。僕はちょっぴり不満に思いながら、ケチャップの良い香りがするナポリタンを見つめた。


「それでねえ、坂本くんがね……」


 りぃちゃんはうっとりしながらフォークをくるくるまわしている。お母さんは、りぃちゃんの自慢っぽい話に飽きもしないで、興味深げに頷きながらポテトを口の中でもぐもぐと食べていた。

 りぃちゃんは、たぶん、坂本のお兄さんが好きなんだと思う。最近、坂本くんがねー、とか、坂本くんはねー、とか、りぃちゃんが口を開けば「坂本くん」ばっかりで、耳にタコが出来そうだ。

 お母さんはポテトを飲み込んだあと、頬に手をあてた。


「坂本里穂って、響き、悪くないわね」

「もー、お母さんってば、気が早いよお」


 りぃちゃんは、きゃはは、と明るい声で笑った。僕は大して笑うことも出来ずに、ナポリタンをフォークにいっぱい巻きつけた。思いっきり口をあけて、ナポリタンにかぶりつく。ナポリタンは僕の小さい口に入りきれず、それでも押し込むと、口の周りがケチャップだらけになった。


「ちょっと、優斗、口の周り、まっかっかだよ」


 りぃちゃんは、笑いながら、ティッシュを持って僕の口を拭いてくれた。

 坂本のお兄さんとりぃちゃんが結婚したら、僕と坂本は義理とはいえ、兄弟になってしまう。それだけは、ちょっと勘弁してほしいなって思った。僕には、りぃちゃんで充分だ。

 僕は、ごくり、と音を立てて、ナポリタンを飲み込んだ。

 何気なく、テーブルの真ん中にあったりんごに手を伸ばすと、


「このりんご、私が剥いたんだ。綺麗でしょう」


 りぃちゃんが得意げに言った。僕は、ふうん、と言って、りんごの背の部分を触ってみた。殆ど、凹凸がない。口に入れると、しゃくしゃく、と軽やかな音がした。果実独特の甘い味が舌に染みこむ。芯の部分が濃い黄色だったから、蜜りんごなのだろう。


「うん。おいしい」

「そーゆーこと、聞いてるんじゃないの」


 りぃちゃんは不服そうな声を出して、唇をぷん、と尖らせた。


*


 学校って退屈だ。勉強の内容が全然頭に入ってこない僕にとって、授業は苦痛でしかない。

 五時間目の授業が終わり、僕は小さく欠伸をした。給食を食べた後の授業は眠さのピークだ。でも、眠いのは授業中だけで、休憩時間になると不思議なことで、ぱったりと眠気が治まっている。


「昨日さあ、俺の兄ちゃんとサッカーやったんだよね。兄ちゃんすっげえ強くて、俺、ついていくので必死でさあ……」


 坂本は机の上で足をぶらぶらさせながら、お兄さんの自慢をしていた。坂本のまわりには、クラスの中で顔の良い男の子や女の子が周りを囲んでいる。男子の声と女子の声が混ざり合った笑い声がして、教室の中で坂本の周りだけ浮いているように見えた。

 僕は会話に入る気も無かったから、ぼーっと頬杖をついて、外を見ていた。白いものが浮かんでいる程度のささやかな雪が降っている。そういえば、昨日もこんな雪が降っていた。決して積もることのない雪。こんな雪は寒いだけだから、あまり嬉しくない。


「……なあ」


 きっと、外は寒いんだろうな、なんて、考える。大して冷たくもない足先をシューズの中で動かしてみた。


「なあってば」


 坂本の声が、僕に向けられていることに気づき、僕は視線を窓の外から坂本に変えた。子供っぽい無邪気な表情。僕はこの表情が彼のつくる表情の中で一番苦手だ。無邪気に笑いながら、きっと嫌味を言ってくるんだ。


「お前って、つくづく可哀想だよな」


 坂本は、ふん、と鼻で笑った。可哀想、と言っておきながら、全然可哀想じゃないって言い方だ。予感的中、僕は心の中で呟いて、喉の奥でため息をついた。


「可哀想?」

「ああ。お前の姉ちゃん、兄ちゃんが言ってたけど、ウケ狙いでやってんだろ?」

「ウケ狙い……?」

「ちょっとズレてんだよなあ。あんまりいきすぎると、逆にうざいってゆーか」


 坂本の言い方は少しだけ大人びて聞こえた。お兄さんの言葉をそのまま使って言っているのだろう。

 確かにー、とか、言えてるー、とか、同調する声が坂本の周りから起こる。それはクラス全体に波のように伝わっていく。


 --「今日ねえ、坂本くんと話せたんだあ」


 不意にりぃちゃんの声が耳の奥で響いた。とびっきり甘くて優しい声。

 りぃちゃんは、坂本のお兄さんのことが好きなんだ。でも、坂本のお兄さんはそうじゃないのかな。でも、きっと、坂本のお兄さんも、りぃちゃんに本心は言ってないに違いない。きっと、今の坂本みたいに、飄々として笑ってるんだ。

 そんなことを考えていると、喉が熱く震えた。


「りぃちゃんを馬鹿にしないで」


 自分でも、びっくりするぐらい大きな声が出た。


「僕は、りぃちゃんのことが大好きだよ」


 僕は坂本達をにらみつけた。瞬時に教室が静まり返る。

 違うって言いたかった。

 りぃちゃんはそんな子じゃないって。

 そして、分かってくれると信じてた。

 だけど、



「何コイツ、シスコンなんじゃねえ?」


 坂本の声と共に、クラス全体がまた、笑い声に染まる。ほんとだ、とか、しすこんだ、とか、同意する声が一層大きくなる。


「しすこん……?」

「コイツ、シスコンの意味も知らないんだってよ」


 また、クラス全体がどっと沸いた。教室が笑い声に包まれ、その笑い声はちくちくと僕の鼓膜を刺した。


「ねえ、しすこんって何?」

「シスターコンプレックスだよ!」


 坂本の取り巻きの一人が笑いながら言う。そういわれてもイマイチよくわかんない。

 なんでみんなが笑ってるのか、わかんない。きょとん、としている僕が可笑しいのか、さっきよりも大きい声で言葉を次ぐ。


「姉ちゃんと結婚したいって思ってるってことだよ!」


 呆れて、次の言葉がいえなかった。僕がりぃちゃんが好きなのは、そういう『好き』じゃない。

 僕が黙ってるのを、図星と受け取ったのだろう。笑いの渦に拍車がかかる。それとは逆に、僕は直に寂しさを感じた。僕の心は冷水を流されたように寒くなる。


 どうして。


 僕はむかっとする気持ちと、釈然としない気持ちと、理解できずに取り残された気持ち。不快な気持ちばかりが、僕の胸の奥で渦巻く。

 その時。


「優斗」


 いつも聞いている声。でも、すごく、冷たさを帯びている声。

 ふと、振り返ると、教室のドアのところにりぃちゃんが居た。リコーダーを持ってるから、音楽室へ行く途中だったのだろう。


「おぉ! 姉ちゃんの登場だ!」


 誰かがそう言う。

 すると、クラスが不自然なぐらいに静かになった。

 沈黙で耳が痛い。ここに居る誰もがりぃちゃんの次の言葉を待っていた。

 息を吸う音が聞こえる。僕は思わず目を瞑った。


「ウザイ」


 りぃちゃんが発した言葉は僕の心を劈く。何もいえなかった。たった三文字で、こんなに絶望感を味わうなんて、思わなかった。僕は肩の力が抜けて、口からは情けない声が漏れる。

 でも正反対に教室は賑やかになった。


「振られた。優斗が振られたぞ!」


 誰かが囃し立てるように言う。どうしようもなく腹が立った。

 りぃちゃんは、笑ってなかった。ほんとに苛立って、怒ってるみたいだった。


『あたしも優斗のこと大好きだよ』


 そう言って笑ってくれるのを望んでいた。そして、坂本たちが間違ってるってことを弁解してほしかった。


「りぃちゃん」


 僕の声が空すべりして、溶けていくのが分かる。僕の声は、ここに居る誰にも届かない。りぃちゃんにさえ。僕は目にいっぱい涙を溜めて、泣き声を漏らすのは格好悪いから唇を噛んで耐えていた。

 心のささくれが、どんどん増えていく。


「どうして? どうして、りぃちゃんは怒るの? 僕は、間違ったことをしたの?」

「りぃちゃんって呼ばないで。寒気がする。あたしは、優斗がキライ。ダイキライ」


 カァ、と頭が熱くなった。心が痛い。心のささくれを思いっきり引きちぎられた気分だった。絆創膏さえ貼ってもらえない心は、血で滲んでいく。

 りぃちゃんに対して、ものすごく腹が立った。

 僕は間違ったことはしてない。りぃちゃんが悪いんだ。

 そう思うと、なんでりぃちゃんが学校で冷たくするのか、分かった気がした。

 僕の悪口を言うとき、笑ってた。

 学校で僕を殴るとき、怒ったふりをしてても、目の奥は、笑ってた。

 それを見ていた友達も、笑ってた。

 りぃちゃんは、僕を利用して、笑いの中心になろうとしたんだ。

 僕に冷たく振舞ったり、僕に意地悪したり、僕の悪口をいったりしたら、みんなが喜ぶから。心の中にヘドロのように薄汚いものがどろどろと流れ込んでくる。


「りぃちゃんは、間違ってる! 僕を利用しないでよっ」


 大きな声で言ったつもりだけれど、涙声で迫力は殆どなかった。

 でも、りぃちゃんは、僕の声に、びく、と震えた。ものすごく、傷ついた目で僕を見る。

 僕は勢いに任せて、教室を飛び出した。廊下を走り、生徒玄関に行って、靴を履いて飛び出した。

 思いっきり泣きたい気分だった。

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