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Used  作者: 百円
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いち 優斗Side

 僕のお姉ちゃんのりぃちゃんは、学校と家じゃ、態度が全然違う。

 学校で優しいお姉ちゃんのフリ。家では意地悪なお姉ちゃん。

 これならまだ分かる。よくある話だ。

 でも、りぃちゃんは、学校で意地悪なお姉ちゃんのフリ。家では優しいお姉ちゃん。

 どうしてりぃちゃんが学校で意地悪なフリをするのか、よく分からない。


「私、今日から、ゆぅくんのこと、優斗って呼ぶ。だから、これから、私のこと、りぃって呼ばないで、お姉ちゃんって呼んで」


 りぃちゃんがそう言って、こくりと頷いたその日から、僕は「意地悪なお姉ちゃんの弟」を演じ続けている。

 りぃちゃんのことが大好きだから。


*


 頭がぼーっとする。ストーブの温もりは僕の頭をすっぽり包み込み、宿題をするために頑張ろうとする思考を邪魔をするのだ。僕はお母さんの言葉に、何度も頭を切り替えようとするのだけれど、すぐにぼーっとしてしまって、何も理解出来ない。お母さんの言葉もだんだん理解出来なくなってきたとき、呆れを含んだため息が聞こえた。


「里穂。優斗の勉強、教えてやってちょうだい」

「ん、分かった」


 この会話が耳に届いた瞬間、優斗は「やったあ」って思う。

 僕のお姉ちゃんであるりぃちゃんは、厳しく叱るお母さんとは正反対で、優しく包み込むように勉強を教えてくれる。僕がどんなに間違った答えを書いても、絶対に怒らずに律儀に「こうするんだよ」と教えるのだ。


「小学四年生でも、結構難しい漢字習うんだね」

「お姉ちゃんだって、ちょっと前まで四年生だったじゃん」

「二年前はちょっとって言わないの」

「ふうん?」


 そういえば、りぃちゃんが急に冷たくなったのも丁度二年前だったなあ。


「ほら、マス、はみだしてる」

「あ、ほんとだ」


 僕は急いで筆箱の中から消しゴムを取り出した。角は消え失せ、丸くなっている。

 消そうとすると、上手く消えなくて、マスが真っ黒になった。


「あーあ。もう、優斗はぁ……」


 そういうと、りぃちゃんは、がさごそと自分の筆箱を探って、ピンク色の消しゴムを出した。

 元はくまの形をした消しゴムだ。でも、長く使っているせいか、耳の部分がなくなっていて、ただの丸い消しゴムになっていた。


「この消しゴム、結構消えるんだよ」


 得意げに言いながら、僕が消しゴムをかけたところを、りぃちゃんがもう一度消しゴムをかけた。すると、書く前に元通りってわけにはいかないけど、結構マシになった。


「ど? これでもう一回書けるでしょ?」


 僕は頷いて、りぃちゃんが消してくれたマスを埋める。今度ははみださないように、丁寧にゆっくりと。


「わぁ! すごいね、すごく綺麗だよ! 私の字よりも綺麗なんじゃない?」


 りぃちゃんは心から嬉しそうな顔で笑う。そして、漢字練習帳の隅っこに薄く、僕がさっき書いた字と同じ字を書いた。


「見て。私の字とそんな変わんないよ」


 僕はりぃちゃんの字の方が断然綺麗だと思ったけど、りぃちゃんが言うならそうなのかな、って思って、嬉しくなって、にっこり笑って見せた。りぃちゃんは、僕の笑顔を見て、また、嬉しそうに笑い返してくれる。りぃちゃんはすごく可愛いってわけじゃないけど、りぃちゃんの笑った顔はすごく好き。僕の心がささくれみたいに棘棘しているときも、優しく絆創膏を貼ってくれるような笑顔だ。

 でも僕は知ってる。りぃちゃんは、この優しげな笑顔で学校の友達に楽しそうに話すことを。


『優斗、あたしが教えたら、すぐ泣いちゃうんだよ。優斗、全然分かってくれないから、こっちもイライラしちゃって、つい、頭叩いちゃった』


 僕は、りぃちゃんに教えてもらって泣いたことも、りぃちゃんにイライラしながら頭を叩かれたことも、一度も無い。


*


「私の悪口、学校では言ってもいいから。むしろ言って」


 僕はいつか、そんなお願いをされた。先生に「悪口は人を傷つけるのでいけません」って自信満々に言われていたから、悪口を言って、と自分から頼むりぃちゃんは相当な変人だ。自分から傷つきたいなんて人、多分りぃちゃんぐらいだ。

 だから、僕はりぃちゃんの悪口を言う。「ブス」とか「アホ」とか「バカ」とか。心にもないことを口にするのはちっとも気持ちよくなかった。

 僕が登校班の人たちの前でりぃちゃんの前で悪口を言ってみせると、りぃちゃんはわざとらしく顔をしかめて、僕の頬をつねった。あんまり痛くなかったけど、僕は「痛い、痛い」と手足をしたばたさせる。

 すると、他の子たちは、くすくすと可笑しそうに忍び笑いをして、遠巻きに僕らを見るんだ。


「優斗くんが、里穂ちゃんの悪口言うからだよ」


 登校班の僕のすぐ後ろを歩く女の子に、そういわれて、思わずむっとした。声に出すと、りぃちゃんが怒りそうだから、心の中で呟いた。

 僕はりぃちゃんに頼まれてしてるんだもん。僕は悪くない。


 それからと言うもの、僕が学校で悪口を言うと、僕のクラスメイトは、いちいちりぃちゃんに報告するようになった。そしたら、りぃちゃんは律儀に教室に来て「バカはあんただよバーカ」と言って、僕の頭を殴ったりする。

 でも、ちっとも痛くなかった。

 だけど、僕が、痛い、というと、りぃちゃんは満足げな顔をするから、「痛い」と頭を抑えてみせた。

 すると、みんなが笑う。教室の全体が明るいオレンジ色に変わるんだ。

 その時、僕はクラスの中心になれた気がした。だから、あまり悪い気はしなかった。

 僕が学校でりぃちゃんに苛められているので、いつのまにか、りぃちゃんは「いじめる怖い姉」、僕は「いじられっこの懲りない弟」になっている。


*


 帰りの学活が終わり、教室は蜂蜜を流し込んだようなオレンジ色に染まっている。椅子を動かす音や人の話し声やランドセルを背負う音なんかが調和して、騒がしく、でも何処かに気だるさを持った音となって、教室を包み込んでいた。


「なあ、優斗。優斗んち、行ってもいい?」


 坂本が僕の肩を叩く。僕は曖昧に笑って、やんわりと首を横に振った。


「ごめん。今日は、無理」

「今日はって、いっつもそうじゃん」


 坂本は、唇を尖がらせた。覗き込んだ目は真っ黒で、女みたいなサラサラした少し長めの髪は、彼の頬に少しだけかかっている。

 坂本の顔は、表情を変えるたびにころころ変わる。黙っていると凛としていてカッコいい顔。笑うと白い歯がちらちら見えて爽やかで明るい顔。そして、拗ねているときは子供っぽい年相応の顔。僕は坂本が苦手だ。なんとなく、作る表情一つ一つが計算されたように感じるから。

 でも、坂本はクラスの中心で、彼が一言言うだけで、クラスが明るくなったり、暗くなったりする。

 片方の肩だけに引っ掛けるランドセルの背負い方も、クラスで一番最初にし始めたのは坂本だ。何だか気だるそうな感じが格好いい、と坂本の取り巻きの男子たちは、殆どその背負い方を真似している。


「俺、優斗の部屋、見てみたいなあ。兄ちゃんから聞いたんだけどさ、お前の部屋、結構広いんだって?」


 僕はまた、曖昧に笑った。頬の筋肉がぴくぴくする。

 りぃちゃん、また嘘をついている。僕は、自分の部屋を持ってない。お父さんとお母さんとりぃちゃんと、一緒に布団を横一列に並べて寝るのだ。寒いときは四人で引っ付いて寝てる。そのときの気持ちよさを友達にも自慢したかったけど、りぃちゃんに「私と優斗は一人部屋をもってることにしてるんだからね」と釘をさされていたから出来なかった。


「やめとけよー、坂本。お前まで、優斗の姉ちゃんに苛められるぞー」


 誰かが冷やかしに似たような声でそう言って、クラスが沸いた。

 こんな雰囲気は嫌いではないけれど、内容が僕とりぃちゃんのことだと、少し不愉快だった。りぃちゃんは、そんな酷い人じゃない。むしろ、優しい。


「そーだなあ。苛められんのは嫌だなあ」


 坂本はへへっと笑った。

 彼にもりぃちゃんと同い年のお兄さんが居て、僕とは対照的に、お兄さんの自慢をする。ユーモアをまじえて言うので、あまり嫌味ったらしくなかった。でも、坂本の自慢を聞いていると、ふつふつと心の何かが湧き上がってくるのを感じる。

 僕も、りぃちゃんの自慢がしたい。したいけど、出来ないんだ。

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