#91 のんびり
夢見亭の昼下がりは、ゆるやかな時間が流れていた。 窓から差し込む光が木の床に模様を描き、カップの湯気がふわりと揺れる。 常連客たちはそれぞれの席でくつろぎ、店長はカウンターの奥でグラスを磨いていた。 その中で、たぬまりはソファに寝転がっていた。 片足を背もたれに引っかけ、もう片方は床に垂らしたまま、図鑑も開かず、魔法も使わず、ただごろごろしていた。
本来のたぬまりは、こういう姿が日常だった。 誰かに言われない限り外に出ることもなく、夢見亭の片隅でごろごろしているのが定番。 それが最近は、魔女のお茶会や白い巨人退治にセレフィーネ巡り、人魚をレスキューしたりと、活動的な日々が続いていた。 だからこそ、今日のこの姿は、誰の目にも「懐かしい」くらいで済むはずだった。
ところが。
「……暇だ」
ぽつりと呟いたその一言に、店内の空気がぴたりと止まった。 店長は手を止めてギョッとした顔を向ける。 常連客たちも新聞をめくる手を止め、たぬまりを見つめた。
「えっ……今、暇って言った?」
「たぬまりちゃんが……暇……?」
「夢見亭の終わりの始まりかも……」
ざわざわとした反応に、たぬまりはソファの上で寝返りを打った。
「いや、別に……ただ、今日は何も予定がないだけ」
すると、常連客のひとりが言った。
「それなら、ダンジョンとか行ってみたら?」
「……ダンジョン?」
たぬまりは、顔だけ起こして目をぱちぱちさせた。 このゲームにダンジョンなんてあったんだ……とでも言いたげな表情だった。
「そもそも戦えないし、ダンジョンは無理じゃない?」
「ノンアクティブしかいない初心者向けダンジョンがあるよ。ユメノネの街から近いやつ」
「へえ……」
たぬまりは、ソファから起き上がり、図鑑を手に取った。 マモノ図鑑の空白ページが、風にめくられている。
「散歩がてら、登録でもしてくるか」
そう言って、たぬまりは夢見亭を後にした。
ユメノネの街は、始まりの場所。 プレイヤーたちが最初に降り立つこの街は、いつも賑やかで、どこか懐かしい。 街の外れにある初心者向けダンジョンは、案内板に従って進めばすぐに見つかる。
入口は、苔むした石のアーチ。 その奥に、緩やかな階段が続いている。 たぬまりは、図鑑を胸元に収め、ゆっくりと階段を降りた。
ダンジョンの中は、柔らかな光に包まれていた。 天井には光苔が生えていて、淡い緑の光を放っている。 壁は白い石でできていて、ところどころに水が流れている。 床には小さな花が咲いていて、踏むとふわりと香りが立つ。
「……思ったより、綺麗」
たぬまりは、図鑑を開きながら歩いた。 マモノたちは、のんびりと過ごしていた。 攻撃してくる気配はなく、ただそこにいるだけ。
最初に出会ったのは、空中をふわふわ漂う綿毛のようなマモノだった。
■登録マモノ:パフルン
種族:綿獣
属性:風
特徴:ふわふわした綿毛のような体を持ち、空中を漂う。触れるとほんのり温かい。
生態:草原や丘の上など、風通しの良い場所に浮かんでいる。群れで漂うことが多い。
性格:おっとりしていて、近づいても逃げない。風に流されるまま生きている。
保有スキル:
《浮遊》:風に乗ってゆるやかに移動する。接触しても反応は薄い。
《綿毛の癒し》:触れた相手の疲労をわずかに軽減する。
《風のくすぐり》:周囲に微風を起こし、軽いくすぐったさを与える。
コメント:浮いてるだけなのに癒される。くすぐったい。たぶん無害。
次に見つけたのは、黙々と歩き続ける小さな亀のようなマモノだった。
■登録マモノ:トコトン
種族:歩獣
属性:土
特徴:小さな四足歩行型で、常に一定の速度で歩き続ける。見た目は丸い亀に近い。
生態:道沿いや洞窟の中を、目的もなく歩き続けている。止まることはほぼない。
性格:無表情で無反応。何があっても歩き続ける。
保有スキル:
《とことこ歩き》:一定速度で歩き続ける。障害物があれば迂回する。
《地面なじみ》:土属性のフィールドで防御力が少し上がる。
《無関心》:状態異常にかかりにくいが、味方にも反応しない。
コメント:ずっと歩いてる。何考えてるのか分からない。かわいいかは微妙。
さらに進むと、羽根の集合体のようなマモノが風に乗って漂っていた。
■登録マモノ:フリリィ
種族:羽精
属性:風/音
特徴:小さな羽根の集合体のような姿。風に乗って飛びながら、微かな音を奏でる。
生態:風の通る洞窟や谷間に多く、音の反響を好む。単体行動が多い。
性格:静かで繊細。音に敏感で、騒がしい場所を避ける。
保有スキル:
《羽音のささやき》:移動時に微かな音を発し、周囲の緊張を和らげる。
《風の軌跡》:飛行時に風の流れを残し、視覚的に美しい軌道を描く。
《音の共鳴》:近くの音に反応して、音色を変化させる。
コメント:静かで綺麗。音が優しい。ずっと聞いてたい。
次に見つけたのは、水辺でじっとしている小型のクマ型マモノだった。
■登録マモノ:ミズクマ
種族:水獣
属性:水
特徴:小型のクマ型マモノで、体表が常にしっとりしている。水辺を好む。
生態:浅い池や湿地に生息し、水草を食べる。泳ぎは苦手。
性格:のんびりしていて、動きは鈍い。近づくとじっと見てくる。
保有スキル:
《しっとり毛皮》:水属性の攻撃を軽減する。乾燥すると弱体化する。
《水草もぐもぐ》:水草を食べてHPを微回復する。
《見つめるだけ》:じっと見つめることで相手の攻撃する意思を弱くする。
コメント:逆に見られてる。かわいい。水草好き。
最後に出会ったのは、石のような小さな塊がカラカラと音を立てながら転がっているマモノだった。
■登録マモノ:カラリコ
種族:音石
属性:音/地
特徴:小さな石の塊で、ぶつかるとカラカラと音を鳴らす。自力で転がって移動する。
生態:洞窟内の斜面や石畳の上で転がっている。群れで音を鳴らすこともある。
性格:無邪気で、音を鳴らすのが好き。プレイヤーの足元に集まることがある。
保有スキル:
《転がり》:転がりながら移動し、音を鳴らす。
《共鳴の輪》:複数体で集まると、音が広がって視界を揺らす。
《石の記憶》:一定時間、音を記録し、再生できる。
コメント:転がってるだけなのにうるさい。でもちょっと楽しい。足元注意。
図鑑のページが、ひとつずつ埋まっていく。 たぬまりは、ダンジョンの奥にある小さな広場で、ひと息ついた。 風が通り抜け、光苔が揺れている。 マモノたちは、遠くでのんびりと過ごしていた。
「……意外と楽しかったかも」
図鑑を閉じて立ち上がると、足取りは来たときよりも軽かった。 帰り道の階段を上がる途中、パフルンがふわりと頭上を漂っていった。 その綿毛のような姿に、たぬまりは小さく手を振った。
ユメノネの街に戻ると、夢見亭の扉を押して中へ入る。 こまちがカウンターで紅茶を淹れていて、店長は新聞を読んでいた。 常連客たちは、いつもの席でくつろいでいる。
「おかえり、たぬまりちゃん。どうだった?」
「うん、図鑑がちょっと埋まった。かわいいの多かったよ」
「暇って言ってたのに、ちゃんと出かけてえらいね」
こまちが笑いながらカップを差し出す。 たぬまりはそれを受け取り、ソファに腰を下ろした。
「でも、やっぱり……ごろごろも好き」
そう言って、図鑑を膝に置いたまま、背もたれに身を預ける。 店内には、紅茶の香りと、穏やかな時間が流れていた。
夢見亭の午後は、今日も静かに続いていく。 たぬまりの図鑑には、新しいページが増え、またひとつ、世界が広がった。
予防接種して3日は経つのですが、まだ腕が腫れてます……今年も色々流行りそうなのでみなさんもお気をつけて




