#90 レスキュー!
セレフィーネの街は、今日も静かだった。
白い石造りの建物が並ぶ通りは、観光地らしい整った美しさを保ちながらも、どこか人の気配が薄く、時間の流れが緩やかに感じられる。
たぬまりは、石畳を踏みしめながら、ゆっくりと歩いていた。
風は穏やかで、空は高く、遠くの尖塔が陽光を受けて淡く輝いている。
街の喧騒はなく、聞こえるのは足音と、時折すれ違うプレイヤーの挨拶だけ。
そんな中、ふと耳に届いたのは、歌だった。
遠くから、かすかに流れてくる旋律。
澄んだ声が、風に乗って漂ってくる。
たぬまりは、足を止めた。
歌の方向を探るように、耳を澄ませる。
旋律は、どこか悲しげで、けれど美しい。
誘われるように、たぬまりはその音の方へ歩き出した。
通りを抜け、階段を上がると、視界が開けた。
そこには、白い神殿があった。
開放的な造りで、柱が天へ向かって伸び、屋根はなく、空がそのまま天井になっている。
床は磨かれた白石で、陽光を受けて淡く光っていた。
柱の間には布が垂れ下がり、風に揺れている。
その布も白で、まるで雲の切れ端のようだった。
神殿の中心には祭壇があり、周囲には誰もいない。
歌声は、ここから響いているように感じられた。
けれど、耳を澄ませると、どうも違う。
音の反響が不思議なだけで、発信源は神殿の外のようだった。
たぬまりは、神殿の裏手へと回り込んだ。
白い石の壁を抜けると、そこには森が広がっていた。
木々はすべて白く、幹も枝も、葉までもが淡い銀白色に染まっている。
光を受けて、葉がきらきらと輝き、風が吹くたびにささやくような音を立てる。
地面には白い苔が広がり、足音を吸い込んでしまうほど柔らかい。
白い森。
その言葉が、自然と浮かんだ。
神秘的で、静かで、どこか現実離れしている。
たぬまりは、木々の間を抜けながら、歌声を追った。
やがて、森の奥に湖が現れた。
水面は鏡のように静かで、周囲の白い木々と空を映していた。
湖の縁には白い石が並び、まるで誰かが意図的に整えたような美しさがあった。
その湖の中央、浅瀬に浮かぶ岩の上に、ひとりの人物がいた。
長い髪が水に垂れ、尾ひれが揺れている。
人魚の姿。
けれど、近づいてみると、プレイヤーのようだった。
歌声は、その人魚から発せられていた。
旋律は美しく、けれど言葉に耳を傾けると、内容がはっきりと聞こえてきた。
「たすけて……」「出られない……」「ヘルプミー……」「ふえぇ……」
たぬまりは、思わず眉をひそめた。
悲しい歌だと思っていたが、これはSOSだった。
「……めっちゃ困ってるじゃん」
湖の縁まで歩き、声をかける。
「ねえ、だいじょうぶ?」
人魚のプレイヤーは、驚いたように顔を上げた。
瞳は潤んでいて、頬は少し赤い。
「……見つけてくれた……!」
「うん、歌が聞こえたから。ここ、どうしたの?」
「移動魔法使ったら……湖から出られなくなっちゃって……使い捨てのやつだったから完全に詰んでてぇ……」
たぬまりは、湖を見渡した。
確かに、周囲は森に囲まれていて、飛行も制限されているようだった。
水の中から陸に上がるには、尾ひれのままでは難しそうだ。
「魔女の箒、乗れる?」
「えっ、乗れるの?」
「試してみよっか」
たぬまりは、図鑑を開いて魔女の箒を呼び出した。
黒い柄に銀の装飾が施された箒が、ふわりと浮かび上がる。
人魚のプレイヤーは、恐る恐る近づき、尾ひれを巻きながら乗り込んだ。
「……乗れた!自分、いけます!!!」
「じゃあ、海でいい?近くにあるはず」
箒が浮かび上がり、湖の上を滑るように進む。
風が髪を揺らし、白い森が後ろへ流れていく。
人魚のプレイヤーは、たぬまりの背にしがみつきながら、ぽつりと呟いた。
「ありがとう……ほんとに動けなくてぇ……助かった!歌ってて良かった〜!!」
「歌、きれいだったよ。悲しかったけど、ちゃんと届いた」
「うれしい……あ、なんか歌のスキルも生えたわ……」
森を抜けると、視界が開けた。
白い崖の向こうに、青い海が広がっている。
波が穏やかに打ち寄せ、空と海の境界が曖昧になっていた。
箒は、崖の縁に降り立った。
人魚のプレイヤーは、尾ひれを揺らしながら、海へと滑り降りる。
「ここなら、戻れる?」
「うん、ここなら大丈夫。ありがとう、ほんとに」
たぬまりは、箒に腰を下ろしたまま、手を振った。
「歌ってたらまた会えるかも」
「じゃ、そのときは、もっと楽しい歌にするね!」
人魚のプレイヤーは、海へと潜っていった。
水面が揺れ、やがて静かになった。
たぬまりは、空を見上げた。
セレフィーネの空は、今日も高く、白い街と青い海を包み込んでいた。
風が頬を撫で、遠くで鐘の音が鳴ったような気がした。
「さて、戻ろうかな」
箒がふわりと浮かび上がり、たぬまりは白い森を背に、街へと向かって飛び立った。
静かな観光地の空に、ひとすじの軌跡が描かれていく。
高校生か中学生くらいの頃、始めたばかりのメイプルストーリーでどこまでマップを進めるのか試した結果帰れなくなり、最初のマップにワープしたくても所持金が足りず(よく覚えていませんがお金がかかるシステムだった気がする)、上級者に助けてもらったことがあります。
あのときの恩は忘れていません




