#89 モデル
夢見亭の店内は、昼下がりの光に包まれていた。
窓から差し込む柔らかな陽射しが、木の床に淡い模様を描いている。
カップの縁から立ち上る湯気が、空気の静けさを際立たせていた。
今日はシフト日。
たぬまりは、カウンター席の隅でまったりとお茶を飲んでいた。
「それでね、昨日は魔法少女店ってところに行って、色んなコスプレした」
向かいに座るこまちが、カップを持ったまま首を傾げる。
「どういうこと?」
「モデルしたの。店主が面白かった」
たぬまりは、カップの中を覗き込みながら答える。
こまちは目を丸くして、椅子の背にもたれた。
「たぬまりちゃんなら、モデルのお仕事できそうだよね」
「したことあるよ。なんとかって雑誌で、去年まではやった」
その言葉に、こまちは「えっ」と声を漏らした。
驚きの表情が、じわじわと広がっていく。
その様子を見ていた常連客たちが、ざわざわと反応し始めた。
「モデル?雑誌?」
「え、どれどれ?」
「検索してみよう!」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
たぬまりは、特に止めるでもなく、カップを傾けたまま静かに見守っていた。
「これじゃない?ロリータ系の専門誌……あ、いた!」
画面を見せられたこまちは、目を見開いて「はわわぁ!」と叫んだ。
写真の中のたぬまりは、フリルに包まれたドレス姿で、柔らかな笑みを浮かべている。
髪にはリボン、手にはレースの手袋。
背景の花々よりも、たぬまりの存在が際立っていた。
「かわいすぎる……!これも、こっちも、あっ、このポーズも!」
こまちはページをめくる手を止められず、常連客たちも「こっちの表情が好き」「いや、この衣装が最高」とワイワイ盛り上がっていた。
その騒ぎに気づいた店長が、厨房から顔を出す。
「何の騒ぎだ?」
誰かが画面を共有すると、店長はそれを受け取り、画面をじっと見つめた。
そして、ふっと笑って言った。
「やっぱり完璧だな。写真を撮られ慣れていると思っていたが、モデルの仕事のおかげか」
たぬまりは、カップを置いて、静かに頷いた。
「仕事だから、極めた」
その言葉は、飾り気がなく、まっすぐだった。
店長は「なるほどな」とだけ言って、カウンターへ戻っていった。
そのとき、NPCメイドのひとりが、たぬまりの席に近づいてきた。
スカートの裾を揺らしながら、にこにこと笑っている。
「たぬまりちゃん、もえもえキュン♡やって~」
たぬまりは、少しだけ目を細めて、いたずらっぽく笑った。
そして、椅子から立ち上がり、両手を胸の前でハートにして、声を張る。
「もえもえキュン♡」
店内が一瞬静まり、次の瞬間には拍手と歓声が巻き起こった。
「かわいい!」
「完璧!」
「もう一回!」
常連客たちは、次々とリクエストを飛ばす。
「このポーズやって!」
「あのセリフ言ってみて~!」
たぬまりは、スイッチを押したように切り替わり、次々と応えていく。
ポーズも、表情も、声のトーンも、まるで舞台の上のように自在だった。
こまちは、目を輝かせながら言った。
「たぬまりちゃん、すごすぎる……!色んな服着せたい~!!」
「今度、魔法少女の店も行こう?こまちは好きそうだったよ」
その言葉に、こまちは「行く行く!」と即答し、また話が盛り上がる。
一通り騒ぎが落ち着いた頃、たぬまりはカップを片付けて、椅子から立ち上がった。
「今日は厨房でも仕事してみるか……」
そう呟いて、カウンターの奥へと歩いていく。
厨房の扉を開けると、湯気と香ばしい匂いが迎えてくれた。
ツバキが鍋の前に立ち、黙々と作業をしている。
たぬまりは、背中越しに声をかけた。
「ツバキさんも、モデルやってたよね?」
ツバキは、鍋の火を弱めてから、ゆっくりと振り返った。
そして、ニッと笑って言った。
「あんまり言いふらすなよ」
その笑顔は、どこか懐かしかった。
たぬまりは、記憶を思い出す。
あの雑誌とは別の現場。イベント会場だったかな。
ふらりと呼ばれて行った会場で、ツバキとすれ違ったことがあった。
挨拶くらいしかしていない。
でも、あのときのツバキの立ち姿を思い出したのだ。
「思い出しただけ。言いふらしたりしないよ」
「なら、いい」
ツバキは再び鍋に向き直り、木べらを動かし始めた。
たぬまりは、エプロンを手に取り、隣に立つ。
厨房の空気は、ホールとは違って、静かで落ち着いていた。
でも、そこにも確かな温度があった。
湯気の向こうで、ツバキが小さく笑っている。
「たぬまり、卵割ってくれるか?」
「うん」
たぬまりは、卵を手に取り、ボウルの縁で軽く叩いた。
殻が割れ、黄身がとろりと流れ出す。
その音が、今日の締めくくりのように心地よかった。
夢見亭の一日は、こうして静かに続いていく。
笑い声と、紅茶の香りと、少しの秘密を抱えながら。
自分のビジュがいつもより良いとちょっと気分が良いので、自分の見た目に気を遣うのも悪くない




