#88 ビジュが良い
ログインの瞬間、たぬまりは思わず深呼吸した。
画面越しに感じる空気が、どこか澄んでいるように思えた。
風邪で寝込んでいた数日が嘘のように、身体は軽く、視界は明るい。
今日は、ただ歩くだけにしよう。
戦闘も任務もなし。
ただ、白い遺跡の街を、ゆっくりと見て回る。
門をくぐった瞬間、空気が変わった。
街の名はセレフィーネ。
その白――それは色というより、空間そのものを包み込む静けさだった。
石畳も、建物の壁も、尖塔の屋根も、すべてが白。
ただの塗装ではない。
陽光を柔らかく反射するその白は、まるで雪のように冷たく、雲のように軽やかだった。
街の中心にそびえる大聖堂は、彫刻のような繊細さを持ちながら、圧倒的な存在感を放っていた。
塔の先端は空に溶け込むように霞み、窓枠の縁には細かな文様が刻まれている。
それらすべてが白一色で統一されているにもかかわらず、陰影によって立体感が際立ち、まるで時間が止まったような静謐さが漂っていた。
たぬまりは、石畳を踏みしめながら歩いた。
靴音が、白い壁に吸い込まれていくように静かだった。
少し歩くと、露店通りに差し掛かる。
プレイヤーが自由に店を出せるエリアだ。
並ぶ店はぽつぽつと点在していて、賑わっているわけではない。
それが、ちょうどよかった。
ユメノネの露店通りを思い出す。
始まりの街だけあって、露店の数も客の数も多く、あまりの人通りに圧倒されて、たぬまりは入っていけなかった。
特に欲しいものがあるわけでもなかったし、その熱量に乗る気にもなれなかった。
でも、セレフィーネの露店通りは違う。
静かで、余白があって、歩いているだけで楽しい。
青い植物だけを扱う店。
白い服しか置いていない店。
香ばしい匂いが漂う食べ物屋。
どれも個性的で、見ているだけで面白い。
その中で、たぬまりの目を引いたのは、ひときわ異彩を放つ一軒だった。
【魔法少女店】と書かれた看板。
夜空のような濃紺の天幕が揺れている。
中に入ると、そこはまるで別世界だった。
魔法少女が持っていそうな杖をモチーフにしたアクセサリー。
天使の羽のようなの髪飾り、リボンのついたイヤーカフ、きらきらと光るブローチ。
棚には、魔法少女の世界観をそのまま閉じ込めたような雑貨が並んでいた。
どれもこれも、可愛い。
ふと、店主らしき女性と目が合った。
いや、入った瞬間から、じっと見つめられていた気がする。
目が合った途端、彼女は「はわわわわわ!!か、かわ!!!魔女ちゃん!ひっ」と叫び、目が合った事実に耐えられずに顔を隠した。
その反応に、たぬまりはくすりと笑った。
いたずら心がむくむくと湧いてくる。
そっとカウンターに近づき、頬杖をついて、店主が顔を上げるのを待つことにした。
しばらくして、気配に気づいた店主がそろりと顔を上げる。
その瞬間、彼女の顔は真っ赤になり、「ぎゃ!ビジュが良すぎる……!」と呟いて、後ろにぶっ倒れた。
「……やりすぎたかも」
たぬまりは、棚の雑貨を眺めながら、店主が戻ってくるのを待った。
星の形をしたペンダント。
月の模様が浮かぶヘアピン。
ハート型の宝石に羽の生えたステッキ。
どれも、魔法少女の世界から抜け出してきたようなデザインだった。
やがて、店主が戻ってきた。
たぬまりは、軽く頭を下げて言った。
「遊びすぎた。ごめんね」
店主は慌てて手を振りながら、「大丈夫です!」と答える。
そして、何かを思いついたように、目を輝かせて言った。
「あの、魔法少女ものアニメの衣装をゲーム内で再現したんですけど、良ければモデルになってもらえませんか……!」
たぬまりは、少しだけ考えてから、頷いた。
まぁ、それくらいならいいか。
すると、店主はとんでもない量の衣装を次々と取り出し始めた。
ピンクのフリルがついたワンピース。
星の刺繍が施されたケープ。
羽根のような装飾がついたブーツ。
どれも、細部までこだわり抜かれていた。
……そして、思っていたよりもだいぶ量が多い。
店主はヘアメイク魔法を使えるらしく、髪型や髪色まで自由自在に変えていく。
たぬまりの髪がふわりと揺れ、淡いラベンダー色に染まったかと思えば、次の瞬間にはピンク色のツインテールに変わっていた。
「これもいい……!こっちも似合う!これも最高!!」
店主は大興奮しながらスクショを撮っては着替えさせ、忙しく動き回る。
たぬまりはされるがまま。
言われたとおりにポーズをとり、知っている作品の衣装ではセリフ付きで再現する大サービス付き。
そのたびに、店主は「はぎゃああああ!!」と叫びながら床に崩れ落ちた。
「……また倒れた。面白すぎる」
たぬまりは、鏡の前でくるりと回ってみる。
スカートの裾がふわりと広がり、光を受けてきらめいた。
魔法少女の衣装は、着てみると意外と動きやすい。戦えそうだ。
そして、何より楽しいね。
店主は、床から這い上がりながら言った。
「ほんとに……ほんとにありがとうございます……!スクショ、宝物にします……!」
「そんなに喜んでくれるなら嬉しい」
たぬまりは笑いながら、元の姿に戻してもらった。
髪色も、服装も、いつものたぬまりに。
でも、心の中には、魔法少女のきらめきが少しだけ残っていた。
店を出ると、セレフィーネの空は淡く染まり始めていた。
白い街が、夕暮れの光を受けて、ほんのりと桃色に染まっている。
石畳が、柔らかく光を返し、尖塔の影が長く伸びていた。
たぬまりは、そっと息を吐いた。
今日は、ただ歩いて、遊んで、笑った。
「今度はもうちょっとお店の物見せてもらおう」
そう呟いて、たぬまりは街の奥へと歩き出した。
白い遺跡の街セレフィーネは、静かにその背中を見送っていた。
子が体調を崩して看病していたら1日投稿をスキップしていました……!前回の話がフラグになるとは……。
この間、初めて「今日ビジュいいじゃん♪」って歌詞の曲を聴いたんですけど、なんかそのフレーズが頭から離れなくなってしまいました。




