#85 迷子
夢見亭の扉が開いた瞬間、店内の空気が少しだけ緊張した。
遠征組が帰ってきたのだ。旅の気配をまとった数人が、午後の光の中に立っている。
その中のひとり、ひがちーが入ってくるなり、たぬまりに向かって声を上げた。
「ねぇ、たぬまり。そのチョーカーの精霊、どこ行ったの?」
唐突な問いに、たぬまりは思わず目を見開いた。
「……ルル?」
ひがちーの傍らには、召喚された狼が静かに歩いていた。
その瞳が、たぬまりの胸元にあるチョーカーをじっと見つめている。
精霊の気配を察知できるらしく、何かが欠けていることに気づいたようだった。
サキが椅子に腰を下ろしながら、静かに問いかける。
「その、最後にルルを見たのって、いつだった?」
たぬまりは、記憶をたぐった。
夢見亭のカウンターで紅茶を飲んでいたとき?
いや、もっと前。魔女のお茶会のときが最後かもしれない。
「……そんな前からいないの?」
自分でも驚いて、声が小さくなる。
雑な扱いで怒って家出したのでは……という考えが頭をよぎる。
その可能性に、たぬまりは冷や汗をかいた。
「たぬまりちゃん~、大丈夫よ~!」
モモがふわりと寄ってきて、肩に手を置く。
「ルルちゃんが好きなものってなあに?たぬまりちゃんのことが嫌になったんじゃなくて、好きなものに釣られちゃったのかもしれないよ?」
その言葉に、少しだけ救われる。
ルルは、金属や光るものが好きだった。
でも、そんなものは夢見亭にもあるはずなのに。
「ルルは冒険に役立つ能力じゃないし、今は別に居ても居なくても……」
ツバキが言いかけた瞬間、こまちが紅茶ポットを持ち上げて遮った。
「あー!!紅茶のおかわりはいかが??」
店内に一瞬の沈黙が走り、次いで苦笑いが広がる。
たぬまりは、椅子に腰を下ろしながら、チョーカーを指でなぞった。
ルルの気配は、確かに感じられない。
その夜、たぬまりは一人で探しに出た。
リーフェンの街へ向かう。
カジノの煌びやかな照明が、夜の空気を切り裂くように輝いている。
ルルが好きそうな金属の音、光の反射。
でも、どこにも姿はなかった。
次に訪れたのは、最初にルルと出会った遊戯室。
夜の帳が降りた空間に、ふよふよと浮かぶ光があったはず。
今は、静まり返っている。
誰もいない。
ルルの気配も、見当たらない。
「……どこ行ったの」
呟きながら、たぬまりは学ラブ!の店へ向かった。
オーナーのヨルに事情を話し、店内を探させてもらう。
棚の隙間、ステージの裏、照明の影。
どこにもいない。
「むーん……」
たぬまりは、頭を抱えた。
他に、金ぴかなところ……そうだ、妖精女王のところ。
あそこなら、ルルが惹かれるものがあるかもしれない。
妖精の領域に足を踏み入れた瞬間、たぬまりは捕まった。
「私に会いたくて来たの~?うれしい~♡」
妖精女王が、満面の笑みでぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。
たぬまりは、息が詰まりそうになりながらも必死に言った。
「うお、あの、ルルを探していて……!」
女王は腕を緩め、少しだけ顔を傾ける。
「そうなの?このチョーカーのねぇ……ふーん?私は連れて行ってないのに、他のヤツはたぬまりと一緒なんだぁ」
その言葉に、たぬまりは気まずくなる。
女王の視線は、チョーカーではなく、たぬまりの胸元に潜むリリに向いていた。
嫉妬の対象は、今もふよふよと光るルルだったのだ。
「ねぇ?手伝ってあげようか?私は精霊を探せるよ♡」
女王の声は甘く、誘うようだった。
たぬまりは、勢いよく頭を下げる。
「お願いします!」
「その代わり~たぬまりは……」
女王が耳元に口を寄せて、何かを囁く。
たぬまりの顔がみるみるうちに曇る。
嫌というほどではないが、できれば避けたい内容だった。
それでも、頷いた。
「やったぁ♡」
女王は嬉しそうに手を叩き、魔法を発動した。
辺りが明るくなり、景色が一瞬で変わる。
黒い植物が生い茂る森。
木々の間には、カボチャのランタンが灯されている。
ゴシックで、どこかハロウィンのような雰囲気。
魔女のお茶会が開かれた場所だ。
「このあたりから気配を感じるのよね~」
女王が言う。
たぬまりは、森の奥へと足を踏み入れる。
お茶会テーブルの上に、ふよふよと光る何かが浮かんでいた。
その周囲には、三人の魔女が座っている。
「……ルル?」
たぬまりが近づくと、光る存在がゆっくりとこちらを向いた。
チョーカーの精霊、ルルだった。
金属のティーセットに惹かれて、ふよふよと漂っていたらしい。
魔女たちは、そんなルルを面白がっていた。
「この子、ずっとティースプーンの上に乗ってたのよ」
「かわいいから、しばらく眺めてたの」
「でも、そろそろ飽きたわね」
たぬまりは、ルルに手を伸ばす。
「……ごめんね。探したよ」
ルルは、ふよふよとたぬまりのチョーカーに戻り、微かに光る。
「帰ろう」
女王は、満足げに頷いた。
「じゃあ、約束、忘れないでね♡」
その言葉に、たぬまりは小さくため息をついた。
何を約束したのかは、誰にも言えない。
自分でも、あまり思い出したくない。
夢見亭に戻ると、店内はいつもの空気に包まれていた。 こまちが紅茶を淹れ、ツバキが厨房から顔を出す。 モモが「おかえり~」と手を振る。
たぬまりは、チョーカーを撫でながら、椅子に腰を下ろした。
ルルは、静かに光っている。 リリが「リリ……」と鳴いた。
妖精女王は、たぬまりお気に入りのソファに座って何かを企んでいるようだった。
たぬまりは、カップを両手で包みながら、静かに息を吐いた。 ルルはチョーカーを揺らして、まるで「ただいま」と言っているようだった。 リリは膝の上でぬるりと動き、たぬまりの体温に寄り添うように落ち着いている。 店内は、いつも通りの穏やかな空気に包まれていた。
妖精女王は、夢見亭の奥のソファにふわりと腰を下ろしていた。 その姿は、まるでこの店の常連かのように自然で、けれどどこか異質な華やかさをまとっている。 カップを受け取ると、香りを楽しむように目を細めた。
「ふふ、ここの紅茶って、意外と悪くないのね」
こまちはカウンターの奥で、女王の動きをちらちらと気にしている。 ツバキは厨房から顔を出し、女王の姿を見て眉をひそめたが、何も言わずに厨房に戻った。
「ねえ、たぬまり」
女王が、ふいに声をかけてくる。 その声は、紅茶の香りのように甘く、どこか含みを持っていた。
「ルルちゃん、戻ってきてよかったわね。……でもぉ、私のことはずぅ~っと放ってたわね?」
たぬまりは、少しだけ目を伏せる。 女王の言葉には、ほんのりとした嫉妬が混じっていた。 妖精女王はなかなか妖精の花園を離れられないが、たぬまりに放っておかれたことがどうやら気に入らなかったらしい。それは分かるがちょっと話を逸らす。
「ルルは……その、ちょっと、気まぐれだからどこかへ行っちゃったのが心配で……」
「そうね。気まぐれな子って、可愛いけど、ちょっと困るわよね」
女王は、カップを傾けながら微笑んだ。 その笑みは、どこか含みのあるものだった。
「約束は守ってもらうからね。たぬまり♡」
「……はい」
たぬまりは、カップを置いて、そっと頷いた。
こまちが、カウンター越しに声をかける。
「たぬまり、次の街の準備、どうする?」
「うん……レムストーンをどうにかしないと、通れないから」
ツバキが顔を出して言う。
「遠征組の中に、戦闘職がいるだろ。声かけてみるか?」
「それなら……ちゃんと戦い方、教えてもらいたいかも」
ひがちーが手を挙げる。
「じゃあ、手伝おうか?おもしろそーだし!」
女王は、紅茶を飲み干して、ふわりと立ち上がった。
「じゃあ、私もついていくわ。約束の続きもあるしね♡」
たぬまりは、思わず「マジか」という顔をした。 けれど、何も言えずに、ただ頷いた。
リリが「リリ……」と鳴いた。 ルルは、チョーカーの上で静かに光っている。
夢見亭の午後は、少しだけ騒がしく、けれど確かに前へ進んでいた。
土日祝日の更新をお休みします。
次回更新は10/14 12:00です。
大好きなひがちーと一緒に冒険だぞ!




