#81 合体
夢見亭の朝は、焼きたてのドーナツの香りと、魔力糸のきらめきに包まれていた。 ツバキが厨房で星のかけらを練り込んだ生地を揚げている音が聞こえ、奥の作業部屋ではこまちが銀の魔女帽子の縁に刺繍を施している。もうすぐ仕上がりそうだ。たぬまりはカウンターの隅で、インベントリを開いていた。
「……あれ?」
画面の端に、見慣れない通知がひとつ。 サバイバルイベントの報酬受け取り。すっかり忘れていた。指先でそっと触れると、淡い光が広がり、報酬一覧が表示された。
まずは参加者全員への記念品。 掌に乗るほどの小さな模型。イベント島の地形を忠実に再現したもので、崖や滝、ボスマモノの巣まで細かく作り込まれている。けれど、ふと棚を見ると、同じものがすでに飾られていた。
「……誰か、もう受け取ってたんだ」
たぬまりは模型をそっとインベントリに戻した。飾る場所がないなら、しばらくはインベントリの肥やしになるだろう。
次に、ランキング上位者への特別報酬。 たぬまりは、イベントの二日目まではサーバー内で一位だった。けれど、最後のボスマモノ戦で本職の戦闘員に抜かされてしまい、最終的には三位。悔しさはあるけれど、あれだけの戦闘をこなして三位なら、十分に誇れる結果だった。
報酬は、マモノのたまご。 淡い光を帯びた卵型のアイテムが、インベントリの中で静かに揺れている。説明には「魔力を与え続けることで孵化する」とある。しかも、魔力を注ぎ始めるとインベントリには戻せなくなるらしい。
「……面白そう」
たぬまりは、何も考えずにたまごを取り出した。 掌に乗せると、ひんやりとした感触が伝わってくる。魔力を少し流してみる。けれど、反応はない。たまごは静かに光るだけで、何の変化も起きなかった。
「え、こんなに入れても足りないの?」
魔力の注入は、思った以上に時間がかかるようだった。 たぬまりは、たまごを手に持ったまま、少しずつ魔力を注ぎ続けることにした。けれど、ずっと手に持っているのは不便すぎる。
その姿を見た店長が、カウンター越しに声をかけてくる。
「たぬまり、魔女のお茶会もそのたまごを持ったまま行くつもりか?」
「アッ」
たぬまりは固まった。 確かに、ずっと手に持っているのは無理がある。どうしよう。
ふと、視線がマモノ図鑑に向かう。 図鑑は、ふよふよと浮かびながら、たぬまりの視線に気づいて後ずさりした。嫌な予感がしたらしい。
「……乗せてみよか」
たぬまりは、図鑑を開いて、たまごをそっと乗せた。 バランスは悪くない。けれど、少し傾いたら落ちそうだ。そこで、たぬまりはチョーカー《スターリンク》を外した。
チョーカーの中に宿るルルが、ブルブルと震えている。 意思を伝えようとしているのだろう。けれど、たぬまりは無視した。チョーカーを使って、たまごを図鑑に固定する。
マモノ図鑑、たまご、チョーカー(ルル)。 三者が合体した、少し可哀そうな構造が完成した。けれど、これで両手が自由になった。たぬまりは満足げに頷いた。
銀のドレスを身に纏い、こまちが強化した魔女帽子を被る。 鏡の前で一度だけ身だしなみを確認し、夢見亭の扉を開いた。後ろには、ふよふよと浮かぶ、元気のない合体図鑑がついてくる。
外に出ると、たぬまりは魔女の招待状を取り出した。 宙に掲げると、招待状が淡く光り、どこからかリンリンとベルの音が響いてくる。音の方を振り向くと、カボチャの馬車がゆっくりと近づいてきた。
馬車の形をしているが、馬は見当たらない。 どうやら自走しているらしい。カボチャの車?パンプキンカー?扉が勝手に開いたので、たぬまりは乗り込んだ。中はふかふかのクッションが敷き詰められていて、運転席らしきものはない。不思議な乗り物だった。
しばらくすると、馬車は黒い植物の生える森に到着した。 木々の間にはカボチャのランタンが灯されていて、ゴシックでハロウィンチックな雰囲気が漂っている。ノクティルカに似た空気感。けれど、もっと静かで、魔女たちの気配が濃い。
馬車を降りると、たぬまりが案内されたのは、森の奥に置かれた一枚の円卓だった。 紫のベルベットが波打つように敷かれたそのテーブルは、まるで夜空を閉じ込めたような艶を放ち、周囲には黒いキャンドルと彫刻されたかぼちゃたちが静かに灯っていた。ランタンの光が揺れるたび、テーブルの上の菓子たちが魔法のようにきらめく。
その中にたぬまりの手土産であるミルキーウェイドーナツもそっと並べた。
中央には、ティアトレイがそびえている。 蜘蛛の飾りが絡みついたその塔には、星型のクッキー、紫のマカロン、魔女帽子のトッパーが乗ったカップケーキが並び、まるで魔女たちの小さな領域を象徴するかのようだった。下段には、黒バンズのミニバーガーや渦巻き状のパイ、赤い果実が乗ったタルトが並び、甘さと塩気が絶妙に混ざり合っていた。
その隣には、ひときわ目を引くグラスパフェが置かれている。 層になったゼリーとホイップの間に、葡萄の粒が星のように散りばめられ、頂にはコウモリ型のクッキーが翼を広げていた。紫の皿に乗せられたその姿は、まるで魔女の塔そのもの。たぬまりは、そっとスプーンを入れながら、甘さの奥に潜む微かなスパイスに驚いた。
テーブルの端には、古びた魔導書が台座のように置かれ、その上に青と白のムースケーキが鎮座していた。 その表面には、魔法陣のような模様が描かれ、周囲にはナッツの菓子やチョコレートトリュフが並ぶ。小さな白いスプーンには、キャンディの目玉が乗ったマモノ風のムースがちょこんと座っていて、いたずら好きな精霊たちがこっそり忍び込んだような雰囲気を醸していた。
グラスには白ワインが注がれ、光を受けて淡く揺れている。 その隣には、葡萄とアイスが盛られたデザートグラスが並び、魔女たちがそれぞれの好みで選んでいた。風の魔女は柑橘の香りを好み、炎の魔女はスパイスの効いた焼き菓子を手に取る。
変化の魔女チェイ・ジーは、ドーナツを手に取り、香りを嗅いでから、ひと口かじった。目を細めて、しばらく味わってから、ぽつりと呟いた。
「甘い星だ……あの店で作って貰ったのか?」
たぬまりは微笑んだ。
「そう、夢見亭でツバキが焼いてくれたの」
「やっぱり。前に訪れたときも良い香りがしてたんだ」
チェイ・ジーは他の魔女たちにも勧めながら、たぬまりのドレスに目を留めた。
「銀の魔女、似合ってるよ。肩書きに負けてない」
「ありがとう。まだちょっと慣れてないけど……」
「慣れなくていい。そのままで、十分魔女らしいからな」
その言葉に、たぬまりは少しだけ背筋を伸ばした。 お茶会は、ゆるやかに、そして賑やかに進んでいく。魔女たちの話題は、魔法の研究、最近の異変、好きな香り、そして次の集会のこと。たたぬまりは、紅茶のカップを両手で包みながら、魔女たちの会話に耳を傾けていた。 話題は次々と移り変わる。最近の魔法研究の成果、領域の気候変動、使い魔のいたずら、そして次回の集会の開催地について。誰もが自分の言葉で語り、誰もが他者の言葉に耳を傾けていた。そこには、競争も上下もなく、ただ魔女たちの静かな連帯があった。
魔女たちは、笑い声とともにティーカップを傾け、時折魔法の小技を披露しながら、午後のひとときを過ごしていた。 そのテーブルは、ただの食卓ではなかった。魔女たちの記憶と魔力が編み込まれた、ひとつの儀式の場だった。
たぬまりは、図鑑の上に固定されたたまごに視線を落とした。 魔力は少しずつ注がれている。けれど、たまごはまだ沈黙を保っていた。光の揺らぎも、温度の変化もない。ただ、たぬまりの魔力を受け止めながら、静かにそこにあるだけだった。
「……気長に育てるしかないか」
そう呟いたとき、隣の席に座っていた魔女がちらりとたぬまりを見た。 彼女は、髪に小さな羽根飾りをつけた、風の魔女だった。
「それ、マモノのたまご?」
「うん。もらったばかりで……まだ、生まれなさそう」
「そういうのは、急いじゃだめね。気長に待つしかないわ」
たぬまりは、少しだけ笑った。
「そうだね。焦っても、いいことないもんね」
風の魔女は、ふわりと笑って、カップを傾けた。 その仕草が、風そのもののように軽やかだった。
お茶会の終盤、魔女たちはそれぞれの席から立ち上がり、別れの挨拶を交わし始めた。 たぬまりも、帽子の位置を整え、ドレスの裾を軽く払ってから、ゆっくりと立ち上がった。
チェイ・ジーが近づいてきた。 彼女は、たぬまりのドーナツの箱を手に持ち、最後のひとつを眺めていた。
「これ、持ち帰るぞ。」
「もちろん。気に入ってくれたなら嬉しいよ。約束したしね」
「ありがとう。……たぬまり、また会えるか?」
「うん。次の集会でもいつでも」
森の出口に向かうと、カボチャの馬車が待っていた。 扉が開き、ふかふかのクッションがたぬまりを迎える。乗り込むと、馬車は音もなく動き出した。窓の外には、黒い植物の森がゆっくりと流れていく。
図鑑は、たまごを乗せたまま、ふよふよと後ろをついてくる。 チョーカーの銀糸が、夕暮れの光を受けてきらめいていた。ルルの気配は、どこか沈黙している。……正直すまんかった。
夢見亭の灯りが見えてきた。 馬車が静かに止まり、扉が開く。たぬまりは銀のドレスの裾を整え、帽子の位置を直してから、ゆっくりと降り立った。
店の扉を開けると、ツバキが厨房から顔を出した。
「おかえり。どうだった?」
「うん、楽しかった。みんな、優しかった」
「そりゃよかった。ドーナツ、評判よかったろ?」
「うん。チェイ・ジーがすごく喜んでたし、全部なくなっちゃった!」
ツバキは満足げに頷き、こまちは奥から顔を出して、帽子の縁をもう一度確認してくれた。
「銀の魔女姿、似合ってたよ~~!」
「こまち、本当にありがとう」
たぬまりは、図鑑の上のたまごをそっと撫でた。 まだ何も生まれていない。けれど、確かに命の気配はそこにある。それは、焦って引き出すものではなく、日々の中で育てていくもの。
夢見亭の夜は、静かに更けていった。 たぬまりは図鑑の上のたまごを見つめながら、ログアウトした。




