#■3 旧■の印
夢見亭の店内は、午後の静けさに包まれていた。カウンターではこまちが、ハーブティーの葉を丁寧に選んでいた。窓から差し込む光が、木の床に柔らかな模様を描いている。
その一角、ソファにたぬまりが転がっていた。 端末を片手に持ち、画面を見つめたまま、うなり声を漏らしている。
「うぬぬぬ……」
画面には、赤い文字が浮かんでいた。
【未登録素材:第四波動体 位置不明】
ユリウスから受けたクエスト。 素材名と必要数だけが記されていて、たぬまりは順に集めてきた。グリムスパインの黒粉、エコーハウンドの粒子、スレッドワームの繊維。どれも手間はかかったが、図鑑と足を使ってなんとか揃えた。だが、最後の「第四波動体」だけが、どこを探しても見つからない……。
何と言っても、ヒントが何もないのだ。
「たぬまりちゃん、大丈夫?」
こまちが、カウンター越しに声をかける。 たぬまりは返事をしない。ただ、端末を持ったまま、ソファに沈んでいる。
その様子に、常連たちがざわめき始めた。
「また変な素材で詰まってるのか?」
「第四波動体って、聞いたことある?」
「波動って、魔力系か?それとも音響系?」
わいわいと議論が始まる。 たぬまりは一言も発さないまま、話は勝手に進んでいく。誰もがそれぞれの知識を持ち寄り、あれこれと推測を重ねる。けれど、どれも決定打にはならない。
「これなんてどうだ?前に出てきた“共鳴核”って素材、名前似てるし」
「いやー、それは関係ないんじゃないか。波動体って、もっと根源的な感じするし」
「もしかして、未実装なんじゃ……」
「それ言ったら終わりだろ!」
笑いが起きる。 けれど、たぬまりの表情は変わらない。目だけが、画面の赤文字をじっと見つめていた。
「ユリウスって、何かヒントくれなかったの?」
こまちがそっと尋ねる。 たぬまりは、首を横に振った。ユリウスは、素材名を並べただけで、場所も性質も一切説明しなかった。質問しても「それは君の役目だ」とだけ返されて終わった。
「それにしても、波動体って何なんだろうな……」
誰かが呟き、また別の誰かが「波動って言うくらいだから、振動系の何かじゃない?」と返す。 議論は続くが、どれも憶測の域を出ない。
そのとき、カウンターの奥にいた年配の常連が、ぽつりと呟いた。
「図書館に行ってみたらどうだ?」
その言葉に、たぬまりの耳がぴくりと動いた。 顔を上げることはなかったが、ソファからゆっくりと起き上がり、画面を閉じた。
「うん……行ってみる。ありがと」
それだけ言って、たぬまりは夢見亭を後にした。
向かった先は、尖塔とステンドグラスが並ぶゴシック調の街——ノクティルカ。 ユメノネ以外で、たぬまりがそこそこ詳しい街はここだけだった。かつて、名前を探してさ迷い歩いた街だ。確か、中央広場の近くに、古い図書館があったはずだ。
街に入ると、空気が一変する。 夢見亭の柔らかさとは違い、ノクティルカは冷たい石造りの建物が並び、風が尖塔の間を抜けていく。ステンドグラスに差し込む光が、道を虹色に染めていた。
たぬまりは、記憶を頼りに歩いた。 広場の噴水を越え、時計塔の影を抜け、石畳の坂道を登る。やがて、重厚な扉の前にたどり着いた。扉には、金属の装飾が施されており、中央には羽根の形をした紋章が彫られていた。
「……ここだ」
扉を押すと、軋む音が響いた。 中は薄暗く、天井まで届く本棚が並んでいた。空気は静かで、紙とインクの匂いが漂っている。受付には誰もいない。たぬまりは、そっと足を踏み入れた。
資料検索端末を見つけ、キーワードを入力する。
【第四波動体】
検索結果は——ゼロ。
「……うぬぬぬ」
また、あのうなり声が漏れた。 けれど、たぬまりは諦めなかった。今度は、関連しそうな言葉を片っ端から入力していく。
【波動】【未登録素材】【根源】【エネルギー】【共鳴】【■神】【■ルダー■イ■】【銀の鍵】【門】
いくつかの資料がヒットした。 その中に、一冊だけ、タイトルに「波動体」の文字が含まれているものがあった。後半の単語は入力してないはずなんだけど……■■■■?
『魔力波動体の構造と分類』
たぬまりは、その本を探して棚を巡った。 見つけたのは、奥の方、埃をかぶった棚の中段。革張りの表紙に、金文字でタイトルが刻まれていた。
ページをめくると、難解な専門用語が並んでいた。 けれど、たぬまりは根気強く読み進めた。図鑑を扱う者として、こういう資料には慣れている。
やがて、一節が目に留まった。
「第四波動体とは、既存の魔力波動の分類に属さない、特異な振動構造を持つ未確認体である。記録例は少なく、主に夢境領域にて観測されたとされる」
「夢境領域……?」
たぬまりは、ページを閉じた。 夢境領域——それは、ユリウスのクエストに出てきた言葉ではなかった。つまり、これは自分で見つけた新しい手がかりだった。
「……やっと、糸口が見えたかも」
たぬまりは、図書館を後にした。 外に出ると、空は夕焼けに染まり、尖塔の影が長く伸びていた。ステンドグラスが赤く輝き、風が静かに吹いている。
「夢境領域……どうやって行くんだろ」
その問いに、答えはまだない。 けれど、たぬまりの足取りは軽かった。煮詰まっていた思考が、少しずつほどけていくのを感じていた。
そして、夢見亭に戻ったとき—— こまちが、笑顔で迎えてくれた。
「おかえり、たぬまりちゃん。何か分かった?」
たぬまりは、ソファに腰を下ろし、図鑑を開いた。 ページが光り、風が巻き起こる。そこには、まだ空白のままの素材欄があった。
「……夢境領域って、どうやって行くのかな」
たぬまりの声は、図鑑のページを見つめながらぽつりとこぼれた。 その言葉に、近くの席にいた常連たちが顔を上げる。
「夢境領域?なんだそれ」
「聞いたことないな……地名か?それとも異界系?」
「図鑑に出てきたの?」
こまちが湯気の立つカップをそっとたぬまりの前に置いた。
「それ、図書館で見つけたの?」
たぬまりは、うなずいた。
「“第四波動体”って素材、図鑑が示してる。でも、どこにも情報がなくて……。図書館で見つけた資料に、夢境領域って言葉が出てきた。そこに、観測例があるって」
「観測例ってことは、誰かが見たってことか」
「でも、領域って言うくらいだから、普通のフィールドじゃないよな」
「異界転移系のスキルで行ける場所かも?」
常連たちの推測は止まらない。 たぬまりは、図鑑のページを指でなぞる。そこには、三種の素材の記録が並び、その下に空白の欄が続いていた。そして、赤い文字がひとつだけ浮かんでいる。
【未登録素材:第四波動体 位置不明】
「ユリウスは何も知らないの?」
こまちが尋ねる。 たぬまりは、少しだけ口元をゆるめて首を横に振った。
「素材名は彼が出した。でも、これだけは“図鑑が勝手に反応した”って言ってた。三種の素材を揃えたとき、図鑑が変化して……そのときに出てきたのがこれ」
「じゃあ、図鑑が自分で見つけたってこと?」
「素材が共鳴して、次の段階に進んだ……みたいな?」
「図鑑って、そんなに賢いのか……」
誰かがぼそりと呟く。 たぬまりは、図鑑をそっと閉じた。表紙には、鍵穴が浮かんでいる。ユリウスの温室で、三種の素材が揃ったときに現れたものだ。今では、夢見亭への帰還機能として使えるようになっている。
「記録例があるってことは、■かがそこに行ったってこと。なら、行ける方法があるはず」
たぬまりは、再び図鑑を開いた。 ページが光り、風が巻き起こる。素材欄の下に、うっすらと新しい枠が浮かび上がっていた。そこには、まだ何も記されていない。けれど、ページの端に、小さな印が刻まれていた。
「……これ、前はなかった」
「たぬまりちゃん……なんか、いや……なんだろう?印?何かのマーク?」
こまちが覗き込む。
「夢境領域の記録に、似た形があった。図書館の本に載ってた地図の端に、同じ印があった気がする」
「じゃあ、その地図をもう一度見に行けば?」
たぬまりは、うなずいた。
「うん。ノクティルカの図書館、もう一度行ってみる。今度は、地図を探す」
「付き合おうか?」
「いや、図鑑と一緒に行ってくる」
常連たちは、静かに頷いた。 たぬまりは、図鑑を抱えて立ち上がる。ソファのクッションがふわりと戻り、彼女の足音が木の床に響く。
「行ってらっしゃい」
「いい手がかりが見つかるといいな」
「夢境領域、なんかロマンある名前だよな」
たぬまりは、扉の前で一度だけ振り返った。 こまちが、カウンター越しに微笑んでいる。常連たちは、それぞれの席から手を振っていた。
「……行って■る」
扉が開き、光が差し込む。 たぬまりの旅は、まだ続いている。けれど、確かに新しい章が始まっていた。図鑑と銀の鍵を手に、未登録の素材を探す旅が。そしてその先に、夢■領域という未知の場所が待っている。
【未登録素材:第四波動体 ■■■■】
その文字は、もうただの■ではなかった。 ■■べきもの。■すべき記録。たぬまりの図鑑が、次のページを開こうとしている。
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