#64 暗闇
※現実メインのお話
夏のはずなのに、館の空気は冷たい。 嵐に閉ざされた洋館の中は、外の湿気とは違う、石造り特有のひんやりとした静けさに包まれていた。窓の外では風が唸り、雨が容赦なく打ちつけている。雷鳴が遠くで鳴り、時折、稲光が館の影を揺らした。
たぬまりは、鏡の前で服の裾を整えていた。 黒を基調にしたクラシカルなメイド服。露出は少なく、胸元には繊細なレースがあしらわれている。備え付けの服だというが、サイズもぴったりで、意外と着心地が良い。水着のままではさすがに居心地が悪かったので、借りられて助かった。
「……なんか、似合ってるかも」
小さく呟いて、くるりと一回転してみる。スカートがふわりと広がった。 そのまま、夕飯づくりの手伝いに回る。管理人の老夫婦が台所を仕切っていて、たぬまりは野菜を切ったり、皿を並べたりしていた。包丁の音が心地よく響く。嵐の夜でも、こうして誰かと一緒に作業していると、少し安心できる。
そのときだった。
「きゃあああああああっ!!」
ホールから、甲高い悲鳴が響いた。 たぬまりは包丁を置いて、慌てて駆けつける。ホールの中央には、へたり込んだ女性がいた。肩を震わせ、目を見開いている。彼女は、近くに遊びに来ていた大学生4人組の一人だった。
「どうしたんですか!?」
たぬまりが声をかけると、彼女は震える指で、ホールの隅を指した。 その先には、黒く濡れた塊があった。近づいてみると、それはイノシシの死骸だった。腹部が裂け、泥と血が混ざったような臭いが漂っている。
「い、イヤァアアア!!」
女性陣が一斉に叫ぶ。誰かが後ずさり、誰かが目を覆った。 たぬまりも思わず息を呑んだ。どうしてこんなものが館の中に?誰が持ち込んだ?まさか、あの男……?
「……あの男もこうなったってこと……?」
誰が言ったか分からない。 けれど、その言葉はホールに重く響いた。誰もが黙り込み、ただ雨音だけが聞こえていた。
その直後だった。
雷鳴が轟き、館全体が震えた。 その衝撃か、飾ってあった古いオルゴールが突然動き出した。蓋が開き、歯車が回る。流れ出したメロディーは、聞いたことのないはずなのに、どこか懐かしく、そして不安を掻き立てる音だった。
「これはわらべ歌。昔のお話。」
たぬまりと一緒に来ていた海の家スタッフの一人が、ぽつりと呟いた。 すぅと息を吸い、オルゴールに合わせて歌い始める。
ひとり とびだす 嵐のなかへ 波が呼んだか 風がさらったか 四人 雷鳴 ひかりのあとに 声も姿も 見えなくなった ふたり こもって 部屋の奥 扉は開かず 返事もないまま のこるは 三人 息をひそめて だれが だれと ここにいる?
たぬまりは、背筋が凍るのを感じた。 なんで、急に歌うの……?そんな不穏な歌……ある?????今もしかして動画の企画とかでドッキリされてる?????頭の中で疑問符が暴れ回る。
けれど、周囲は真剣だった。 誰も笑っていない。誰も冗談だと言わない。たぬまりが考え事をしている間に、話は進んでいた。
大学生の4人が、館内を捜索するというのだ。 イノシシの死骸も、きっとあの男の仕業で、質の悪いイタズラなのだと。そう決めつけて、懐中電灯を手にして出て行った。
ホールに残されたのは、ろうそく一本。 たぬまりと、海の家スタッフのもう一人。そして、館の管理をしている老夫婦の二人。
「私たち、海の家に遊びに来てたんです。それで……」
そんな世間話をして、時間を潰す。 外では雨が窓を打ちつけ、雷が空を裂いている。時折、館の中をうろつく懐中電灯の光が見え、4人がまだ館内にいることが確認できて、少しだけ安心した。
しかし——
ひときわ大きな雷鳴が響き、稲光が館を照らした瞬間。 懐中電灯の光が、すべて消えた。
「……え?」
たぬまりは立ち上がり、窓に駆け寄る。 辺りを見渡すが、光はない。誰の気配もない。探しに行こうとすれば、老夫婦に止められた。
「館に慣れた私たちが行きますから」
「お嬢さんたちは、ここで固まっていた方がいい」
その言葉に、反論できなかった。 たぬまりは、再びソファに座る。膝を抱えて、ろうそくの火を見つめる。炎が揺れるたび、壁の影が踊る。
しばらくして、老夫婦のうち二人が、とある部屋に入った。 「すぐ戻ります」と言っていたが、戻ってこなかった。
ろうそくの火は、もともと短かく、 芯が沈み、炎が小さくなり、最後にふっと消えた。
辺りは、本当に真っ暗になった。
「……ねぇ、みんな居る?」
たぬまりの声が、闇に溶ける。
「……居るよね?」
返事は、すぐには返ってこなかった。 ただ、雨の音だけが、窓の外で鳴り続けていた。




