#63 夏のはじまり
※現実メインのお話
大学が夏休みに入った。 たぬまりは、カレンダーに赤い丸をつけながら「よし、シフト増やすぞ」と意気込んでいた。夢見亭の寮で暮らすようになってから、衣食住の心配はなくなった。けれど、学費や通信費は相変わらず重くのしかかってくる。夏休みは稼ぎ時。たぬまりは、店長に「もっと働きたいです!」と元気よく申し出た。
「じゃあ、海の家行ってみるか」
店長の返答は、予想外だった。
「えっ、海の家……ですか?」
「うちが出してる出張店舗。毎年やってるんだ。今年は人手が足りなくてな。たぬまり、向いてると思うぞ」
向いてるか……?たぬまり、そうは思えませんが。
たぬまりは首を傾げながらも、断る理由はなかった。海なんて久しぶりだし、楽しそうかも?
数日後、たぬまりは海辺の仮設店舗に立っていた。 制服は黒のビキニに、白のフリル付きウェストエプロン。最初は「だ、騙された……?」と戸惑ったが、周囲のスタッフも同じ格好だったので、次第に慣れていった。
「いらっしゃいませ〜!」
声を張れば、いつもの接客と変わらない。 ただ、海の客層は夢見亭とはまるで違った。
「ねぇお姉さん、写真撮っていい?」
「連絡先教えてくれたら、毎日来るよ?」
「その水着、似合いすぎて反則じゃない?」
ナンパの嵐だった。 最初はどう対応していいかわからず、笑ってごまかすしかなかった。逃げるわけにもいかず、困り果てていたが、数日もすれば慣れてきた。
「写真?じゃあ、ジュース一杯買ってくれたら考えるよ~」
「連絡先は夢見亭の予約番号でいいね?」
「水着は非売品です。そんなに着たいならうちで働く?」
軽くあしらえるようになった自分に、たぬまりは少し驚いた。 海の家は忙しかった。注文は途切れず、日差しは容赦なく照りつける。けれど、仕事終わりにはスタッフ同士で花火をしたり、波打ち際でスイカを冷やしたり、夏らしさを存分に味わえた。
「たぬまりちゃん、線香花火勝負しよ!」
「負けたら、明日の朝の掃除交代ね~!」
笑い声が夜の海に溶けていく。 たぬまりは、砂浜に座って空を見上げた。星が滲むように瞬いていた。
「夏……最高かも」
そう思った矢先だった。
次の日、空が急にざわついた。 風が強くなり、波が荒れ始める。スタッフの一人がスマホを見て叫んだ。
「台風、発生!しかも急接近!」
海の家はすぐに閉店準備に入り、近くの避難所へ移動することになった。 けれど、指定された避難所はすでに満員。たぬまりたち3人の従業員は近くの洋館に避難することとなる。
その洋館は、海沿いの崖の上にぽつんと建っていた。 古びた石造りの外壁に、重厚な木の扉。中に入ると、天井の高いホールと、年代物の家具が並ぶ応接室が広がっていた。
「ここ、避難所っていうより……映画の舞台みたい」
たぬまりは、濡れた髪をタオルで拭きながら呟いた。 館には、たぬまりを含めて10人の老若男女がいた。スタッフ、観光客、近隣住民。年齢も性格もバラバラだった。
外は暴風雨。 電波は繋がらず、停電も起きた。館の中は薄暗く、懐中電灯の灯りだけが頼りだった。
「とりあえず、みんなで一部屋に集まって状況確認しよう」
年配の男性が提案し、全員が応接室に集まった。 たぬまりは、ソファの端に座りながら、周囲を見渡した。
「……私だけ水着なんだけど」
黒のビキニに白のエプロン。 着替える暇もなく、避難してきたのだ。周囲はTシャツやパーカーを羽織っていたり、普通に服を着ている。たぬまりは、膝を抱えて小さくなった。
「誰か、服貸してくれないかな……」
そんなことを考えていたせいで、状況説明はまったく頭に入ってこなかった。
「土砂崩れで、館から出るのは危険です」
「台風の影響からか電波が届いていません。」
「食料は、館の備蓄で数日は持ちます」
誰かが話していた。 けれど、たぬまりは「このエプロン、濡れてるし……さむいわ」と別の悩みに集中していた。
そのときだった。
「こんな陰気臭いとこに居られるか!俺は帰る!」
若い男が立ち上がり、怒鳴った。 誰かが止めようとしたが、彼はそのまま扉を開けて、嵐の中へ飛び出していった。
「待って!危ないって!」
叫び声が響いたが、男の姿はすぐに闇に飲まれた。
応接室に、重たい沈黙が落ちた。 誰もが言葉を失い、ただ風の音を聞いていた。
たぬまりは、ようやく顔を上げた。
「……え、なに?誰か出てったの?」
周囲が一斉に彼女を見た。 たぬまりは、気まずそうに笑った。
「いや、ちょっと服のこと考えてて……」
誰かがため息をついた。 誰かが苦笑した。
そして、誰もがまだ知らなかった。 この洋館で、何が始まろうとしているのかを。
次回、「洋館にて」—— 嵐の夜に閉じ込められた10人の中で、最初の異変が起きる。
予約ミスで昨日の18時投稿出来てませんでした!
へへっ、旦那、靴でも舐めますんで、どうかご容赦を!
クトゥルフやらTRPG歴が長いのでちょっとそう言う話を書きたくなって来てしまいました。作中は夏ですからね。




