#61 魔女
夢見亭の扉を押し開けたたぬまりは、背中に星をたっぷり詰め込んだ網を担いでいた。
箒から降りたばかりの足元には、夜の風の名残がまとわりついている。網の中では、金色の粒や青白い光が静かに瞬いていた。まるでサンタクロースのような姿に、店内の空気が一瞬だけざわめいた。
店長がカウンターから駆け寄ってくる。
「たぬまり!ようやく帰ったか!」
たぬまりは網をそっと床に置いた。星の粒がふわりと揺れ、店長の目が釘付けになる。
「すごい荷物だな……全部星か? まあ、いい。たぬまりに客だ」
「客?」
店長の指す方へ視線を向けると、自分のお気に入りのソファに灰色の魔女帽子を被ったネズミがちょこんと座っていた。
その姿に、たぬまりは思わず足を止める。
ネズミは、たぬまりが見た瞬間に立ち上がり、ソファから軽やかにジャンプした。
その瞬間、キラキラとした煙が舞い上がり、空気が一変する。
煙が晴れると、そこに立っていたのは、たぬまりよりも背の高い女性だった。
白い肌に黒い髪。全体的に灰色でまとめられたファッションは、どこか夜の静けさを思わせる。
彼女が身に纏っていたのは、夜の静けさを縫い上げたような灰色のドレスだった。
肩を優しく撫でるオフショルダーのラインは、首筋の曲線を際立たせ、控えめながらも気品を漂わせている。胸元には柔らかなラッフルが波のように揺れ、歩くたびに微かな陰影を生んでいた。
その肩には、淡い灰色のファーがふわりと掛けられていた。
まるで月光を編んだ羽衣のように、軽やかで柔らかく、彼女の動きに合わせて静かに揺れる。ドレスの滑らかな質感と対照的に、ファーは空気を含んだような膨らみを持ち、彼女の輪郭に優雅な余白を添えていた。
生地はしっとりと肌に馴染み、光の角度によって銀のような艶を見せる。
片側に深く入ったスリットからは、脚がひときわ美しく覗き、動きに合わせてドレスが流れるように揺れる。まるで夜の風を纏っているかのようだった。
背景の木目の壁と柔らかな照明が、彼女の立ち姿を静かに引き立てている。
華やかさよりも、洗練された静けさ。この灰色のドレスと月光のようなファーは、語らずとも目を惹く、そんな力を持っていた。
たぬまりは、ぽつりと声を漏らした。
「あれ……ネズミさん……?」
女性は微笑みながら頷いた。
「あぁ。私はかわいらしいネズミさんだったろう」
その声は、どこか懐かしく、そして不思議な響きを持っていた。
「私は変化の魔女。姿を変えることを得意とする者。"流星の魔女"に、招待状を届けに来た。」
たぬまりは、言葉を失いかけながらも、感激の声を絞り出した。
「おっ、おぉ……!」
こんなに魔女らしいイベントに遭遇するなんて……!
これはもしや、魔女集会的なやつだろうか。たぬまりの心は、期待と興奮でいっぱいだった。
「行きます!行きます!」
たぬまりは、声が裏返るほどの勢いで答えた。
魔女の世界に足を踏み入れるなんて、夢のようだ。
変化の魔女は、たぬまりの反応に満足げに頷いた。
「星を眺めるのは、楽しい時間だった。今日は遅いから、また遊びに来る。約束だから――」
たぬまりはそれに頷いた。
胸の奥がふわふわと浮いているような感覚。夢のような時間が、現実になっている。
変化の魔女は、ゆっくりとたぬまりに近づいた。
顔を寄せると、お互いの魔女帽子が視界を遮り、急にふたりきりの空間になったように感じられる。
お顔が綺麗すぎる。まつ毛長い。髪の毛とファーが当たってくすぐったい。
心臓がうるさい。
変化の魔女は熱くなったたぬまりの顔を撫でるようにそっと手を添えて一言。
「……今度はあま〜い星を食べさせてくれるんだろ?」と言う。
声は、耳元に直接触れるような甘さと、妖艶な響きを持っており、たぬまりは、この状況にクラクラと眩暈を覚えながら、ただ頷くしかなかった。
「ではな」
変化の魔女は、静かに告げて夢見亭を後にした。
扉が閉まった瞬間、店内は爆発したような騒ぎになった。
「うらやまけしからん!」
「魔女様、素敵すぎる!」
「たぬまりちゃんって、流星の魔女なんだ!」
「帽子さん、ちょっと退いて!!見えない!」
「見ちゃいけないものを見てしまった……世界が眩しい……」
客やメイドたちが口々に叫び、店内は一気に熱気に包まれた。
たぬまりは腰砕けになって、ただ座り込むしかなかった。
星の網は店長の足元に置かれたまま、魔女帽子は少し傾いていた。
けれど、たぬまりの心は、今まででいちばん魔女らしく、きらきらと輝いていた。
教室のカーテンの裏って好きなんですよね。
人の気配、ざわめき、そういうのは聞こえるのにカーテンの裏には自分だけ。




