#60 流星の魔女
夜の丘は静かだった。 風が草を撫で、星々が空に浮かんでいる。たぬまりは寝転がったまま、しばらくその光を眺めていた。肩の上ではネズミが前足を揃えてじっと空を見上げている。ふたりの間に言葉はなく、ただ風と星の音だけが流れていた。やがて、たぬまりは網に手を伸ばした。
「そろそろ、やってみようか」
網はこまちが作ってくれたもの。漁師の網のように大きくて、手触りは柔らかい。たぬまりは立ち上がり、星空に向かって「えいやっ」と勢いよく投げてみた。
けれど、網は思ったように広がらなかった。 空中でくしゃっと折れたような形になり、ふわふわと浮いたまま止まっている。
「……うーん?思ってたんと違うなぁ」
たぬまりは首を傾げた。 どうやらこの網、空中に固定される性質があるらしい。中途半端な状態で浮いているのは、広げ方が悪かったせいかもしれない。
「じゃあ、箒で行くか」
たぬまりはポーチから魔女の箒を取り出し、軽く跨った。 ふわりと浮かび上がると、夜風が髪を揺らした。ネズミは肩にしっかりしがみついている。
空に浮かんだ網の近くまで飛び、たぬまりは布団のシーツを広げるように、両手で網の端を持ってゆっくりと広げていった。網は空気に馴染むようにふわりと広がり、星の光を受けて淡く輝いた。
「よし、端を合わせて……引っ張る!」
たぬまりが網の両端をぎゅっと引くと、網がぴんと張り、空に大きく広がった。 すると、面白いように星が網に吸い込まれていく。ひとつ、またひとつ。星は網に触れると、きらりと光って網の中に収まった。
「すごい……ほんとに採れるんだ」
たぬまりは、箒に乗ったまま網の周囲を飛び回った。 手を伸ばして、悠々と星を採っていく。落としてしまった星もあったけれど、この丘にはたぬまりとネズミしかいない。誰にも迷惑はかからない。
ネズミは肩の上で「がさーっでチュ!」と小さく叫びながら、網の中の星を数えていた。 たぬまりは笑いながら、さらに星を追いかける。星は逃げるようにふわりと浮かび、たぬまりはそれを追って滑空する。
空は深く、星は多く、風は優しい。 たぬまりは、まるで夜空の中を泳いでいるようだった。
やがて、網が星でいっぱいになった。 金色の粒、青白い光、赤く燃えるような星が、網の中で静かに瞬いている。
「今日はこれくらいでいいかな」
たぬまりは網の端をまとめ、背中に担いだ。 サンタクロースのように、星の詰まった網を背負って、箒にまたがる。
「ネズミさん、良かったら送っていくけど……どうする?」
ネズミはしばらく黙っていた。 肩の上で、星の光を見つめながら、何かを考えているようだった。
「……今日は、もう少しここにいるでチュ」
たぬまりは驚いたように目を丸くしたが、すぐに頷いた。 「そっか。じゃあ、また後でね」
ネズミは肩からぴょんと飛び降り、草の上にちょこんと座った。 夜空を見上げるその姿は、どこか誇らしげで、少しだけ寂しそうだった。
たぬまりは箒に乗って、ゆっくりと空へと舞い上がる。 網の中の星が、風に揺れてきらきらと光った。
丘の上には、ネズミがひとり。 空には、たぬまりがひとり。
けれど、ふたりの間には、星の光が繋がっていた。
たぬまりは、星の詰まった網を背負ったまま、夜空を滑るように飛んでいた。 箒の柄を軽く握り、風に身を任せる。網の中では、星たちがきらきらと瞬いている。金色の粒が揺れ、青白い光が踊り、赤く燃えるような星が静かに脈打っていた。
丘の上に残ったネズミは、たぬまりの姿を見送っていた。 小さな体を草の上に落ち着け、前足を胸元で組むようにして、空を見上げる。たぬまりの箒が遠ざかるにつれ、網の星々が尾を引くように光を散らしていた。
「……流星の魔女、か。気ままな彼女は、"流星"のままでいてくれるのかな」
ネズミがぽつりと呟いた。たぬまりにはもう届いていない言葉だ。 風が頬を撫で、草がさわさわと揺れる。星の丘は静かで、誰にも邪魔されない時間が流れていた。
たぬまりは、空の高みから丘を振り返った。 ネズミの姿は小さくなっていたが、そこにいるのがなんとなく分かる。
じゃあ、またね。
声には出さなかったけれど、たぬまりはそう思いながら、箒の先を夢見亭の方へ向けた。 星の重みが背中に心地よく、風は優しく、夜はまだ深くなっていく。
空を飛ぶたぬまりの姿は、まるで夜の配達人のようだった。 網の中の星々が、彼女の旅路を照らしていた。そしてその光は、丘の上のネズミにも、遠く離れた誰かにも、きっと届いていた。
投網って重りがついてるんですよね。
この網のことを書いている途中、頭の中では風に揺られる蜘蛛の巣のイメージがありました。




