#57 新機能
温室の扉を開けると、土と薬草の匂いが鼻をくすぐった。 ユリウスは机に向かい、素材の瓶を並べていた。グリムスパインの黒粉、エコーハウンドの粒子、スレッドワームの繊維。三種の素材は、それぞれ異なる質感と色を持ち、光の角度で微かに揺らめいていた。
「揃ったな」
ユリウスは、瓶をひとつずつ持ち上げて確認する。 たぬまりは図鑑を連れて、静かに彼の隣に立った。図鑑はふわりと浮かび、素材の上をゆっくりと旋回していた。
「薬師ギルドに送る準備は?」
「明日には搬送できる。僕の役目はここまでだ。素材の性質を記録し、安定化させる。薬にするのは、あちらの仕事だ」
ユリウスは、瓶の蓋を閉じながら言った。 「でも、たぬまり。君の図鑑が、何か反応してるように見える」
たぬまりは、図鑑に目を向けた。 ページが一枚、ゆっくりと開いている。そこには、三匹のマモノの登録情報が並んでいた。けれど、文字が揺れていた。まるで、何かを思い出そうとしているかのように。
「……図鑑が、素材に反応してる?」
ユリウスは、目を細めた。 「素材は、情報を持っている。記録じゃなく、記憶として。それが図鑑に触れたことで、何かが起きてる」
たぬまりは、図鑑に手を伸ばした。 指先がページに触れた瞬間、視界が揺れた。
——風の音。地面の振動。背中の棘が、風に撫でられる感覚。 グリムスパインの視点。夜の森。静寂の中で、音を探している。敵意はない。ただ、静けさを守っている。
——谷の反響。音の波。耳が震える。空間が広がる。 エコーハウンドの視点。音で世界を見ている。目は使わない。音がすべて。静寂は安心。騒音は脅威。
——糸の振動。巣の中心。空気の歪み。 スレッドワームの視点。動かない。待つ。糸が語る。侵入者の気配。糸が震える。それが世界。
たぬまりは、息を呑んで目を開けた。 温室の光が戻ってくる。ユリウスが驚いた顔でこちらを見ていた。
「……君、今、何か見た?」
「うん。三匹の……視点。感覚。世界の見え方が、違ってた」
ユリウスは、図鑑に目を向けた。 「図鑑が、素材の記憶を読み取ったんだ。これは、ただの記録じゃない。生きた情報だ」
図鑑が、ふわりと震えた。 表紙が光り、装飾が変化する。縁に銀の模様が浮かび、中央に小さな鍵穴が現れた。
「……進化した?」
たぬまりが手を伸ばすと、空中に小さな銀の鍵が現れた。 それは、図鑑の表紙にぴたりと合う形をしていた。
アイテム名:夢見亭の鍵 見た目:小さな銀の鍵。図鑑の表紙に差し込むことで発動 効果:図鑑を通じて夢見亭(登録拠点)に帰還できる
「帰還機能……?」
ユリウスは、目を見開いた。 「図鑑が、拠点を認識した。君の活動が、図鑑にとって“旅”になった証だ」
たぬまりは、鍵を受け取り、図鑑の表紙に差し込んだ。 鍵が回り、図鑑が淡く光る。ページが一枚、静かに開いた。
そこには、三匹のマモノの記録の下に、空白の欄があった。 けれど、そこには一行だけ、文字が浮かんでいた。
【未登録素材:第四波動体 位置不明】
「……第四?」
ユリウスは、図を描き始めた。 「三種の素材が共鳴したことで、図鑑が次の素材の存在を検知した。位置は不明。けれど、確かにある」
「それを探すの?」
「君が、ね?」
たぬまりは、図鑑を閉じた。 鍵が表紙に収まり、図鑑は静かに漂っている。けれど、確かに変わった。重みがある。記憶を持ち、帰還を許し、次の素材を示す。
「……行くよ。次の素材を探しに」
ユリウスは、頷いた。 「君の図鑑が、君にしか開けない扉を持ってる。次は、君の旅の続きを記す番だ」
温室の灯が、静かに揺れていた。 外では風が吹き、木々がざわめいている。けれど、ここには確かな光があった。たぬまりは、夢見亭の扉を開けた。 夜の空気が冷たく、けれど澄んでいた。星が瞬き、風が静かに吹いている。
彼女の旅は、まだ終わらない。 けれど、確かに新しい章が始まった。図鑑の鍵を手に、未登録の素材を探す旅が。
「……どこ行けばいいんだろ?」




