#38 農業物語
スコップの刃が土に沈み、ざくりと音を立てた。
たぬまりは、ユメノネ郊外の畑エリアで、麦わら帽子を深くかぶりながら黙々と土を耕していた。
帽子の影が頬に落ち、汗がつたうたびに首元の布がしっとりと濡れる。
着ているのは、淡いベージュのツナギ。胸元には小さな葉っぱの刺繍が施されていて、背中からはふわりとしたたぬきしっぽがぴょこんと飛び出していた。
そのしっぽが、作業のたびに揺れるのが、なんとも言えず可愛らしい。
空は高く澄んでいて、風が頬を撫でるたび、畑の周囲に植えられたハーブがさわさわと揺れた。
遠くには浮上神殿ルールリエの輪郭が、海の上にゆらゆらと浮かんでいる。
その神殿の主である自分が、今こうして土を掘っているのは、少し不思議な気分だった。
たぬまりの区画は、木の柵で囲まれた長方形の畑。
看板には「夢見亭農園・たぬまり区画」と書かれている。
初めて見たときは、ちょっと照れくさかった。
一列耕し終えたところで、腰を伸ばす。
背中にじんわりと汗が滲んでいて、ツナギが少し重く感じる。
たぬまりは、袋から種を取り出した。
小さな粒が、手のひらの上で光を反射している。
それを一粒ずつ、丁寧に土に埋めていく。
植える作物は、夢見亭のメニューに使われる予定の野菜。
トマト、バジル、紫キャベツ、そして何故かオススメされた蔓科の謎の種。
なんか蔓が伸びて良いものが出来るらしい。
どれも一日で育つわけではない。
だからこそ、今日のこの一歩が大事だった。
最後に水やり。
たぬまりは、ゲーム内アイテム「チャージ式ジョウロ」を取り出した。
持ち手に魔力を込めると、ジョウロの先端が淡く光り始める。
チャージゲージが画面の端に表示され、満タンになると「範囲拡張:Lv1」と表示された。
「よし……スキル発動」
ジョウロを振ると、きらきらとした水の粒が広がり、畑全体に均一に降り注いだ。
水はただの液体ではなく、星の魔力を帯びていて、作物の成長を促す効果がある。
水滴が葉に触れるたび、土がふわりと香り、畑がほんのりと光を帯びた。
「……なんで私、畑やってるんだっけ?」
一息ついて、記憶を辿る。
数日前、夢見亭のカウンター席。
店長がグラスを磨きながら、ぽつりと話し始めた。
「最近、夢見亭の人気がすごいらしいな。浮上神殿の支店も好調だし」
ツバキが頷いた。
彼女は角を軽く撫でながら、メニュー表をめくっていた。
「料理の素材も、ファンタジー食材ばかりじゃなくて、現実にある野菜も欲しい。最近、供給が減ってきてるし」
こまちは、耳元で揺れるパールのイヤリングを指でつまみながら言った。
「農業って、今は自動化が進んでるんですよね。テクノロジーに詳しい人がいると、すごく楽になるって聞きました」
店長が、グラスを置いて真顔になった。
「実は、農業振興団体から依頼が来ててな。若い人に農業に興味を持ってもらいたいらしい。ゲーム内でもいいから、人気のある人に体験してもらって、楽しさをアピールしてほしいって」
ツバキが、たぬまりの方を見た。
「最近活躍してるのは、たぬまりでしょ。星の巫女だし、浮上神殿の主だし」
「えっ、私?」
「うん。巫女が畑を耕すって、ギャップがあっていいじゃないか」
「ギャップで選ばないで……」
こまちが、ふと表情を曇らせた。
「でも……たぬまりちゃん、最近ずっと働いてない?この間は3人が赤ちゃんになって、ずっとお世話してくれてたし……今度は畑まで……」
その言葉に、たぬまりは少しだけ目を伏せた。
確かに神殿の騒動依頼、休む暇はあまりなかった。
店長は、グラスを拭く手を止めて言った。
「意外と、たぬまりはハマると思うぞ。のんびりやったっていい。誰も急かさないし、畑は急いでも育たないからな」
その言葉が、たぬまりの胸にすっと染み込んだ。
そうして始まった、たぬまりの農業体験。
巫女の衣装ではなく、作業服に土がついて、髪も少し乱れていたけれど、心は不思議と落ち着いていた。
星を操って注目されるより土を触る方がずっと静かで、ずっと優しい。
畑の端に腰を下ろすと、背中に陽が当たってじんわりと温かい。
スコップを脇に置き、手のひらに残る土の感触を確かめる。
指先に残った泥は、冷たくて、でもどこか懐かしい。
空を見上げると、雲がゆっくりと流れていた。遠くで鳥が鳴き、畑の隅では小さな虫が跳ねている。
風が頬を撫でて、たぬきしっぽがふわりと揺れた。
「……明日は水やりと、雑草抜きかな。あと、ジョウロのチャージレベル上げたいな」
たぬまりは、そう呟いて目を細めた。
牧場物語やスターデューバレー好きです




