#107 労働は幸福です
ぐるぐると島を回ってみたものの、何も分からなかった。
中央に立つ石柱には何か文字が刻まれていたが、たぬまりには読めない。
マモノ図鑑を出せば翻訳してくれたかもしれないが、今はただ、先に進みたい気持ちが勝っていた。
「ま、行ってみれば分かるでしょ」
軽く肩をすくめて、たぬまりは魔女の箒にまたがった。
風を切って空へ舞い上がる。背後に小島が小さくなっていく。
石柱には、こう書かれていた。
【この先私有地のため立ち入り禁止。魔王より】
だが、それを知らなかったがために、あんなことになるとは——。
場面は切り替わる。現実の夢見亭。
「おかえりなさいませ♡ご主人様♡」
「はい、よろこんでー!!」
「労働……労働労働!あははは!!」
たぬまりは、どこか虚ろな目で、やたらハイテンションにテキパキと働いていた。
笑顔は貼りついたように明るく、動きは無駄がなく、むしろ完璧すぎるほどだった。
「たぬまりちゃん、どうした……?」
「壊れた?」
「『はい、よろこんでー』は居酒屋だろ」
「働きすぎたんじゃ……」
メイド仲間も客も、ざわついていた。
たぬまりはしばらくゲーム内の夢見亭に帰ってきていない。
どこかへ旅に出たのは皆知っているが、どこで何をしているのか、一切動画に出ていない。
「店長、たぬまりちゃんの旅、どうなってるんですか?」
「……ああ、あれな。内容が濃すぎて編集に時間かかってんだよ。今、まとめてる最中だ」
そう言っていた店長も、ここしばらく姿を見せていなかった。
だがその日、ついに現れた。
目の下にクマを作り、げっそりとした顔で、店内に入ってくるなり言い放った。
「編集終わったから流すぞ!絶対みんな見ろ」
店内のモニターが点灯し、たぬまりの旅の記録が映し出される。
魔女の箒で出発し、色とりどりの風景を巡るたぬまりの姿。
大陸を発見し、犬族の獣人たちと交流し、夜逃げし、美しい夜空を飛び、新たな街でエルフとドワーフに出会い、さらに旅立つ。
そして、例の小島。
石柱の前に立つたぬまりの映像に、店長の翻訳がテロップで表示される。
【この先私有地のため立ち入り禁止。魔王より】
知らずに進むたぬまり。
やがて、世界の果てと言わんばかりの巨大な滝が現れる。
その滝にぐるりと囲まれた、そこそこな大きさの孤島。
そして、その島の中央に建つ、古びたが威厳ある城。
たぬまりは、雰囲気に惹かれるようにその島に降り立った。
特に理由はなかった。ただ、なんとなく、行ってみたくなったのだ。
城の門は開いていた。
中に入ると、マモノたちが数人、慌ただしく動いていた。
誰もたぬまりに気づかない。
書類を抱えて城の外へ出ていく者、部屋から部屋へと走り回る者。
誰もが忙しそうで、余所者に構っている暇はなさそうだった。
「……なんか、思ってたのと違う」
勝手に部屋を覗いてみると、そこでも数人のマモノが机にかじりついて書類を処理していた。
正直、書類の山で顔が見えない。
城の規模に対して、働いているマモノの数は明らかに少ない。
しかも、廊下の隅には埃が溜まり、壁の装飾もどこかくすんでいる。
島全体も、手入れが行き届いていないようだった。
「人手不足……?」
そう考えながら探索していると、一番豪華な扉を見つけた。
金の装飾が施され、取っ手は黒曜石のように光っている。
当然、入ってみる。
中には、立派な角を持ち、顔立ちの整った人物がいた。
だが、彼もまた他のマモノたちと同じように、書類の山と格闘していた。
「ん?なんだ、まだ報告があったか?」
顔を上げたその人物と、たぬまりの目が合う。
彼は一瞬、きょとんとした表情を浮かべた。
「……はて。こんなマモノいたっけ?」
たぬまりが何も言わないうちに、彼は勝手に納得したように頷いた。
「新しいメイド志望か?助かる。ひとまず、掃除をしてくれ。掃除用具はその辺のマモノに聞くか自分で探せ」
「……え?」
状況がよく分からないまま、たぬまりは部屋を出た。
だが、ふと考える。
(まぁ、城が綺麗になったところを見てみたいし……)
そう思った瞬間、たぬまりは掃除道具を探し始めていた。
これが、ワーカーホリックたぬまりの始まりである。
昨日はキッチンの輪ゴムを補充しようと思って、収納を開けたらキッチン掃除用のウェットシートを見つけて「せっかくだからガスコンロを掃除しよう!」と掃除をし始めたら、キッチンのあらゆるところが気になり、気づいたらキッチンがピカピカになり、めちゃくちゃ片付いていました。集中し始めるとやめ時が分からなくなります。




