#105 ぽんぽこ狸合戦
朝の光が巨大な木の枝葉を透かして、街の広場に柔らかな影を落としていた。
たぬまりは宿の窓からその様子を眺めながら、昨日の酒盛りの余韻を頭の奥に残したまま、帽子をかぶり直した。
この街は、どうにも不思議だった。
ドワーフとエルフが共存しているという話は聞いたが、見た目も文化も、あまりにも自然に混ざりすぎていて、何が本当なのか分からない。
「ちょっと調べてみるか」
たぬまりは、街の図書館を目指すことにした。
まずは街を歩いてみる。
昨日は酒場と宿しか見ていない。
今日は、ちゃんとこの都市の素顔を見てみよう。
街路は広く、舗装されたアスファルトの上を獣人たちが行き交っていた。
ガラス張りのビルが並び、電光掲示板にはニュースや広告が流れている。
カフェのテラス席では、たぬき耳のエルフたちがスマートデバイスを操作しながら談笑していた。
空にはドローンのようなものが飛び交い、時折、空中にホログラムの案内が浮かび上がる。
「……本当に近代都市だな」
たぬまりは、通りの角に立っていたたぬき耳の青年に声をかけた。
「すみません、図書館ってどこにありますか?」
「図書館?あっちの通りをまっすぐ行って、三つ目の交差点を左です。大きな建物が見えるからすぐ分かりますよ!」
「ありがとう」
言われた通りに進むと、確かにすぐにそれらしい建物が見えてきた。
外観はガラスと金属で構成されていて、入口には自動ドアと案内パネルが設置されている。
中に入ると、空調の効いた静かな空間が広がっていた。
壁一面の書棚は、タッチパネルで操作できるようになっていて、検索端末が並んでいる。
天井は高く、照明は柔らかく、どこか美術館のような雰囲気だった。
たぬまりは、端末に「グランフォルテの歴史」「エルフ」「ドワーフ」と入力して検索をかけた。
いくつかの資料が表示され、近くの棚に案内される。
そこには、都市の成り立ちや種族の関係について書かれた本が並んでいた。
一冊を手に取り、ページをめくる。
ふむふむ、都市開発を進めたいドワーフと、森を守りたいエルフとの間で争いがあったらしい。
しかし、ある時期を境に「なんやかんやあって共存することになりました」と書かれている。
「……なんやかんやって何だよ」
別の資料を読んでも、同じような記述ばかり。
争いの詳細は曖昧で、和解の経緯もぼかされている。
最近まで対立していたはずなのに、こんなに立派な近代都市が作れるものだろうか?
巨大な木を一本残しただけで、エルフが納得するとは思えない。
たぬまりは、眉をひそめて呟いた。
「……たぬきに化かされてない?」
その瞬間、空気が変わった。
図書館の壁が揺れ、光が歪み、世界が静かに反転する。
目の前の書棚は、木製のものに変わっていた。
タッチパネルは消え、代わりに手書きの案内札がぶら下がっている。
空調の音は止み、代わりに窓から入る風が紙を揺らしていた。
照明はランタンのようなものに変わり、空間全体が木の温もりに包まれていた。
「……え?」
たぬまりは、立ち上がって窓の外を見た。
そこにあったはずのビル群は消えていた。
代わりに、木々と木々の間に馴染むように作られた家々が並んでいる。
屋根は草で覆われ、壁は木材で組まれていた。
まるで、森の中の村のようだった。
「気づいちゃったんですね。さすがはエルフ」
振り返ると、司書の女性が微笑んでいた。
彼女もたぬき耳で、ふさふさの尻尾を揺らしている。
「……いや、私はエルフじゃないと思うんだけど」
「尻尾があるならエルフです。ここではそういうことになってますから」
たぬまりは、苦笑しながら椅子に座り直した。
「じゃあ、さっきまでの近代都市は……?」
「幻です。ドワーフが都市開発を進めたいって言い出した時、エルフたちは反対しました。でも、争いは避けたかった。だから、街の見た目だけドワーフ好みにして、エルフには森のまま見えるようにしたんです」
「……そんなことできるの?」
「できます。なんたってエルフですから」
司書は、冗談とも本気ともつかない口調で言った。
「ドワーフには内緒ですよ。彼らは自分たちが都市を作ったと思ってるので」
「なるほど……」
たぬまりは、窓の外をもう一度見た。
確かに、今見えている風景は、昨日とはまるで違う。
けれど、どこか納得できるものがあった。
この街は、争いを避けるために、世界そのものを分けてしまったのだ。
「でも、酒は……あれは本物だったよね?」
「ええ、酒だけは誤魔化せませんでした。ドワーフが勝手に酒蔵……というか工場を建てたんです。あれだけは、完全にハイテクです」
「さすがドワーフ」
たぬまりは、笑って頷いた。
この街は、最初に見た印象とはまるで違っていた。
けれど、共存の形としては、案外うまくいっているのかもしれない。
司書が、ふと窓の外の巨木を見上げた。
「あの木は、妖精の領域と繋がっているらしいですよ?」
「じゃあ、やめとく」
ああいう木は見覚えがある。中はきっと洞ベーターになっているんだ。
今、ここで妖精女王に会うと面倒なことになりそうだから遠慮したい。
たぬまりは、立ち上がって帽子をかぶり直した。
この街は、もう十分に堪能した。
次は、どんな場所が待っているのだろう。
図書館を出ると、世界は再び元の姿に戻っていた。
ビル群が立ち並び、電光掲示板が輝いている。
けれど、たぬまりには、もうその幻が透けて見えていた。
「さて、次の街へ」
箒を呼び出し、空へと舞い上がる。
《グランフォルテ》の街並みが遠ざかり、巨大な木が小さくなっていく。
風が頬を撫で、空は広がっていた。
たぬまりの旅は、まだ続いていく。




