とある夢のお話
午前二時になった。
僕は真っ黒に色づいた夜の街の中を歩いていく。
僕は夜が好きだ。特に今日みたいな空気が澄んでいる日は最高だ。
空を見上げるが、今日は月が見えないようだ。世間一般には月が出ている方が美しいのだろうが、僕は星がよく見えるので、ない方が好きだ。僕はどちらかと言うと月より星をきれいだと思う。名前に入っているからだろうか?
僕は先月17歳になった。この年だとまだ夜に出歩くことはよく思われないだろう。事実、この前警察に見つかって補導されかけた。塾の帰りです、そんな嘘をついて逃げたがあれは怖かった。だから最近は家の近くを歩くことにしている。
ここは閑静な住宅街でこんな時間に出歩く人間は僕くらいだ。
まさに可惜夜だな。最近古典の授業で習った言葉でカッコつけてみる。
可惜夜とは、開けてしまうのが惜しい夜のことだ。確か万葉集の和歌がもとだったかな。
「では、なぜ可惜夜なのだと思う?」
誰に問うわけでもないが、なぜか声に出た言葉が夜闇に溶けていく。
コツコツと歩みを進めながら考えてみる。ただこの夜が素晴らしいという理由以外に何かがあるような気がして。
そうだ。明日が修学旅行だからだ。一般的に逆なのかもしれないが、僕は翌日に楽しみなイベント控えているほど夜が明けてほしくないと思ってしまう。
僕は昔からこうなのだ。小学校の修学旅行のときだったか、どんなことだろうが始まったら必ず終わってしまうと知った。それから考え方が変わってしまった。
今の僕の心の中には、もうすぐ楽しくなるという楽しみと、すぐに楽しみが終わってしまうという悲しみが同居している。
だからといって夜は明ける。こうして歩いていても、昇ってくる太陽から逃げるように走ってもで、明けなかった夜などなかった。
「はぁ…。」
思わず溜息が溢れる。お気に入りの腕時計を覗くと、もうすぐ午前三時を過ぎようとしていた。そろそろ戻ろう。
そう思って後ろを振り向くと、この夜には不自然な白いなにかが立っていた。完全に気配がなかったので、驚いているとそのなにか、もとい女性は声をかけてきた。
「こんばんは。お名前は?」
声をかけてきたのは透き通った白い肌に白いワンピース、長い黒髪と相まってモノクロ映画のような姿だ。彼女の瞳を見るとこの夜の闇のような黒色で少し見惚れてしまう。
だからだろうか?知らない人とむやみに話してはいけない、そんな小学校で習うような基本事項を忘れて、気づくと僕は名前を答えていた。
「良い名前ね。この星がきれいな夜にピッタリ。」
年齢は僕と同じか少し上くらいだろうか。5歳下、はたまた10歳上と言われても納得してしまうような年齢不詳な感じがした。
「あなたは...?」
「あっそういえば名乗ってなかったわね...。どうしようかしら、繧「繝ォ繧ッ繝医せ、なんて言ってもわかんないだろうし…。」
今なんと言ったのだ?なぜだか全くわからなかった。僕が疑問に思っていても、彼女は何事もなかったかのように考え込んでいるようだ。
「だったらトラウムと呼んで。そのほうがお互い便利だし。」
やはり不思議な人だ。トラウムさんは白いワンピースをひらりとさせながら歩き出した。僕が動けないでいると、トラウムさんは振り向いて、
「せっかくだし一緒にお話しましょうよ。ついてきて」
と言ってきた。そのまま並んで誰も居ない夜の街を歩き始めた。
「トラウムさんはどうしてこんな夜中に出歩いているんですか?」
「う〜ん。ちょっと大変なものが視えちゃってね。あなた達と話をしときたくって。」
なにを見たのですか?と尋ねてもなんでもないとはぐらかされてしまった。
「家はこっちの方向でしょ?家までお話しましょうよ。」
まだいくつも不思議に思い聞きたいことはあるが、とりあえず話を続けよう。こんなに綺麗で大きな満月が出ているのだ。もう少し...あれなにか違和感がある...のか?
「ねぇねぇ。学校はどこなの?」
「相榻高校というところです。名前の由来はこしかけに一緒に座るほど仲が良いみたいな感じだそうです。場所は...」
場所や僕の学年、特色などの基本的な情報を話した。どうやらトラウムさんは僕の学校に興味があるようだ。
「なにか楽しいなことはしないの?」
「しますよ。体育祭とか...あ、あと修学旅行があります。明日から二泊三日で東京に行くんですよ。」
あれ?なんだか少し寒くなってきた。さっきまで暑かったのに...そう思って肩を震わせていると、
「寒いでしょう?これつけて。」
そう言って暖かそうな白いコートに身を包んでいるトラウムさんが、厚手の大きなマントを渡してくれた。なにかの毛皮のような肌触りで、きれいな黒色で僕好みだ。ガス灯に照らされた街の中で暖かいマントに身を包む。
「似合ってるわよ。」
微笑みながら言ってくれた。やはりこの人はかなり顔が整っている美人さんだな。
「ところで修学旅行っていうのは?」
「あぁ。学年全体で旅行に行くようなやつですよ。」
じゃあそれじゃあ...。と小さく呟いたのが聞こえた。何を言ったか尋ねようとしても答えてくれない。そのまま他にイベントがないか聞かれたので二ヶ月後に行われる文化祭の話を始めた。
「そう!多分それ!」
文化祭について軽く話すとトラウムさんはいきなり食い気味に言ってきた。
「そう文化祭。それの...。どんな事するの?」
「色々しますよ。クラス展示とご飯作ることと、あとステージ企画とかですかね。来ませんか?」
「うん。一応行こうかな。楽しみにしてるよ。」
こんな夜には月の光が唯一の明かりだ。月がなかったら真っ暗だっただろう。なぜかまた暑くなってきた。そう思うとさっきまでつけていたマントがなくなっていた。驚いてトラウムさんの方を見るとどこかいたずらっ子のような表情で、
「すごいでしょ。ちょっとしたマジックだよ。」
白いワンピースに身を包んだ彼女は微笑みながら答えた。
「それじゃあそろそろお別れかな。」
気づくと見慣れた住宅街だった。僕の家はもうすぐそこだ。
「最後にこれを預けようかな。ちょっとこっち向いてね...」
そう言われて振り向くとトラウムさんがこちらに覆いかぶさるようにして...
「痛いです!ちょっと!」
「ほうほっほははんひへ」
いきなり首元に噛みつかれた。甘噛とかいうレベルではなく本気で噛みついている。あまりの痛みに突き飛ばそうとしたが、トラウムさんの力が強すぎる。されるがままに噛みつかれる。
首の痛みから開放されてうめいているとトラウムさんの言葉が聞こえた。
「ふぅ...。ごめんね。これで貸付終了だから。」
まだ起き上がれないでいると、視界の端で長い黒髪が揺れたのが見えた。
「それじゃあ、おやすみなさい。良い夢を...」