ep.0.50 深紅の始まり
※ep.0.00および0.50は本編時系列よりも前に当たる話です。本編のみを読みたい場合は、ep.1.00までスキップしてください。(あと1ページ後です)
─公暦97年冬、諏訪湖沿岸、「薔薇の盾」要塞。───と───が軍執務官であった年。
「ほら、さっさと出ろ」
全身を鎧に包んだ、時代錯誤な格好で彼はそう告げた。
現れたのは、まともな服の着用すら許されず、汚らしい灰色一色ワンピース上の衣服に身を包んだ少女だった。下着の着用すら許されず、手は鎖で繋がれ、首には首輪が、足は逃亡を許さぬようにと、これまた鎖が繋がれている。見えてこそいないが、首輪と足の鎖は衣服の中で繋がっており、歩くごとに呼吸が苦しくなるようになっている。
「さっさとしろっ!」
少女の背を蹴飛ばし、扉から強引に出させる。
首輪がまた首を絞めたのか、うっ、という声が聞こえる。
「うるせぇなっ! また輪姦されたいかっ!」
「……」
少女は立ち上がり、首が締まっていくにも関わらず歩いていく。
少女の前にあるのは断頭台、10メートル先くらいにそれはある。
ふと、少女は立ち止まり、そして音を聞いた。
要塞壁での爆音、これは砲撃によるものだった。
「早く行けっ!」
再び少女は蹴飛ばされ、また首が締まる。
もう一度立ち上がろうとして、がくっ、と膝が折れた。
もう随分と足を動かせなかったがゆえのものだったが、目の前の男たちにそんなことは関係がなかった。突然駆け寄ってくると、笑いながら少女を蹴り飛ばしていく。そのたびごとにただでさえ破れかかっていた服はさらに破れていく。
激痛と首の痛みのあまりに少女の目に涙が浮かぶ。
「……、泣いて許されると思うなよ」
冷徹なまでの視線。直後、最大のけりが少女を襲った。
首輪が限界まで締まり、呼吸できなくなった少女がそのまま動かなくなる。
「ちっ……、だれか王女様の首輪を外してやれ」
一人が駆け出していき、着ていた服ごと破り捨てて、首輪を切る。破り捨てる必要もなく外せるのに、わざわざ服を破り捨てたのは、さらに辱めるために他ならない。
少女のしなやかな裸体が、冷たい冬の風に直に触れた。
四方に傷跡があり、よくみれば、ちゃんと治療されなかったことが分かる。それでも白磁のような肌の白さは不気味なまでに残る。それを斑にしているのは、火傷の痕。拷問ではない、ただただ悲鳴を挙げさせるためだけに火傷をさせた跡だった。
そして、少女がもはや手で抑えることすらなくなった、豊かな胸と下半身。散々の狼藉と強姦の末に、抑えることを諦めてしまっていた。とっくに羞恥心は限界を超えており、少女は乾いた笑い声を上げた。
その声を聞きつけた兵士が、わざわざ切れ味の悪いナイフで、背中を斬った。
激痛なのだろうが、もはや当人の感覚は失せて久しい。涙一つすら浮かばずに、自らの処刑台へと上っていく。
外からの砲声は更に激しくなる。
「はやくしろっ! 奴らが来る前に、こいつの首を叩き落とせッ!」
わざわざ蹴られなくても首を添えただろうに、少女の裸体にまた鋭い蹴りが入れられる。手も首も、それぞれ枷に拘束される。
「公爵閣下! 既に成輝王子と梨良公爵令嬢が要塞までッ!」
「……、放っておけ」
そういうと、その男はようやく兜を取った。
兜の奥に隠れていた素顔が見える。既に疲労の色濃く、目の下に隈ができていた。それでも、その男は最後の使命を果たすべく、息を吸った。
「諸君! 今までご苦労であったッ! 行きたいところに行くが良いッ! これまでの働き、このシュタイン、決して忘れぬッ!」
兵士たちは、全員一矢乱れない敬礼を返した。
最後まで共にあるという、それは美しい忠誠だった。
「公爵閣下! 願わくばこの残酷なる王女に死をッ!」
「シュタイン閣下万歳! 王女死すべしッ!」
「殺せ!殺せ!」
兵士たちは、そう叫んだ。
それに答えるかのように、鎧の男─シュタイン・アルトナー公爵は、断頭台へと近づく。
「貴様の改革は、平民達にはたしかに良かったのやもしれぬ」
決して優しさに満ちた言葉ではない。
冷徹な、そしてその中に怒りを含んだ声で、シュタインは告げる。
「だが、貴様のために我ら貴族の私兵たちは職を失い、それでも家族を養うために、必死になった。中には自らの臓器すらも売って、家族を養ったものもいる。ある者は、絶死の戦場へと赴き、二度と還らなかった……。
私は確かに間違ったのやもしれぬ。彼ら私兵を憐れみ、雇い入れたこと。その結果が幾千万の死体と考えれば、私の行動は決して肯定されまい。だが、それと同様に貴様は人を間接的ににしろ殺めた。その罪、万死に値する。
王女ともあろうものが贔屓を行い、苦しむ人の声に耳をふさいだ罰、今がその報いの時だッ!」
シュタインは、しかし断頭台の綱を切らない。
代わりに、鋸を取り出す。
「これより、王女の処刑を執り行う! 王女の背をこの鋸で斬りたい者は、一引きのみを許可する! 指を切り落としたいものは好きなようにせよッ!」
切れ味の悪い、木でできた鋸だった。
鋸引、かつて行われた処刑方法の中でも、最も残酷なものの一つだ。
兵士たちは並び、あるいは指を切り落とし、あるいは鋸を引いていく。
かつてない激痛に、しかしうめき声一つ上げずに、少女は耐えた。
歯を食いしばり、その先に死しかなくとも。
「閣下」
兵士が、厳かに告げる。
最初に、少女の鋸を引いた者だった。
「王子殿下らは、最上階フロアまで到達しました。直に……」
シュタインは、頷いた。
「諸君、どうやら最期の時が来たようだ」
蜂起当初は数万を数えた私兵団。その残りは、今ここにいる十七名で全てだ。
その他の私兵たちは、誇り高く戦い、そして死んでいった。いくら後世の人々が我らを非難しようと、それだけは事実だった。
「貴様らに天の加護があらんことをッ!」
その声と同時、扉が強引に開けられる。
「姉上ッ!」
「陛下ッ!」
シュタインは、その声の主に振り返る、綱を断つ斧を持って。
「シュタイン公爵! 斧を降ろせッ! 貴様ら、姉上に何たる無礼をッ!」
兵士たちは、その声の主に対して抜刀する。
遅れでやってきた少女が、目の前の光景に絶句する。
「陛下ッ! 公爵、貴方達の負けです! 恨みで陛下を殺せば、大逆ではすみませぬッ!」
「……、もとより承知のこと」
兵士たちは、油断なく刀を構え続ける。
「されど、もはや恨みの消えることはあるまいて」
怒りすら通り越して、そこにあるのは諦観だった。
人間、あるいは自分たちに対する、諦観だった。
「この戦の我々の正義など、後世には忘れ去られよう。ただの悪役として、世に語り継がれるだろう」
「公爵ッ!」
斧を振り上げる。
「もはや我らに正義なし、我らを突き動かすは恨みのみ。我らの恨みは、されど王女の命を奪うであろう」
梨良公爵令嬢─少女は、止めるべく駆け出していた。
だが、一歩間に合わない。止める直前で切り落とされた綱は、直結していたギロチンの刃とともに少女の首元へと落下していく。もう間に合わない、そう知ってもなお、もう一人の少女は叫んだ。
「□□ッ!」
返ってきた言葉は、「ありがとう」か「さようなら」か、はたまた「ごめんね」であったのか。
それを確かめる間もなく、ギロチンの刃は少女の頭を首元から切り落とし、その首は諏訪の湖へと落下していった。
残された者たちの絶叫が響き渡る中、勝利を告げる鐘の音が、いつまでもなり続けていた。