ep.0.00 公暦453年、東部戦線の空
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砲煙の煤が空を汚し、空を地獄のような色へと染め上げていた。灰色に鈍く光る空、その下で戦いは続いていた。公暦453年7月17日、東部戦線の残骸とでも言うべき、かつての競合戦域。全軍が撤退していく中で、精霊術士達は補給もないまま、ひたすら擦り潰されていくだけの無意味な、だがしかし必要な戦闘を継続していた。
「こちら第二航空師団第一戦術航空士隊、敵の攻撃熾烈、救援を、救え……」
「熱海少尉!? 応答を、こちら第一……」
「東部方面軍司令部、司令部!! 応答を、おうと……」
「っくそ! 錆銀どもがっ!」
「こちら第四航空士隊秋田少尉! 友軍だ、誤射するなっ!」
第二航空師団、正確にはその残骸。すでに大半の戦力を失い、組織的戦闘力を喪失。しかしそれでも、抵抗を続けていた。
機関銃弾の掃射で肉体を撃ち抜かれ戦死する者、爆炎に巻き込まれて焼死する者、はたまた飛行術式を制御できなくなり地面へと激突し、そのまま肉片と化す者。まさに地獄としか言いようがない。
精霊術士は空を舞い、銃弾をばら撒き、電撃を打ち付け、それでもメビウスの進撃は止まらない。戦車型数十個師団という、東部戦線展開中の全軍を合わせても到底及ばない大規模機甲戦力、それに追従するのは対空戦車型や駆逐戦車型、さらには後方から砲撃を支援する狙撃型と砲戦型。
展開中の東部戦線全軍を優に上回る大戦力は、瞬く間に防衛ラインを蹂躙し、無停止連続進撃を開始した。これに抗する術を、東部方面軍は持ち合わせていなかった。
中枢領に駐屯する中央軍の精鋭航空師団を擦り潰しての撤退。
それしか残されていなかった彼らは、それを選ぶしかなかった。崩壊していく戦線、逃げ遅れた方面軍の各部隊は各地で孤立し、勝ち目のない防戦を余儀なくされ、精鋭航空師団であったものは瓦解。それでもなお、抵抗をやめない。
対空戦車型に単騎突貫しこれを破壊する者、戦車型と刺し違える者。それでもなお、メビウスの進撃は止まらなかった。
「あっ、あー。こちら近衛第一航空士隊、これを聞いている者はいるか?」
突然の交信。増援の予定などなかったはずと、精霊術士は困惑する。
「近衛隊だ、後退を支援する。あとは任せろ」
その声と同時に、統制の取れた一斉射が降り注いだ。電磁加速された銃弾の一斉射撃に、流石のメビウスの前線部隊も一旦立ち止まる。その瞬間、空を貫くかのように電撃が走り、前線に展開していた二個師団の戦車型がすべて擱座する。
慌てて対空戦車型が、第二航空師団の後方に展開する新手の部隊─近衛第一航空士隊に対空攻撃を開始する。だが、それをもろともせずに一気に距離を詰めていく。
機関銃弾による阻止を諦め、対空ミサイルでの迎撃を試みる対空戦車型の部隊だったが、しかしそれすらも巧妙に躱し、懐へと食い込んでいく。メビウスの進撃が初めて完全に止まる。
「……、ちっ」
誰かが、舌打ちをこぼした。それは、味方というよりは、むしろ敵に向けてのもののように思えるものだった。また別の誰かが、毒づく。
「血染めの戦狂い共め」
「東部辺境軍団より連絡、第二防衛ラインを破られた模様!」
「報告御苦労様」
仮面の大公が、そう告げる。
表情はもちろん窺えないが、声音はとてつもなく冷たい。まるで、冷え切った棘のような声。
「だけど、その報告はもう一時間以上前のものだ。私が欲しいのは、今の戦況だ」
「しょ、少々情報整理に手間取っておりまして……」
「黙れ」
ただでさえ凍りきった声音が、さらに冷えていく。それにつられて、周囲の空気もより一層冷えていく。
「繰り返すぞ、私が欲しいのは今の戦況だ。整理に手間取るというのなら、生の情報を出せ。無線だろうが通信だろうが構わん、早くしろ」
「で、ですが……」
「黙れ、同じことを二度言わせるつもりか?」
「か、かしこまりました」
大公会議に出席する武官ともあろうものが、萎縮しきった声で辞去を告げる。それは、無言で返された。
「どう思った?」
そばに控えていた女性が、恭しく一礼する。
「私個人の考えを申し上げますと、白ではないかと」
「なるほど、彼は保守派ではない、と」
悩む素振りが見える。
今代大公─シャリーラ・アドリシュタ。先代大公であった父、アドステラ・アドリシュタを弑逆し、母を処刑した上で、本来の大公位継承者を軟禁して大公位についた、暴君ともいうべき存在。
クーデター時、そしてそれに続く、保守派貴族の大規模な改易。さらに、政権を担う急進革新派による、保守派の虐殺。公都は深紅に染まり、貴族達は彼女─そう、女だ─のことを「深紅女王」とさえ呼んだ。
「どちらにしろ、今大公会議を武力で解散しても混乱を招く。しばらくはこのまま放置しておこう。どうしてもというなら、まあ首を切るしかないが」
「物理的に切らないだけ、優しい方では?」
「恐怖政治の先には大反乱が待ってる。今そんなことになったら、目も当てられないよ」
ふん、とシャリーラは鼻を鳴らした。
「それより、増援部隊は?」
「近衛の第一を派遣しています。しばらくは持つと思いますよ」
「君の夫の部隊だろう? 心配じゃないのか?」
「心配していただき恐縮です。ですが、仮にも私の夫、メビウスごときに引けは取りませんよ」
「それは頼もしい限りだ」
軽く、シャリーラが笑う。
「だが、いくら一人ひとりが精強といえども、数で押されてはいずれは負ける。さっさと増援を送ってやらねばな」
「その夫から報告です。中央軍団の第二航空師団は現在ほぼ半壊、東部辺境軍団は事実上消滅したとのことです」
「……、思ったよりも早いな」
「あくまでも救援に向かった地域の部隊です。いまだ右翼と左翼は戦線を維持しているかと」
机の上にあるスクリーンに投影された地図に、シャリーラが書き込む。V字に凹んだ戦線だが、半包囲に持ち込もうにも、戦線を突破して浸透してきたメビウス集団があまりにも多すぎる。
一瞬の思案の後、大公は電磁式〈トランスミット〉を発動する。
「西園寺、聞こえるな」
「聞こえている、シャリーラ」
「これは大公としての命令だ。福島北部戦域を全面放棄し、直ちに戦力を後方へと転進。機甲部隊および領民達はその場で持ち場を死守させよ」
大公の側に控えていた女性が、顔を一瞬だけ顰めた。大公の命令に従えば、同地にいる住民は殆ど見捨てるしかない。領民兵の武装は貧弱だ、もしも機甲部隊が破れれば、そう長くは保たないだろう。
「……、領民を見捨てよ、と」
「可能ならば救助したいが、それには時間も空間も足りない。仮に今から領民を連れて後退してみろ、今はメビウス集団が戦線中央部を食い破って浸透してきているからそちらにはまだそう多くの戦力が回ってきていないが、いずれは太平洋側にも敵軍がやってくる。その時に領民がいれば、足手まといになる。それに、精霊術士だって動けなくなる。
戦略的に精霊術士をフリーハンドで動かせるのは今だけだ。今この瞬間にも、メビウスが太平洋側への侵攻を続けている。そちらに到達される前に、精霊術士だけでも戦線後方へと向かわせるべきだ」
「……、了解しました」
大公の考えは明白だ。
精霊術士は戦線を高速で動き回れる上に大きな破壊力を持つ。遊兵になるよりは、活用したほうがいい。さらに、残された領民と機甲部隊に死守命令を出すことで、一秒でも長くメビウスを足止めする。
戦線を再構築するためにも、これは必要な犠牲─と、彼女は主張するのだろう。たとえ、その見捨てられる人々の数が十万近くに達していようとも。
「非情な命令ばかり出していることだな」
自虐するように、シャリーラは言う。
だが、それもつかの間、直ぐに地図を睨めつける。奥羽山脈を隔てて太平洋側─東部戦線だけでなく、日本海側にある北部戦線も大規模な侵攻を受けつつある。
さらに、中部地方と関西地方を隔てる西部戦線でも、大規模な攻勢が行われている。これを凌がなければ、人類の生存圏は瞬く間に吹き飛ぶことだろう。
「明日生きるために、今日死ぬというのは、なかなかの矛盾だとは思わないか?」
「私からは、何も申し上げますまい」
「君らしいな」
「死守、ですか」
東部戦線の後方─貴族の直轄領である公爵領、辺境伯領では、未だに大規模な迎撃戦が繰り広げられている。各所で戦線が寸断されながらもメビウスの進撃速度を必死に鈍らせている領民達にとって、死守命令とは則ちそのまま、「死んでこい」というのと同義になる。
さすがの領民達といえど、顔は悲痛だ。
「要は、味方が戦線を立て直す時間を稼ぐため、捨て石になれ、ということでしょう」
「……、そうだ」
福島の北部エリア─それを構成する貴族領の一つに、西園寺公爵領はある。かくして、西園寺造成公爵は、領民兵の代表に対して、死んでこい、と命じる羽目になる。
「現状では止むを得ますまい。文句は言いません」
「よろしく頼んだぞ」
「公爵殿からの御命令とあらば!」
領民の代表─副島正毅民政官は、恭しく、それでいてとても丁寧に、敬礼する。
「その代わり、この国の未来を頼みますよ」
「重たいものを背負わせるものだな」
「俺達……、いや、我々が命を懸けているんですから、それくらいは引き受けてくださいよ」
「分かっている、貴族なら貴族らしく、役目を果たしてくるさ。……、死ぬなよ」
「そいつは、ちょっと難しい頼みですな」
既に齢五十に達し頭髪もほとんど白髪だが、屈強な体つきの副島は、それに微笑で答える。
「死ぬときには死にます故」
「では、できるだけ生き残る努力しようじゃないか」
「くっ、流石ですな若いもんは。では、お互い死なない努力をしましょうや。では、また今度」
そう言って、副島は手を振る。
「ああ、また今度、な」
独り言のように呟くと、西園寺造成公爵は、直属の精霊術士隊に連絡を取る。
「全隊、直ちに本戦域を離脱。後方の味方部隊と合流する」
「……、分かりました」
不本意だが致し方ない、という声での返答があった。
仕方ないことなのだろう。だが、その果てにあるのが無数の屍とあれば、胸糞悪い限りだ。
「……、はやく、戦争なんぞ終わらんものかな」
ため息交じりに、造成は言った。
この後、彼らは意外な形で、この地に再び足を下ろすことになる。