第六話 気分転換
「⋯⋯ま、そんな簡単には行かねえわな」
「あはは。ごめんね、ちょっとこっちにも事情があってさ」
「いやいい、気にすんな。無理に受けてもらうもんでもねえしな」
それで関係を拗らせて、関係が悪化する方がキツい。
少なくともオタ部が最弱であるうちは、敵対する勢力があっては動けなくなってしまう。それは避けねばならないだろう。
「えっと。つまりチェス部とは部活戦争がそもそも出来ないってこと?」
難しそうな顔をして夜椿が問う。
「残念ながら。⋯⋯さっき、事情があるって言っただろ?」
「言ってたな」
「うん。その事情っていうのがなんだけど。今このチェス部には僕一人しかいないんだ」
「⋯⋯は?」
一人って言ったかコイツ。
この学校においてそれはあまりにも無謀すぎることだ。なんせ、カリキュラムのほぼ全てが部員同士の連携をメインに組まれているからな。
だがたった一人では連携も何も無い、ただの個人プレーだ。
そんな疑問を俺が覚えているのを察したのか、天羽は笑いながら訂正をした。
「ちょっと言い方が悪かったかもね。⋯⋯正確には、僕以外の部員は皆、遠征中なんだ。だから次期部長の僕がそんな大層な役職に着いちゃった」
「言ってる割には全く気負ってないように見えるけどな」
「そうかな? そう見えてるのなら少し嬉しいな」
⋯⋯少なくともその爽やかな笑顔が崩れないうちは大丈夫だろうな。
なんせこの会話中、コイツは一切その表情にマイナス感情を浮かべていない。並大抵のメンタルではないことは確かだ。
「とはいえ遠征もそんなに長いわけじゃないからね。あと一週間もすれば、この責任重大な役職からも開放されるよ」
「遠征ね⋯⋯チェスの大会って、ジュニア選手権以外にあったか?」
少なくともチェスに新人向けの大会があるなんて記憶は無い。
とはいえ、俺がやってるわけでもないしな。知らないだけで普通にあってもおかしくないだろう。
「はは、確かにこの時期に僕達の年齢で出れる大会は無いね。それこそ君が言ったジュニア選手権だけだ。詳しいんだね?」
「⋯⋯まあ昔に漫画で読んでな。タイトルは忘れた」
「なるほどね。覚えていたのなら是非にタイトルを聞かせてもらいたかったんだけどな」
「それは残念。記憶力には自信がなくてな、三日前の朝食すら思い出せない始末だ」
互いに互いを探るような問答が続く。
別に敵対する気は一切無いが、他の部活動の動きはなるべく知っておきたい。それがより優秀な人材の潜む場所ならなおさらだ。
「んで。結局他の部員達は、お前一人を置いてどこに行ったんだ?」
このままでは埒が明かないとあちらも判断したのか、天羽はひとつため息をついてから話し出す。
「⋯⋯いや、別に隠すつもりは無かったんだけどね。楽しそうだから探り合いに乗らせてもらったよ」
「だろうな。お互い敵対したとしてもメリットなんぞ無いんだし、当たり前だ」
「確かにそうだね。それで僕以外の部員だけど、彼らは今、海外だ」
⋯⋯マジかよ。わざわざ海外まで遠征する部活動があるとは思っていなかった。
「日本国内に大会が無いなら海外に行けばいいじゃんってか。⋯⋯随分思いきった行動をするな?」
「はは、やっぱそう思うよね? 僕もそう思った。⋯⋯でも、世界にこの学校の名を認知させるほどの試合をしたとしようか」
「最高の実績になる、ってわけかよ」
とんだ野心家の集まりじゃねえかよチェス部。
⋯⋯正直な話、B校舎のヤツらは皆部活戦争を仕掛けることに躍起になっていると思っていた。
「まあでも、最終的な目標としては部員全員がタイトルホルダーになる事だけどね」
「そりゃまた大層な目標だな」
「確かにそうかもしれないね。⋯⋯おや、もうこんな時間か。君達お昼はどうするんだい?」
そう言われて初めて時計を気にする。
見れば、正午まですでにあと数分といったところだった。
「あー。どうするよ部長サマ⋯⋯っておい」
「⋯⋯」
「あはは、寝ちゃってるみたいだね。鬼ごっこで疲れたのかな?」
「小学生かよ。⋯⋯ったく、やけに静かだと思ったぞ」
すやすやと寝息を立てている夜椿の額にデコピンを放つ。
「にゃっ!?」
「おい起きろコラ。帰って昼飯だ」
「ええっ、私寝ちゃってた⋯⋯?」
「それはもうぐっすりとな。⋯⋯とりあえず、邪魔したな天羽。お前と話すの中々面白かったわ」
俺は夜椿の手を取り無理やり立ち上がらせながら、この部屋の主へと礼を言う。
まさか礼を言われるとは思っていなかったのか、天羽は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして。
「こっちこそ楽しかったよ、有ノ宮くん。何せ一人は暇だからね、君が良ければまた遊びに来るといいよ? ほらこれ、僕の連絡先だ」
「お? ⋯⋯おー、貰っとくわ。何気に俺も友達が少なくてな」
「あれ、あれ? 二人がいつの間にか仲良くなってる⋯⋯?」
困惑する夜椿を他所にメアドらしきものの書かれた紙を受け取り、それをポケットへと入れる。
俺達は天羽に見送られながらチェス部の部室を退出した。
「にしてもお前、度胸あるよな。普通は居眠りできんだろ、あの状況」
「えへへ、そうかなー」
「1ミリも褒めてねぇ⋯⋯」
セリフの後半部分がまるっと聞こえていなかったかのような反応だ。ポジティブシンキングがすぎるぞこの部長。
思わずげんなりとしながらも、俺は夜椿と並んでB校舎を出る。
「⋯⋯帰りは追いかけられなかったな」
「鬼ごっこしたかったの?」
「んなわけねーだろ。今から帰るってのに疲れるのは嫌だ」
無論、帰りじゃなくとも嫌だが。
普通に友人とやる鬼ごっこならウェルカムなのだが、アイツらに追いかけられるのは絶対に嫌だ。
だってアイツらの表情ヤバいし。三日間何も食ってないやつが目の前に食料を落とされたみたいな。アレが鬼気迫る感じってやつなのだろうか?
「⋯⋯目的は達成出来なかったが、気分転換にはなったか?」
俺は隣で楽しそうに歩く夜椿へと声をかけた。
今朝方、足袋川先輩を含めた作戦会議の際はやる気が空回っている感じが強かった。
やる気があるのはもちろんいい事だが、肩の力を抜くことを覚えることも大切だ。
「ほえ? 有ノ宮くんそんなこと考えてたんだ」
「どうだかな。まあ敵になるかもしれないやつとの会合で居眠りするくらいだし大丈夫だろ」
「あうー、ごめんなさい⋯⋯ってあれ? 笑ってるの?」
「⋯⋯は?」
手を頬に触れさせると、口元が少しばかり緩んでいた。
「すまん、忘れてくれ」
「えー、やだ」
思えば素で出てしまった笑顔を他人に見られるのなんて一体いつぶりだろうか?
自分の思わぬ成長に少しばかり照れくさくなり、夜椿から目を逸らしてしまった。
「おい。わざわざ前に来て俺の顔を見んな」
「⋯⋯えへへ」
意外と、気分転換になったのは俺の方だったのかもしれなかったりしてな。
┅
部室の扉を開くと、竜胆が正座させられていた。
「⋯⋯なあ鼓ヶ丘。アレは一体どうしたんだ?」
部屋の隅っこで体育座りをし、怯えるようにガクブルとしている鼓ヶ丘へと状況を聞く。
話しかけるや否や。鼓ヶ丘はガバリと勢いよく顔を上げ、俺へと泣きついて来た。
「有ノ宮殿ぉ! 我は孤立無援の中恐怖に耐え忍びましたぞっ!!」
「相変わらずだなー、お前は。んで何があったんだアレは一体⋯⋯」
そう言って俺が視線を向ける先は、部室のほぼ中央。
正座をする竜胆の前には腕を組んで仁王立ちをしている足袋川先輩がいた。
表情こそはいつも通りの優しい笑みを浮かべているが、後ろにうっすらと般若の顔が浮かんで見えるのは何故なのだろうか。
「⋯⋯事の始まりは、竜胆殿のお遊びでした」
「お遊び?」
「有ノ宮殿と夜椿殿が部屋を出てから、部屋には静寂が満ちておりました。それぞれが思い思いに過ごすだけの空間が広がり、我は愛銃の手入れを。足袋川殿は何やら執筆を。竜胆殿は⋯⋯何かの機械をその小さなカバンから取り出しました」
「機械ってアレか⋯⋯」
長机の端っこらへんに鎮座する、小さめのプロジェクターほどの何かが目に入った。
少なくとも今朝は無かったし俺が知るオタ部にはあんな機械は備品に存在しない。
「アレを取り出し、しばらく眺めた後。竜胆殿は言い放ちました。⋯⋯暇、と」
うわ。嫌な予感しかしねえ。
正直な話、出会ってまだ二日目なのに竜胆のマイペースぶりの異常さは身に染みて分かっているのだ。
「その後。暇つぶしに機械の試運転をするとの事で足袋川殿に許可を取り、何やら譲り受けた資料のようなものをその機械で読み取りました」
「⋯⋯シュレッダーしたとか?」
俺の単純すぎる答えに対し、鼓ヶ丘は首を横に振る。
「それ自体は良かったのです。ただ通した紙に書かれている文字を読むだけの機械⋯⋯それだけの物でした」
「⋯⋯うわ」
察した。
この先は聞かない方が足袋川先輩のためだろう。
そう思い、俺は鼓ヶ丘を静止しようとするのだが。
「おい鼓ヶ丘。もう察したから⋯⋯っておい」
「全て読み取り終え、やる事が再度無くなった竜胆殿は次は足袋川先輩の手元にあった紙束へと⋯⋯」
もはや壊れたレコーダーのごとく鼓ヶ丘は喋り続ける。可哀想に、余程怖かったのだろう。
放っておくわけにもいかず、俺は鼓ヶ丘が止まるのを待つことにした。⋯⋯したのだが。
「二人とも。ちょっと静かにしてくれるかしら?」
「うおあっ!?」
「ひいぃっ!?」
背後からいきなり聞こえる声に跳ね上がる。
決してやましい事があったから驚いたわけではない。きっと。
振り向くとやはりと言うべきか、足袋川先輩が胸の前で腕を組んで立っていた。
「⋯⋯お疲れ様っす」
「⋯⋯ええ、本当にね。危うく私の尊厳が木っ端微塵に砕け散ってしまうところだったわ」
一瞬足袋川先輩の後方に座る竜胆が小刻みに震えているのが目に入ったが、スルーに努める。
下手につつくと火傷じゃ済まない気がするしな。怖い怖い。
「どうせ書いてる小説を読み上げられたってところでしょう? 俺は好きですけどね、先輩の書く小説は」
軽くフォローをして、俺は鼓ヶ丘を連れ立って座席へと向かう。
いつの間にか定位置に座っている夜椿の図太さにに思わず感服するが、こちらも今はスルー。飯だ飯。
「あっ、戻ってきた。じゃあ一緒にご飯食べよっ!」
「待ってたのか? 先に食ってても良かったんだぞ」
「えへへー」
また笑ってはぐらかされた気がしないでもないが、俺と夜椿はそれぞれの昼ご飯を机に出す。
夜椿の前には可愛らしい弁当箱。対する俺はコンビニで登校の際に買ってきた焼きそばパンだ。
「あら、今日も菓子パンなのかしら?」
「そうっすけど⋯⋯先輩もまだ食べてなかったんすね」
「少し忙しかったもの。では皆で食べましょうか」
「だってさ、許しが出たぞ竜胆。お前も椅子に座れ」
未だに部屋の中央で正座を続けている竜胆へと救いの手を差し伸べる。
「⋯⋯たてない。助けてせんぱい」
「⋯⋯しゃーねえな」
足が完全に痺れて動けないのだろう。四つん這いになりふるふると震える竜胆を持ち上げる。
「ひゃうっ!? し、しびれ」
立ち上がろうとするが上手く立つ事が出来ない竜胆。一体どれだけ長い時間正座させられていたのだろうか。
竜胆は力の入らない足をガクガクとさせながらも、倒れないように俺の胸元へともたれかかる。制服越しに感じる竜胆の息が熱い。
「ほら歩け。椅子に座ってマッサージでもすりゃマシになるだろ」
「そんなレベルじゃ⋯⋯ない」
腕にしがみつきながらフラフラとどうにか歩き、やっとの事で座席へとたどり着く。
へたり込むようにして背もたれへと体重を預けたのを見届けると、俺も自分の座席へと戻ることにする。
「⋯⋯んあ? どうした鼓ヶ丘。なんか入り口にでもいんのか」
「いっ、いえ何も無いであります有ノ宮殿ぉ!?」
「そうか⋯⋯?」
どこか俺と竜胆から視線を逸らすようにして顔を背けていた鼓ヶ丘。その声は心做しか上擦っている。
「うし、戻った。じゃあ昼飯にしますか⋯⋯ってどうしたんすか、二人して」
「⋯⋯結果オーライだったかもしれないわね。執筆する上でのいい材料が手に入ったわ」
「はわわ⋯⋯竜胆ちゃん⋯⋯」
何やら思案顔の足袋川先輩と顔をリンゴのように真っ赤に染め上げた夜椿。一体何を見たのだろうか?
わけも分からぬまま、俺は一人先に焼きそばパンを口へと運んだ。