第一話 オタ部、悩む
新年ということで小説を書き始めてみました。まだ至らぬ点が多々ありますが、暖かい目で見守っていただけると幸いです。
何の変哲もなく、代わり映えのしない朝。
カバンを肩にかけた数多の少年少女が通学バスを降り、校門を潜っていく。
暖かい春の日差しに照らされる制服は、新学期の訪れを如実に感じさせるものだ。
ーー窓際の席で、俺はその光景を眺めていた。
新入生達が仲良く談笑をしている。彼らはきっと、これから訪れる高校生活に期待し、胸躍らせているのであろう。
「⋯⋯平和だね」
誰かが呟く。どうやら俺以外にも車内に残っている生徒がいたようだ。
その声には、どこか平和というものを懐かしむような。もう手に入らないものを心の底から羨ましがるような、そんな感情が滲んでいた。
(ま、この学校じゃそうもなるか)
俺は視線を移すことなく。しかし内心その意見には同意する。
桜の木の下、手を取り合いながら写真を撮っている彼らはまだ知らないのだ。
この学校の本来の姿を。
ここは、彼らの望む青春とは実に程遠い場所。
『日々研鑽』をモットーに部活動を極めるための場所、と言えば聞こえはいいが。
(その本質はただの地獄っていうね)
部活動単位で団結力を最大限高めるために作られた、特有のカリキュラム。
それはクラスメイトが全て同部活であることが前提にして、己の技術を磨くために互いに喰らい合う蠱毒の場所。
ーーより良い環境を手に入れたくば、部員同士団結して他を蹴落とせ。
去年の始業式で聞かされた、この学校における絶対のルールだ。
(その後に控えてたクラス発表の時が一番酷かったな)
阿鼻叫喚の嵐だった。
入学前まで親友同士だったが、クラス同士の仲が悪く縁を絶たざるを得なかった人すら居ると聞いたくらいだ。
正直この話を聞いた際は引いた。
たかがクラス分け程度で人間関係が崩壊させられるのだ、はっきり言って異常だろう。
俺は元々知り合いがいる訳でもなかったので、そんな状況にはならなかったのだが。
つまるところ今浮かれている少年少女達は、ほんの数時間後にはどうなっているか分からない。
(この学校ならではだな。ドンマイ)
顔を合わせるかも分からない後輩達の背中に激励を諦め混じりに贈り、俺も降車の準備をする。
気がつけば車内に残っているのは俺だけになっていた。
「⋯⋯じゃ。今日も一日、無難に過ごしますかね」
外に出ると柔らかな風が頬を撫で、眠気を誘う。
予鈴のチャイム音が響く中欠伸を噛み殺しなつつも、俺の通う教室へ。
この学校におけるカースト最底辺に位置する、『オタ部』の部室へと足を進めた。
┅
視界が闇に覆われている。⋯⋯格好よく言ってみたが、ただ単に机に突っ伏して目を瞑っているだけだ。
目を閉じることによって代わりに研ぎ澄まされた聴覚には、机の上でペンを走らせる音が断続的に入ってくる。
部屋にほぼ一定のリズムで響くソレは、まるで子守唄のごとしと言うべきか。既に働かなくなっている脳をレム睡眠へとーー、
「部活を始めますっ!!」
ーー導かなかった。
勢いよく開け放たれたドアが部屋の空気を揺らすのと同時に、俺の脳は急速に現実へと引き戻された。
なるほど、睡眠に入る直前に冷水を浴びさせられる感覚とはこんな感じか。やめて欲しいな、切実に。
部活開始の掛け声が部屋に反響する一方。先程まで響いていた不規則なリズムはピタリと止まり、代わりにペンを机に置く音が一つ。
「おはようございます、夜椿さん。今日は珍しく遅かったですね?」
「足袋川先輩おはようございます! はい、新入生のクラス分けを確認してました!」
「ふふっ、やっぱりそうだったのね。⋯⋯どうだったのかしら?」
「えへへ。二人も増えるんです、このオタ部に! 大出世です!」
俺のすぐ近くで響く声は少女のものが二人分。
彼女達こそがこの学校における俺のクラスメイト達だ。
足袋川と呼ばれたのが先程まで筆跡音を建てていた方で、俺のひとつ上の学年。つまり三年生の先輩である。
見た目はこれこそがお嬢様か、と思うほどの清楚系黒髪ロングの美少女。所作の所々に気品が感じられるその様から、他学年からは高嶺の花と言われているらしい。
ちなみにフルネームは足袋川葛葉、名前も上品だ。
そして、この喧騒の原因となった少女こそがオタ部における最高の権力者。つまるところの部長サマである。
少女の名前は夜椿らくだ。俺の安眠を隙あらば阻害しようとする、忌むべき天敵である。
若干紺色混じりの髪の毛を両肩でそれぞれ軽く結わえている美少女なのだが。いかんせんその自由奔放な性格が災いして、ことある事に厄介事を持ってくる問題児だ。
「ふふん。どうだそこで寝たフリしてる有ノ宮くん! コレがオタ部の本当の力です!」
げ、こっちにも矛先が向いた。めんどくせえ。
このまま寝たフリを続けるか否かと悩んでいると、隣に座る足袋川先輩が軽く脇腹をつついてきた。くすぐったい。
しかし俺は姿勢を変えることなく、むしろ絶対に顔を上げないという意思表示をした。
「⋯⋯」
すると隣に座る足袋川先輩がその手を止めて、耳元までその端正な顔を近付ける。
女性特有の香りが嗅覚を。足袋川先輩の息遣いが聴覚を刺激して思わずドキドキとしてしまう。
「有ノ宮くん? ホントは起きてるんでしょう?」
ヤバい、凄く恥ずかしい。目を瞑っているせいで余計なことを考えてしまう。このまま優しく起こしてくれないかな、なんて。
足袋川先輩が耳元で息を吐き、続けて呟く。
「起きないのなら⋯⋯」
ーーごくり、と喉がなった。
「あっ、やっぱり起きてた!」
「ふふ。分かりやすいわね?」
「⋯⋯」
クソが。嵌められた。
だってルックス百点満点の美少女を耳元で感じた挙句。極めつけは、"起きないのなら⋯⋯"だぞ。期待のひとつやふたつしてしまった俺は悪くない。
「⋯⋯で、なんだよ部長サマ。純朴な一人の少年を嵌めやがって」
「寝たフリをしてた有ノ宮くんが悪いんだよ。起きてるんなら返事して欲しいもん」
「お前があんな音たてなきゃ寝れてたんですがね」
ぶち破る勢いでドアを開けやがって。壊れたらどうすんだよ、新入生とやらが見たらびっくりするだろ。しかもこの学校のルールで言えば修繕費は部費から出さなきゃいけないし。
ため息をつく俺の隣で、足袋川先輩は口元に手を当てクスクスと笑う。このオタ部における清涼剤である。
「むう。それを言われたら黙るしかないけど⋯⋯」
露骨にしょんぼりとする夜椿。
あれ、何か罪悪感。俺が悪いの?
「夜椿さんにも悪気があった訳では無いのだし、許してあげましょう? それよりも今は新しい部員達を迎える準備を、です」
「⋯⋯そっすね。でも、足袋川先輩も一枚噛んでますからね?」
「あら、なんのことかしら? ⋯⋯じゃあまずは教室のお片付けからね」
「はぐらかしたよこの先輩」
だけどなんだろうか、この差は。夜椿がしたとすればイラつくだろうが、足袋川先輩なら許せてしまう。ほらあれだ、普段清楚な人がたまに見せるイタズラっぽい笑顔がグッとくるみたいな。
とはいえ嵌められたこと自体は変わらないので、鬱憤は教室もとい部室の片付けで晴らすとしよう。
そう思い、部屋を軽く見回したのだがひとつ大きな問題が。
「なあ、部長サマよ」
「どうしたの?」
いつの間にか前掛けと三角ずきんを装着し、手にハンディモップを構えた夜椿に声をかける。いやそれ掃除というか料理の格好じゃないか?
まあそんなことよりもーー、
「この部屋の掃除ってどうするつもりだ」
そう言って俺が指さすのは、コンクリートの床が剥き出しになった殺風景なレイアウト。長机とパイプ椅子は最低限のものしかなく、用度品はそれこそ筆記用具くらいだ。
無駄に広々としたこの部屋に対して少なすぎる家具の諸々。明らかに掃除する場所は無い。
「⋯⋯えーっと。部屋の隅っことか?」
「よくドラマで見るタイプの姑かお前は」
思わず呆れて突っ込んでしまった。
「確かに掃除する場所無いや」
「まあ足袋川先輩が整理整頓とかしっかりしてくれるしな。お前の出す紙束とか全部整理してくれてんだぞ?」
「うっ。面目ないです⋯⋯」
「大丈夫よ。でも整理整頓はしっかりね? 一年後には私、卒業するのだから」
あれ、ということはこの教室における唯一の清涼剤が来年には居なくなるのか?
大変な事実に気付いてしまったが、まあ一年後の話をするのも気が早いというもの。今はこの悲しいだけの事実を忘れよう。
「まあそれはおいおい考えるとして。新入生の歓迎も何も、このクラスって財政難だろ。普通に迎えるだけじゃダメなのか?」
「それはダメだよ。これから同じ釜の飯を食う中になるんだもん、しっかりと歓迎しなきゃ!」
「っていってもなあ⋯⋯」
そもそもの話。同じ釜の飯を食うかどうかはさておき、その二人が来るのはもう下手をすれば一時間後と言ったところだ。今から歓迎会の準備をしても間に合わないことは自明の断りだろう。
「ううー、足袋川先輩ぃー⋯⋯」
とうとう自分で考えるのを諦めた夜椿は、足袋川先輩に泣きつく。二人の胸がぶつかって変形する光景に視線を集中させそうになるが我慢だ。女の勘ほど怖いものは無いしな。
俺はパイプ椅子から立ち上がり、二人を置いて部屋の入口へと向かう。
「あれ? 有ノ宮くんどこ行くの?」
「休憩。外の空気吸ってくる」
手をひらひらと振りながら扉を出る。
部室を出るとグラウンドが広がっていて、今の今まで自分が居た場所が校舎とかけ離れたところにあるのが分かる。
振り向くと俺達の部室の全貌が視界にうつった。古びた倉庫をそのまま利用されたその場所は、この学校の厳しさを表していた。
「⋯⋯ったく。看板、落ちてんじゃねえか」
よく見るとドアの前には見慣れた木の板が落ちていた。拾い上げてホコリを払い、元あった場所へとかけ直す。
『趣味研究部』と書かれている。つまりこれがオタ部の正式名称だ。まあこの名前で呼ばれることも少ないんだけどね。俺らも基本オタ部呼びだし。
⋯⋯きっと他の部活のヤツらは校舎内にあるしっかりとした部室で歓迎会の準備をしているのだろう。
「世話のかかる部長サマだな、ほんと」
さて。女性陣二人がゆりゆりとしている間に、俺も働くとしますかね。
┅
校舎まで向かい、お目当ての物を手に入れてきた俺は部室の前で立ちすくんでいた。
「んっ、足袋川先輩い⋯⋯!」
「そんな声出さないの。有ノ宮くんが帰ってくる前に⋯⋯ね?」
一体ナニをしてるのだろうか。物凄く入りづらい。あっ、もしかして俺の知らない間にガチ百合にまで発展しちゃった? だとしたら居づらいんだけど。
しかしその心配は杞憂だったようで。
「ううう。なんでこんな時にブラのホックが壊れちゃうの⋯⋯?」
どうやら部長サマがお困りのようだった。というか確かに杞憂ではあったけれど、これはこれで部室に入るタイミングが無い。もし入っていけば、平手打ち待ったナシだ。
仕方なくその場であぐらをかく。視界の先では、サッカー部らしき人影がグラウンドに沢山あった。
「部員の数だけでも雲泥の差だな」
はあ、とため息が出てしまう。
この学校は部活動単位での実績がそのままカーストの直結する。
その中でもサッカー部は上位の方で、確か何かの大会を四連覇中だったか。
一方、オタ部は最底辺も最底辺。月に一度行われる、部員同士の団結力を示す特殊定期考査で結果を示せなければ来年には廃部とすら言われている。
廃部とはつまり通う教室が無くなるのと同義。つまるところ実質的な退学扱いとなる。
なるほど、まさに背水の陣というやつだ。
「つってもなあ⋯⋯」
オタ部の正式名称は趣味研究部。活動内容はそのままで、己の誇る趣味を研鑽し、究めるための部活動。
つまり、部員同士の活動内容がバラバラなのだ。出場できる大会なんてものは無いため、部活動として実績を取る事なんてほとんど無理ゲーと言える。
「どうすりゃいいんだろうな、この状況」
「ーーあら、有ノ宮くん。帰っていたの?」
「うおっ!?」
思わず飛び上がってしまった。
声の出処を見れば、部室のドアを少しだけ開けて足袋川先輩がこちらを覗いていた。
「大丈夫かしら? 随分と思い悩んでいた様だけど」
「あー。まあ、気にしないでください」
そう言って誤魔化す。部活のことを考えてた、なんて言うのも小っ恥ずかしいし。
足袋川先輩は何かを納得したかのようにクスリと微笑み。ドアを大きく開き、俺を手招きした。
「もう入っていいんすか?」
「ええ。大丈夫よ」
「なら遠慮なく。コンクリートの上で胡座をかくのって結構しんどいんですよ」
立ち上がると身体が凝っていたので、軽く伸びをする。
おお、関節が鳴って気持ちいいな。確かあんまりやると良くないんだっけコレ。
部屋へと戻った足袋川先輩に続いて俺も扉を潜る。
「⋯⋯あれ? 有ノ宮くんだ。おかえり」
長机に突っ伏していた夜椿がこちらに気付き、顔を上げる。
「そこ俺の席なんだが? ⋯⋯ほらコレ、使うだろ」
「おおー! ジュースがいっぱい、お菓子もあるよ! もしかして買ってきてくれたの!?」
「こうでもしなきゃ部長サマが唸ったままだしな。これなら小さくても歓迎会くらい出来る」
まあ五人分を購買で買うとなると中々高かったけどな。おかげで財布がすっからかんだ。
だが、夜椿のやつがしょんぼりとしたままだと部全体の雰囲気が暗くなってしまう。そんなことは勘弁だからな。
「優しいのね?」
「そんなんじゃないっすよ。俺のためです」
足袋川先輩の優しげな視線に耐えれず、そっぽを向いてしまう。
間違ったことは言っていない。部の雰囲気が明るいと俺も嬉しい、ひいては俺のためという訳だ。
「⋯⋯やっぱり優しいじゃない。ほら、口元が緩んでるわよ?」
「えっ」
「ふふ、冗談よ。準備を始めましょう?」
「⋯⋯うっす」
またもやからかわれたらしい。
俺は今日何度目か分からぬため息をつく。しかし、ネガティブな感情によるものでは無かった。
鼻歌交じりに紙コップを長机に並べている夜椿は、実に上機嫌そうで。
足袋川先輩が冗談と言った頬の緩みはあながち間違っていないかもな、と心の中で呟いたのだった。