■ 壱.二〇〇五年七月十五日(金曜日) 午後二時五分
その日、何が起きたのか?
■ 壱.二〇〇五年七月十五日(金曜日) 午後二時五分
「・・・あぢー・・・」
セミがやかましく鳴いている。逃げ水の見えるなだらかな坂道を
くだりながら空を見上げると入道雲が出ていた。梅雨、とは名ばかりだ。
7月に入ってから一度も雨が降ってない。
ニュースでは連日、節水だの給水制限だのとアナウンサーが深刻そうに
ひからびたダムの映像を流していた。そのうち、この町だって節水
制限がはじまるだろう。
アスファルトも水を欲してからからに渇ききっている。生い茂っている
街路樹も水が欲しそうに空に葉をひろげていた。ほこりっぽい道を
こんな時間に歩いているのは俺だけで、誰とも会わなかった。
きっと皆、涼しい屋内に避難してるんだろう。
「・・・バンリ!おーい、コガバンリ!」
誰かが俺の名前を呼んだ。振り返ると
「・・・辰ちゃん?」
「お前、まーた学校行ってないんかー」
そう言うと、アッシュグレイに染めた俺の髪をつかんで、ぐりぐりと押さえ
つける。辰宮央司は、昔、俺が住んでた家の近所にあった神社の息子だ。
去年、俺の通っていた高校に教育実習生として来ていた。
「何しちょるんか、こんなとこで」
「別に・・・」
・・・『通っていた』というのは、今は俺が学校に行ってないからだ。
それを知っているのか知らないのか、まあいいや、と
「ちょうどよかった。これ持ってくれんか?」
「な・・・?」
ばさっ、と辰宮が俺に手渡したのは分厚いレポートや本の束だった。
あまりの量に
「なんだよコレ?」
「卒業論文の下書き」
「卒論?」
「無事に大学卒業するんも色々あるんちゃ。わかるか?」
「・・・ふうん」
辰宮は23歳。大学に5年行って、ようやく今年卒業できそう(?)
だった。・・・一昨年までは金髪にピアス、いつ見てもホスト崩れの
黒服だったが、さすがに教育実習にきたときは、髪も黒く染め直していた。
ピアスのあとがやけに目立ってたくらいだ。
「・・・コレどんなレポート?」
「ああ、わしの専門、歴史やろ。日本近代史。二次大戦時中の
空襲と被害状況なんかを調べてまとめとるん」
「・・・ふーん」
「この町も昔は、結構、空襲にあって大変やったみたいっちゃ。
北九州市は工場地帯やったし、工場もたくさんあったんち」
といっても興味もなにもない。歴史はスキでも嫌いでもないし、過去の
ことなんてどうでもいいし。しばらく黙って歩いていると携帯が鳴った。
辰宮のだ。
「はい、もしもし・・・あ、お疲れ様です。え?はあ・・・えー、今から
っすか?はあ・・・はあ・・・」
苦い顔をして
「わかりました・・・10分くらいで行けます。・・・はぁぁあ、バイトいかな
いけん・・・」
携帯を切って辰宮は深いため息を吐いた
「バイト?」
「コンビニ。今日、出るやつが夏風邪やったっち。仕方ないけど・・・」
急に呼び出されたのか辰宮は疲れたため息を吐いて
「悪いな、持ってくれてアリガトー」
「え、いまからコレ持ってバイト行くん?」
ここから辰宮の住んでる神社までは20分ほどだろうか。辰宮のバイト先、という
のがどこかはわからなかったけれど、結構な資料の量だった。分厚い辞書みたい
なのをはじめ紙の束だとか。これを持ち歩くのはちょっと嫌だろう
「仕方ないやん。家帰ってたらバイト先に着くのいつになるかわからんもん」
「・・・俺が持ってっとこうか?」
「え?」
「社務所とかに置いていいんだったら持っていってもいいけど」
「ほんとにー!?いや悪いな。言葉に甘えてもいい?・・・ったく、わし
昨日まで5日連チャンバイトで、よーやく今日から休みやったんになー」
仕方ないか、と
「そや、なんか買っちゃるけ。スキなもん。うちのコンビニ行こう」
「いいよ」
「いやいや、わしも昼飯食べないけんし・・・」
そういって一緒に歩いて行ったコンビニは、神社の近所にあるコンビニだった。
辰宮は自宅からも近いのでこのコンビニをバイト先に決めたのだろう。
すぐに辰宮は制服に着替えてレジに入ったが、なんでもスキなもん買い、と
いったので遠慮するのも悪いのでおにぎりみっつとコカコーラとウーロン茶と
ポテトチップスとレジャー情報誌をレジに出した。まだなんか買えば、というの
でレジの前にあったガムと、のど飴を出す。辰宮はこれから食べるんだろう弁当や
スポーツ新聞を買っていた。
「ほんとゴメンな、社務所でも玄関でも放っちょったらいいけ」
「うん・・・」
「ほなよろしく」
・・・バイトも大変だよな、と俺は辰宮の資料を持って歩き出した。
・・・そういやこの辺も久しぶりだ。小学校以来だろうか。
両親が
離婚して以来とか・・・
なんだかイヤなことを思い出してしまった。忘れよう、と頭を振る。
辰宮八幡宮。
辰宮の実家だ。昔・・・ここの境内でよく遊んだけど・・・
その光景は俺がこの辺に住んでいた5年前と何も変わってなかった。
「・・・」
5年か・・・。
父さんと母さんが別れて、もうそんなになる。
二人が離婚して俺は母さんにひきとられた。父さんは父さんの実家のある
長崎に戻ったという。
両親が離婚して5年。
俺は父さんに会ってない・・・。
「あ・・・この楠」
よく登って遊んだ木があった。ちょっとした森になっているこの神社は
俺の遊び場だった。遅くなるまで木に登ったり、かくれんぼしたり、缶けりしたり
・・・まだたったの5年なのに、ここは何も変わってない気がした。
俺は小学生から高校生になってしまったっていうのに(学校行ってないけど)
「・・・そーいや」
まだ『あれ』はあるんだろうか・・・
『秘密基地』
それは神社の裏手にあるちょっとしたほらあなで、このへんに住んでいた
子供たちはそこを『秘密基地』といってかくれんぼで使ったり、
そこで過ごしたりしていた。今でもあるだろうか、と神社の裏にまわると
そのほらあなはまだあった。お菓子の袋や缶ジュースの缶が散乱していたので
まだ子供の秘密基地としての機能を果たしてるらしい。
「・・・」
湿ったそのほらあなに入った。子供のころは大きく思ったそのほらあなも
俺が背が高くなったのか、小さく見えた。
風が吹き渡る。
夏でも寒気がした。・・・日が当たらず湿気が多い場所だからだろうか?
昔は『秘密基地ごっこ』といって、ここで他愛のない話。その頃、人気のあった
アニメの主人公にでもなった気分で、いるはずのない『敵』をやっつけるために
ああだこうだ、毎日相談してたものだ。今でも誰かはここで、地球侵略を企む
悪の秘密結社をやっつける相談でもしているのだろうか?
「・・・雨・・・?」
いきなりざぁっ、と雨が降り始めた。・・・嘘だろ。さっきまであんなに晴れてたの
に。
・・・にわか雨だろうか。仕方ない、とほらあなの奥にはいって土の壁にもたれか
かった。
「あ、コレ社務所においてくるんやった・・・」
辰宮のレポートをこんなところまで持ってきてしまっていた。
何気なく読むと、いくつかの日本の町の名前がかいてある。東京、横浜、大阪、
神戸、そして、ここ。俺の住んでる北九州・・・
「わけわからん・・・」
俺が読んだところで意味のわからないものだ。辰宮に買ってもらった情報誌を
読む。雨は激しさをどんどん増していった。
「・・・どーなっちょん?」
まあ、夏だしな・・・『今週の花火大会』と言う見出しを眺める。買ってもらった
おにぎりをひとつかじった。梅干がしょっぱい。
うとうとしはじめて横になった。雨はまだまだ降り続いている。