(3)
それからというもの、彼はわたしに食べ物を渡してくるようになった。
サンドイッチ、パン、クッキー、カップケーキ、ショコラ…
きっと、わたしの食事事情を知っての事だろう。
それを面と向かってカイルに聞けないのは、
そんな話をして気まずい思いをしたくないからだ。
改めて言葉にすると自分が情けなくなるだろうし、
泣いてしまうかもしれない。
カイルが言ってこないのも、彼の優しさなのだと思う。
わたしはそれに甘え、意味不明な理由を付けて渡されるものを、
素直に受け取り、感謝して食した。
◇
パーティの準備をしている様で、屋敷の中が慌ただしい。
当然の事だけど、わたしは全く聞かされていないし、
パーティならば呼ばれる事は無いだろう。
パーティは大人のものだ。
わたしはなるべく部屋から出ずに過ごす事にした。
幸い、読みたい本は手元にあるし、気分転換には掃除をしよう。
本を読み始めた時、ドアがノックされた。
「姉さん、入ってもいいですか?」
良く知る声に、わたしは反射的に「はい、どうぞ!」と返していた。
カイルが部屋に来るのは珍しい。
わたしは本を閉じ、迎えた。
「落ち着かないので、避難して来ました、お茶にしましょう」
カイルはワゴンを押して入って来た。
そこからお茶のセットを取り、小さなテーブルに置いていく…
わたしはカイルに椅子を勧め、わたしの分は机用の物を運んで来た。
ちぐはぐだけど、椅子は一つしか無いので仕方がない。
わたしはカップに紅茶を注ぐ…温かく良い香りが立ち上った。
「どうぞ」とカップをカイルの前に置くと、
カイルは「ありがとうございます」と満足そうな笑みを浮かべた。
美味しい紅茶とサンドイッチ、それに目の前で楽しそうに話し、
笑ってくれる人…
心が温かくなり、満たされる気がした。
「姉さん、美味しいですか?」
「美味しいです!」
「姉さんは知らないと思うのですが、明日、僕は12歳になります」
急な話の舵切りに、わたしはサンドイッチを喉に詰めそうになった。
「~~~!!」
「姉さん、大丈夫ですか?」
優しいカイルは、優しく背中を擦ってくれた。
半分はあなたの所為だと思うのだけど!
そうか、準備していたのは、
カイルの12歳の祝いとお披露目のパーティだったんですね…
それなら、身内であるわたしもパーティに…
いえ、呼ばれる事は無いですね。
両親はわたしの事を「恥」と思っている様だし、
わたしが居なくても何も滞りは無いのだから。
「お誕生日なのですね、カイル、12歳、おめでとうございます」
「誕生日は明日ですけど、姉上、ありがとうございます」
カイルは笑うが、明日は多分、言えないし…顔を見る事も無いだろう。
「そうだ、何かプレゼントを…!」
そう思ってみたが、わたしには上げられる物は無かったと気付き、
しゅんと肩を落とした。
「姉上からプレゼントを頂けるんですか?」
「あ、あの、差し上げたいのですが、生憎の処、何も無くて…」
「それなら、僕のお願いを聞いてくれますか?」
『お願い』
こんな事を言われたのは、前世から通しても多分初めてで、
胸が弾んでしまった。
「は、はい!なんなりと!」
わたしが意気込んで答えると、
カイルは少し困ったような顔をし、小さく嘆息した。
「姉上、そう簡単に引き受けないで下さい、
無理難題を言う人だっているんですから」
「あ、はい!確かに、そういう事もありますよね、
申し訳ございません…でも、カイルだから___」
「僕だから?」
カイルには沢山恩がある。
カイルが屋敷に来てから、わたしは毎日が楽しいのだ。
わたしは、家族にとってもメイドたちにとっても『空気』だけど、
カイルはわたしを見てくれた。
話してくれて、笑ってくれる___それがどれだけわたしを幸せにするか…
自分に出来る事なら、何でもしてあげたい、何か返したい、少しでも…
「カイルはわたしの大切な義弟だから、出来得る限り、応えたいのです」
わたしは真剣だと分かる様に、背を正した。
カイルは目を伏せ、「出来れば、僕だけにしておいて欲しいですが…」と
何やら小さく零した。
「それでは」と徐に立ち上がったカイルは、わたしの傍に来て片膝を付き、
手をすっと差し出した。
「僕と踊って貰えますか?」
それは大人の様に、余裕と気品があった。
まだ子供だというのに、生まれながらの気品なのだろうか…
前世庶民のわたしは、気遅れしてしまいます。
「で、でも、わたしはパーティには、呼ばれないと…」
「今、ここでいいので、姉さん、僕の手を取って下さい」
柔らかいカイルの声に操られるかの様に、
わたしの手はカイルの手に降りていた。
手を繋いだまま、わたしは椅子から立ち上がる。
向かい合って礼をして、カイルの手がわたしの手を取り、
空いた手はわたしの腰に…
「~♪~…」
カイルが小さく口ずさむメロディに合わせて、わたしたちはくるくると回る。
カイルの踏むステップには、迷いが無い。
スムーズで流れていくようだ。
至近距離でカイルに見つめられ、普段であれば恥ずかしいと思う筈なのに、
わたしの頭はまるで働いていなかった。
わたしはその綺麗な青緑の瞳から目が離せなくなった。
ダンスの練習は、家庭教師が相手をしてくれたが、こんな風では無かった。
夢の中に紛れ込んだような、ふわふわとしていて…不思議な感覚だった。
ぼうっとしている間に、ダンスは終わっていた。
わたしの息は弾んでいた。
カイルの瞳が緑色に輝いている。
「姉さん、ありがとうございます」
カイルがわたしの手の甲に唇を落とした。
反射的にビクリとし、我に返った。
夢の時間が終わりを告げた気がした。
カイルがワゴンを押し部屋を出て行くのを見送り、
わたしはベッドに腰掛けた。
頬が熱く、両手で冷やそうと挟み込んだが、手の甲のキスを思い出し、
「~~~!!」堪らずにベッドにうつ伏せた。
前世の年齢22歳、今世の年齢12歳を、こんなに翻弄させるなんて!!
ああ、わたしは義弟の将来が不安です___
◇
カイルの誕生祝いとお披露目パーティには、やはり呼ばれなかったが、
それで良かったと思う。
あのダンスの余韻がまだ続いていたからだ。
気恥ずかしく、カイルと顔を合わせて赤面しない自信は無かった。
心を落ち着かせようと、わたしはハンカチに刺繍を始めた。
カイルへの誕生日プレゼントだ。
カイルの願いは叶える事が出来たが、やはり、何かあげたかった。
前世でも今世でも、誕生日プレゼントを上げる友達はいなかったから、
こういう事が出来て、単純にうれしかった。
カイルのイニシャルと、何か絵柄を入れるつもりだ。
「喜んで貰えるといいです!」
◇
パーティの翌日、カイルは再びワゴンを押し、わたしの部屋を訪れた。
紅茶を淹れ、ふっくらとしたパンとジャムと果物…
それらを美味しく頂きながら、
わたしはなんとか今朝仕上げた刺繍のハンカチを、
カイルに渡す機会を狙っていた。
「家庭教師の時間を減らして、剣術を習う許しを貰いました」
「剣術!?」
物語のカイルは魔術一辺倒だった気がする。
齷齪剣を振るっている騎士に、
「魔法の方が効率的だ」とか上から言っている様な人だ。
「おかしいですか?」
「いえいえ!その、剣術に興味があったのかと…驚きました」
カイルは不思議そうな顔をする。
「勿論、興味はありますよ、僕も男なので、強い剣士には憧れます」
うわああ…意外だぁ…
なんて、失礼ですよね、うん、オトコノコですものね!
「が、頑張って下さいね!」
「あまり期待されていない気がするんですが」
す、鋭いです!!
わたしは誤魔化すように笑い、紅茶を飲んだ。
「カイルは魔法の方が好きなのかと思っていました…」
「姉上は僕の事が良く分かるのですね」
ギクリとする。
余計な事を言ってしまっただろうか?
カイルの目が探るように見ている気がする。
カイルが『姉上』と呼ぶ時は、何か含みがあるんじゃないかと、
最近思えてきた。
「いえ、勝手な推測です…お気になさらずに」
ぶつぶつと言い分けするわたしの事は余所に、カイルは続けた。
「それはそうなんですが、剣術も出来た方が、何かの時に役に立つでしょう?」
『何か』
物語だと、セシリアが毒を盛った事が露見した時、
カイルはセシリアを置いて逃げたものの、直ぐに捕まって処刑された。
主犯のセシリアは幽閉で、共謀のカイルは処刑というのは、
それだけ毒薬調合に長けたカイルが危険視されたからだ。
剣の腕があれば、或いは逃げ伸びて…という可能性もあるのだろうか?
「成程です!剣術、いいと思います!頑張って下さいね!」
物語では無く、目の前の彼には生きていて欲しいと思う。
カイルはくすりと笑うと、「頑張ります」とうやうやしく礼をした。
「カイル、パーティはどうでしたか?」
「特に目新しくはありませんが、親戚や付き合いのある家を紹介されました」
12歳になった子供の言葉とは思えない。
流石跡取りに見込まれただけはある…けど…それが何処か寂しくも思えます。
「あ、あの、これを…」
わたしは刺繍をしたハンカチを取り出した。
「お誕生日のプレゼントにと思い、刺繍をしたのですが…」
刺繍に自信がある分けでも無く、
今になって『迷惑なのでは…』と、弱気になり始めたわたしの手は震えていた。
引っ込みがつかず、顔を伏せ、ハンカチを差し出していると、
それは抜き取られた。
「姉さんが刺繍をしてくれたんですか?ありがとうございます!」
受け取って貰えた事に安堵するも、
ハンカチに目を落としたカイルの顔からは表情が消えていた。
「あの!すみません!下手ですよね、恥ずかしければ回収を…」
おずおずと手を出すも、カイルの目には入っていない様だった。
「いえ、とても上手に出来ていると思いますよ」
それなら、何故、そんな無表情で刺繍を見つめているのだろう?
その声も何処か上滑りしている気が…
「何故、黒い鳥を?」
「あ、はい、それは烏のつもりで…」
わたしはカイルのイニシャルと、烏の横顔、
その周囲を囲む様にラベンダーの花を刺繍していた。
烏の目をカイルの瞳の色に合わせ、青から緑色に刺したので、
分からなかったのだろう。
「烏は大変知能の高い鳥で、『思考』と『記憶』の象徴ともされ、
古くは『神の使い』、『知恵の伝道師』と呼ばれていまして…」
記憶を頼りに、つい喋ってしまったが、これは前世の世界での事で、
オーリアナ国で通じるかどうかは別なのだと、気付いた時には遅かった。
カイルが不思議そうにわたしを見ていた。
「そうなんですか?姉上の知識には時々驚かされます」
はっ、そういう事にしておいて下さい!
わたしは身を縮めつつ、続けた。
「カイルはとても賢いので、ピッタリだと思ってしまいました…」
烏を思い付いた時には、自分を褒めたくなった程だ。
だけど、カイルの様子を見ると、『安易』だったかと、恥ずかしくなった。
「姉さんは、僕の髪の色を、どう思いますか?」
カイルが自分の髪を指先で摘まんだ。
カイルの髪は良く洗われているのか、艶やかでキューティクルだ。
「とても綺麗だと思います、
それに、黒色の髪は懐かしい気持ちになり、落ち着きます」
「懐かしい?落ち着く?」
はい、前世が日本人故に、とてもノスタルジックかと…
わたしは心の中で相槌をし、頷いた。
「姉さんは不思議な方ですね」
カイルは小さく息を吐いた。
「僕は、この髪の色も瞳の色も大嫌いです」
え?
瞳も?
そんなに宝石の様に綺麗なのに?
「どちらも両親から受け継がなかった、愛されない色だ」
あ___
わたしはそれを思い出した。
物語のソーンダーズ侯爵家の事情。
カイルは正妻の子だが、髪と目の色が両親と違った為、
正妻は不貞を疑われた。
母親は父親から愛されない事をカイルの所為にし、辛く当った。
一方、父親の浮気は公然で、浮気相手との子を溺愛し、
家庭を顧みなかった。
母親は浮気相手への対抗心から、カイルに早くから家庭教師を付け、
勉強をさせ、礼儀や食事や身なりを徹底させた。
そんな背景もあり、カイルは浮気相手の子より遙かに出来が良かったが、
父親は妻の不貞の子と決め付けていた為、
カイルの出来が良ければ良いだけ憎しみは増した。
正妻が亡くなる(父親に毒殺されたと考えられる)と同時に、
父親は浮気相手を後妻に迎え、
浮気相手との子である長男に家督を譲ると決め、カイルを追い出しにかかる…
それでカイルはモーティマー家の養子になったのだ。
物語のカイルは、叶いはしなかったが、ソーンダーズ家を憎み、
破滅させる気でいた。
髪と目の色が違うだけで、実の父親から実子と認めて貰えず、
母親からは責められて…
カイルはきっと自分なんかよりもずっと辛い目に遭って来た子なんだわ…
いつも何処か余裕を持っていて、子供らしくないカイル…
子供らしくないんじゃない、そうじゃなきゃ生きられなかったんだ___
カイルが自分の髪と目の色を嫌うのも当然だ。
真っ黒い烏と目の色まで合わせた物は、傷を抉るものだっただろう。
ズキリと胸が痛んだ。
ああ、なんて事をしてしまったんだろう!
物語をしっかり思い出していれば良かった…
物語は15歳で魔法学園に入学してから始まるので、
カイルの背景もさらりと書いてあるだけだった。
15歳のカイルはサディストの人格が強く書かれていて、
悲哀のようなものは無かった。
だけど、目の前のカイルは、サディストじゃない、
12歳を精一杯生きているんだ___
血の気が引いた。
「ご、ごめんなさい!!」
わたしはカイルの手の中のハンカチを掴んだ。
引き抜こうとしたけど、カイルが離してくれない。
「姉さん?」
「こ、こんなもの、捨てますから!返して下さい!!」
「嫌ですよ、折角貰ったんですから」
カイルの言葉に、わたしはキョトンとした。
「で、でも、嫌でしょう?」
「見た時は流石に驚きましたよ…
こんなレベルの高い嫌がらせは初めてだなーとか」
「い、嫌がらせ!?」
わたしは言葉が出ず、その分口をぱくぱくさせた。
それを見て、カイルが「ぷっ」と噴いた。
「でも、姉さんが真剣だと分かりましたし、
話を聞いたていら…うれしいとさえ思えてきた」
カイルが二コリと笑う。
「知能が高く、『思考』と『記憶』の象徴、
古くは『神の使い』、『知恵の伝道師』ですか?格好いいです」
格好いい…
そう思って貰えたらうれしいなと思っていた。
「あの、本当に?」
「はい、部屋に戻った途端に切り刻んだりはしませんので、安心して下さい」
ひぇっ!!
カイルは面白そうに肩を揺すって笑う。
「両親からは愛されない色だったけど、姉さんが愛してくれるなら、
自分でも好きになれそうです」
「は、はい!好きになりましょう!」
わたしはカイルの手を両手で強く握った。
『愛されたかった』という、カイルの想いは痛い程分かる、
努力しても振り向いて貰えず、どれだけ失望しただろう…
でも、カイルを愛する人は絶対に現れますから!
だって、カイルはこんなにも優しくて、いい子なのだから!
きっと皆がカイルを好きになりますから!
それを、憎しみで汚して欲しくは無い___
「こちらのラベンダーは、姉さんの瞳の色ですか?」
不意に言われ、わたしはそれに気付いた。
烏を囲むラベンダーは確かにそうとも言えるのだけど…
「そ、それはですね!わたしの瞳の色とかではなく!
ラベンダーには心穏やかになる作用がございまして…
いえ、刺繍なので、勿論その様な効果は無いのですが!
リラックス出来たら良いなーとか…単なるわたしの願望と申しますか…」
ああ、また、恥ずかしさのあまり、
分けの分からない事を口走ってしまっているわ…
だが、カイルは気にする事も無く、刺繍を指で辿り、わたしに笑顔を向けた。
「それなら正しく、ラベンダーは姉さんですね」