12歳(1)
先日から、使用人たちが喧々たる動きをみせている。
最近では王都の屋敷に行く事の多い両親も、戻って来ていた。
何かあったのだろうか?
それとも、これから何かあるのか…
それをわたしに親切に教えてくれる者は、12歳になっても、やはり誰もいなかった。
メイドさんたちとの関係も相変わらずですし…
ああ、コミュ障の自分が恨めしい…
理由は、午後になって分かった。
豪華な馬車が屋敷の門を通ったのを合図に、わたしはメイドに急かされ玄関へ向かった。
お客様が来る事など思いもしなかったわたしは、勿論着飾ってはいなかった。
普段使いの地味なドレスに、邪魔にならない様に編み込んでいるおさげ髪、
それは本来の地味さを更に色濃くしていた。
これではメイドの娘と思われても不思議ではない。
父親が苦々しく睨んだのが分かったが、無情にもその玄関は開いた___
入って来たのは、同じ年頃の男の子だった。
紺色の揃いのジャケットとパンツ、白いシャツに灰青のネクタイ、黒い靴…
子供にしては大人びた装いだが、着こなしている。
懐かしく思える黒い髪には好感が持てたが、
瞳は深い青?緑だろうか?何処か賢さと冷たさを感じた。
白い肌に整った顔立ち…彼の全てが「自分は高位の貴族令息だ」と言っているかの様だった。
彼は父に向かい礼をし、名乗った。
「カイルです___」
カイル!?
わたしは思わず目を見開き、息を飲んだ。
カイル・モーティマー!!
あの、黒のサディスト…義弟がやって来た!!
わたしがナイジェルの婚約者に選ばれなかったので、
モーティマー家の跡取りとしてカイルを迎える事は無いと思っていた。
どうして、カイルが…
ぶるぶると震えるわたしに、父の無情な声が響いた。
「おまえの素質を見込んで、この家の跡取りとして迎えるんだ、励むように___」
そうか…
わたしは家を出されるんだ…
家を出て独立する事を考えていた分けだから、不都合は無い、寧ろ願ったり叶ったりだ。
だけど、まさか、事前に何も話して貰えないとは思っていなかった。
なんだかんだ、わたしは『肉親の情』に甘えていたらしい。
両親からのこの扱いは、肉親の情に甘え、関係を修復しようと努力しなかった結果でもある。
落ち込むわたしの耳に、子供らしからぬ落ち着いた声が届いた。
「はい、期待に添えるよう尽力致します」
父は笑ってカイルの小さな肩を叩いている。
二人の方が余程親子に見え、自分の不甲斐無さに更に落ち込みそうになった。
カイルはメイドに促され正面の階段に向かう。
その時、一瞬、彼の瞳がこちらを見た気がした。
わたしは恐ろしさに、条件反射でビクリとした。
最低の反応をしてしまったが、
その瞳はそのまま逸らされ、彼は何事も無かったかの様に階段を上がって行った。
これは、見逃して貰えたと思って良いのでしょうか?
それとも、無視されたのでしょうか?
取るに足りない存在だと…
前世でも、今世でも、わたしは「空気」なんだろうか…
ズキリと胸が痛んだ。
慣れっこの筈なのに、どうしてだろう?
わたしは胸に手を当て、ギュっと握った。
物語のカイルは、人が苦しむ姿を見て悦ぶサディストで、毒薬の研究、調合を趣味とし、
使用人たちを日々虐待する様な人間だった。
目を付けられずに済んだ事は喜ぶべき事だ。
◇
当初は心配だったが、カイルと顔を合わせる事は、日常に置いてほとんど無かった。
自分とは違い、跡取り予定のカイルには、住み込みの専属家庭教師が就いていて、
一日の大半、勉強に当てられている。
カイルの部屋が何処かは知らないが、多分離れた場所だろう、
近ければメイドたちの動きで分かる気がした。
顔を合わせる機会は、食堂で食事を摂る晩の時間位だ。
その時も、テーブルの向かいで距離があり、会話をする事は無く、二人黙々と食事を摂るのだった。
カイルが何も話掛けてこないのをいい事に、わたしも声を掛けたりはしなかった。
物語のカイルはセシリアの相棒だ。
安易に仲良くなってはいけない気がした。
もし彼が物語同様にサディストであるなら、今のわたしは彼の餌食になるだけだ。
カモがネギを背に歩いている絵が浮かび、わたしは頭を振った。
少ない料理をなるべく時間を掛け、カイルに合わせて食べる。
カイルはフォークとナイフの使い方も優雅で、男児とは思えない程綺麗に食事をする。
見ていると見惚れてしまいそうだ。
貴族の令息って、みんなこうなのかしら?
思えば、わたしは折角異世界に転生しているというのに、この屋敷からほとんど出た事が無く、
この屋敷の内の世界しか知らない。前世の誰かに見られでもしたら、さぞ呆れられる事だろう。
ぼんやりと思いを馳せていると、カイルは食事を終え、グラスに口を付けていた。
わたしは慌てて残っていたものを口に入れた。
カイルが席を立ち、わたしは「ほっ」と息を吐き、少し遅れて席を立った。
いつもであれば、カイルが食堂を出て行き、その小さな背中を見送って終わる。
だが、今日はわたしが食堂から出ると、目の前にカイルが立っていた。
「!?」
驚いて身を竦めたわたしに、彼は笑みを浮かべた。
笑うと少し優しそうに見えますけど…
彼の考えが分からず、わたしは警戒心を離せなかった。
そんな及び腰のわたしに、カイルは笑みを浮かべたまま…
「そんなに驚かないで下さい、姉上」
「!」
『姉上』と呼ばれた事に、変な感動が芽生えた。
前世でも今世でも、わたしは『妹』だったから。
思わず、前世の名残が出てしまい、わたしは会釈をしていた。
「折角、姉弟になったのですから、仲良くして頂けるとうれしいのですが…
姉上は僕が苦手ですか?」
小さく頭を傾げるその姿は、可愛い男児そのもので、とてもサディストには見えなかった。
わたしは彼がサディストだ、という意識をすっぽりと落としてしまい、普通に答えていた。
そう、普通に…
「あ、い、いえいえ!その様な事は、決して!ございませんで…
あの、その、わたしは…誰とでも、その、喋るのが苦手でして…
カイル様のお気に触ったのであれば、その、その、大変申し訳なく…」
緊張するといつも以上に言葉は纏まらなくなり、それをカバーしようと、わたしは只管に頭を下げる…
こんな風だから、わたしが避けようと避けまいと、きっと遅かれ早かれ、カイルにも嫌われてしまうだろう。
ああ、落ち込みそうです…
内心で泣きながら肩を落としたわたしに届いたのは、「はははは」という、明るい笑い声だった。
驚いて顔を上げると、カイルが白い歯を見せ、お腹を抱えて笑っていた。
「あ、あの、カイル様、どうなさったのでしょうか??」
「姉上は面白い人ですね」
カイルが指で目尻の涙を拭いながら言う。
わたしは頭を傾げた。
「面白い…ですか?」
「ええ、姉上があなたみたいな人で良かったです、これから仲良くして下さい」
「え、は、はい!わたしなどでよろしければ!全力で仲良くさせて頂きます!」
わたしの返事にカイルはまた笑った。
意外です…
カイル・モーティマー、サディストの彼が、こんな風に笑う人だったなんて…
ああ、わたしは物語の何処を読んでいたのでしょうか?
それとも…『彼』は『物語のカイル』とは違うのか?
それに気付き、さっと、血が下がった。
わたしは彼を勝手に決め付けて、怖がって…
あまつさえ、避けるような真似をしてしまったのだ!
一度も声を掛けようとはしなかったし、まともに顔を見る事もせず。
そんなわたしの態度に、彼は傷付いたのでは無いだろうか?
相手は11歳の男児だったのに…
想像と罪悪感で胸が痛んだ。
『僕が苦手ですか?』という彼の指摘は当たっていた。
11歳の子供に気付かれて、気を遣わせていたなんて…
ああ、自分が恥ずかしいです…
「あなたは姉上なんですから、僕の事はカイルと呼んで下さい」
彼の小さな手がわたしの方へ、真っ直ぐに差し出される。
わたしはおずおずとその手に触れる。
少し冷んやりとしていたが、それは確かに温度のあるものだった。
優しく握られ、わたしは胸が詰まった。
「あ、姉上?」
戸惑う声と見開かれた綺麗な深い青…緑色?の瞳に、
わたしは空いた手で涙を拭いながら、笑みを返した。
「あの、うれしくて…」
誰かとこんな風に触れ合った事は無い。
それはあまりに優しく、わたしを解かしてしまった。
宝物みたい…
「よろしく、お願いします…カイル」
この先、どんな未来に向かったとしても、
この日の事は、絶対に忘れないでおこう___