(7)
ユーリーと聖女の婚約の噂が流れた翌日、
パトリシアが数カ月ぶりに学園に現れた。
わたしは彼女から、秘密のメモで呼び出しを受け、
人気の無い裏庭で彼女と対峙している。
「漸く時が来たわね、セシリア・モーティマー悪役令嬢」
パトリシアは楽しそうに「ふふふ」と笑う。
「婚約パーティは来週末、
その二日前に学園で祝賀パーティがあるのは、もう、ご存じよね?」
発表になってはいないが、物語ではそうなっていた。
「物語通りに、お願いするわね?悪役令嬢さん」
「そ、その必要は無いでしょう?
あなたに毒を盛るなんて、意味の無い事だわ…」
「何言ってるのよ!私がどれだけこの時を待ち望んだか、
あなたは分からないっていうの!?本当にあなたって馬鹿ね!!」
パトリシアに大声で捲し立てられ、わたしは怯んだ。
「これがなきゃ、物語は完成しないじゃないの!
あなたは毒入りのグラスを私に渡す!そして、聖女に毒を盛った咎で
幽閉されるのよ!もし、裏切ったら、私、この世界を破滅させるから!
あなたの所為でね、結界は張られないの!破滅よ破滅!!あはははは」
パトリシアは声を上げて笑う。
わたしに拒否権は無かった。
◇◇
パトリシアと会ってから、わたしは考え続けている。
わたしはどうしたらいいのか…
彼女はわたしが裏切れば、結界を張ってくれないと匂わせていた。
彼女ならば、本当にそうしてしまう気がする。
物語通りに、彼女に毒を盛るしか無い___
彼女は本当に毒を飲む分けでは無い。
寸前にユーリーに見破られ、グラスから毒物反応が出た事により、
セシリア・モーティマーは学園生全員の前で、罪を暴かれるのだ。
今のわたしでは、毒を手に入れるのは難しい。
実際には飲まないのだから、毒物反応だけ出ればいい…
わたしが何も言わなくても、周囲がわたしの罪を暴き、断罪してくれる筈。
パトリシアの要望には応えられそうだが…
わたしがこんな事件を起こしたら…
きっと、皆を悲しませてしまう___
前世とは違い、今世のわたしには、大切な人が沢山いる。
一緒に笑い合える友達、そして、愛する人___
皆がどれだけ悲しむかを想像すると、身を斬られる程辛かった。
でも、これは、皆を守る為だ。
パトリシアに、この国を、この世界を守って貰わなくてはいけない。
パトリシアが望むなら、絶対に、やり遂げなくてはいけない。
わたしは自分に言い聞かせた。
幸いなのは、カイルが助かる事だ。
物語のカイルは、毒薬を調合し、危険人物として処刑された。
だけど、今のカイルは毒薬を持っていない、疑われる事も一切無い筈だ。
わたしは、それだけでいい…
カイルが生きていてくれるなら…
もしかしたら、この事件で家が格下げとなり、
わたしを恨むかもしれないけれど…
もう、二度と会えなくなるけど…
カイルが生きていてくれるなら…
◇◇
残された時間を、わたしは成るべく普段通りに過ごそうと決めていた。
誰かに気付かれてはいけないから。
「セシリー、母上が会いたがっている、来週末にでも屋敷に来ないか?」
何も知らないエリザベスからの誘いには、ビクビクしながら曖昧に濁した。
期待させてしまうのは嫌だった。
わたしは、その時にはもう居ないと思うと、胸が苦しくなった。
◇
放課後、ユーリーから「二人で話したい」と、空き教室に呼ばれた。
「セシリア嬢の結界の強化が、魔術師団の間でも評判が良くてな、
友として誇らしいぞ」
ユーリーが褒めてくれ、わたしは恐縮した。
わたしの力はまだ安定してはいなかったが、それに気付いているのは、
教師と…カイルだけだろう。
どうすればいいのか、自分で分かっていても、
カイルに見られていると思うと、竦んでしまい、
どうしても、それを出来ずにいる。
今の所は自分の力でなんとか出来ているが…
罪悪感からわたしの声は暗くなる。
「勿体ないお言葉です…」
「なんだ、暗いな?何か心配事でもあるのか?」
ユーリーに聞かれ、わたしはそれを相談しようか迷った。
ユーリーは口が堅い、口止めをすれば黙っていてくれるだろう。
だけど…
やはり、口にするのが怖い。
口にしてしまうと、何処からか耳に入ってしまうんじゃないかと…
ユーリーを疑ってはいないけど、不安になるのだ。
「あ、いえ、その…実はまだ、『強化』は上手くいっていないのです…」
「納得がいかないという分けか、セシリア嬢には感心する。
必要とあれば、『強化』に詳しい者を紹介しよう、話を聞くだけでも
何か役に立つかもしれぬぞ」
話を聞いてみたいと思ったが、それには時間は足りないだろう…
わたしは断りの言葉を探した。
「ありがとうございます…ですが、もう少しの間は自分で考えてみます」
「分かった、いつでも申せよ」
ユーリーの親切が優しく胸に刺さる。
わたしは笑みを作ってみせたが、あまり上手くいった様には思え無かった。
「学園でのパーティは三日後だな、結局、神託通りになってしまったな。
だが、運命を恨みはしない、正しい行いをしてれば、
いつか開けるかもしれんからな___」
ユーリーはこの事を話したかったのだろう…
今のユーリーは、どこかふっ切れた様に見えた。
「わたしは、ユーリー様を尊敬します」
ユーリーも辛かった筈だ。
想いを絶ち切り、国の為に犠牲になった人だ。
わたしと同じ…
「いや、完全には諦めていないぞ。それに、やはり、自己犠牲はいけない。
それで良いと思った時もあったが…今は少し違う。皆と出会い、
僕も目が覚めた。皆が幸せでなければ意味がないと思わないか?」
まさか、ユーリーはラナを側室にするつもりだろうか?
この世界ではそう珍しくは無いだろうが…少し心配になったが、
結局、本人たちが幸せである事が一番大事かもしれない。
「ラナもきっと喜ぶと思います」
「そういう意味では…まぁ、それもそうなのだが…」
ユーリーは赤くなり、何か呟いていた。
◇
ラナの同室である、タミーに声を掛けられた。
ラナが落ち込んでいるから励まして欲しいという事だった。
ラナが落ち込んでいる理由は、やはりユーリーとパトリシアの婚約だろう。
わたしは手作りのクッキーを持ち、ラナの部屋を訪れた。
ラナは別人のように暗い顔をし、萎れていた。
「あたし、パーティには出ませんよ、行ける筈無いじゃないですかぁ…」
ラナが顔をくしゃりとさせ、涙を零す。
わたしは勝手に紅茶を淹れさせて貰い、紅茶とクッキーをラナの前に置き、
その肩をそっと擦った。
「ユーリー様、婚約するんですよ…諦めてたつもりなんですけどね、
世界が終わったくらい、落ち込んじゃいましたよ、あたしって、馬鹿娘ですね」
「そんな事は無いです、ラナはそれだけユーリー様をお好きだったのです」
「好きだと言ったんですけどね、きっと、届いてないですよね…」
ユーリーはユーリーなりにラナとの将来を考えていると言ってあげたいが、
側室のお話はしない方がいいですよね…
きっと、近い内に、ユーリーから話すのだろう。
その時、ラナがどんな顔をするのかは、わたしは見られ無いけども…
「そんな事ありません、ユーリー様は敏い方ですから」
わたしは励ますように、ラナの手を握った。
ラナはコクリと頷き、クッキーを齧った。
好きだと言えたのですね…
好きだと言えるラナが、想いを口に出来るラナが、
羨ましく思えた。
わたしは、想う事さえ、怖いです…
◇
「好きです」と簡単に言えていた時もあった。
だけど、本当の想いに気付いた時には、逆に言えないと思った。
「言える筈ありませんよね…」
相手は義弟だ。
カイルはそんなの、望んでいないだろうし、考えた事も無いだろう。
「引かれてしまうに決まっています…」
それに、カイルには想い人が居る。
それが誰かは、結局聞けなかったけど…
自分の想いは、カイルを疎わせるだけだ。
カイルを疎わせ、嫌われたくない…
カイルのあの綺麗な目に、わたしへの軽蔑が浮かんだら…
きっと、耐えられ無い___!!
こうなってしまって、一つだけ良かったのは、
カイルにこの想いを知られずに済む、という事だ。
わたしはこの想いを抱いたまま、運命に従おう。
カイルとの思い出があれば、きっと、大丈夫だから…
◇
「姉さん、寝不足ですか?目が少し赤いですが…」
カイルの長く綺麗な指が、わたしの目元に触れ、
わたしはビクリと目を閉じた。
カイルの指が離れたのを感じ、わたしはゆっくり瞬きをした。
「姉さん、熱があるんじゃありませんか?」
じっと、カイルがわたしの顔を覗き込む。
「い、いえ、そのような事は!…大丈夫です」
「今日はベッドで過ごした方がいいですよ、明日はパーティですし」
「いえ、その、眠りたくないんです…夢見が悪くて…」
「それはいけませんね、こちらへ来て下さい」
カイルに手を引かれ、ソファに座ると、
カイルは自分の膝にわたしの頭を乗せた。
「!??」
これは、膝枕というものですよね!???
「あ、あ、あの、カイル?」
「眠って下さい、僕が付いていれば、怖い夢は見ませんよ」
カイルは小さく笑い、わたしの髪を撫でる。
わたしは急に眠気に襲われた。
眠りたくないのに…
眠ってしまえば、明日になってしまう…
明日になれば、この温かい日々は消えてしまう…
「カイル…」
傍に、いたいです…
ずっと、あなたの傍にいたかった…
想いを告げられなくても、傍にいられるならと願った。
だけど、それさえ、自分には叶わない___
そっと、目元を拭われる。
「ずっと、傍にいますよ、安心して下さい」
優しい手が髪を撫でる。
わたしが手を伸ばすと、それは包み込んでくれ、ギュッと握ってくれた。




