(10)
カイルとの約束の週末、わたしはカイルから貰った
花飾りの付いた髪留めを着けた。
薄く化粧をし、淡いローズ色のリップを塗る。
ラベンダー色の上品なワンピースに白いベルト…
少しだけお洒落をしたのは、カイルの誕生日のお祝いだからと…
『デート』というテーマに則ったからだ。
「本当のデートでは無いのだけど…」
それでも、少しわくわくしていた。
もしかしたら、カイルは言った事を忘れているかもしれないけど。
「カイル、お待たせしました」
階下に降りると、カイルはソファから立ち上がり、迎えてくれた。
「姉上、よくお似合いですよ、行きましょうか」
いつもと変わらない、義姉に対しての態度だ。
やっぱり、カイルは忘れていたのね…気合を入れていたのに、肩透かしだ。
本当に、からかわないで欲しい。
でも、カイルの誕生日のお祝いだから…と、わたしは気持ちを切り替え、
二コリと笑った。
「はい!参りましょう!」
「姉上、どこか行きたい場所はありますか?」
「いえ、カイルに任せます、カイルのお誕生日のお祝いですから」
「分かりました」
「あ!でも、帰りに寄って頂きたい場所があります!」
「はい、どちらに?」
「お世話になった方に、お礼を言いたいのです」
「それはまた、どういった?」
カイルがキョトンとし、頭を傾げる。
わたしは、『お礼を言いたい』という気持ちで頭がいっぱいで、
カイルに知られたら怒られるであろう…という事を失念していた。
「あ、あの、それは…その…」
「はい、なんでしょう、姉上」
カイルの笑みが悪魔の笑みに見えました…
「成程、話はよーく分かりました。
つまり、学友と遊びに出て、あなた一人迷子になり、困っていた処を、
その方々に親切にして頂いた、という分けですね?」
はい、思い切り、脚色してしまいましたが、概ねその通りかと。
ああ、カイルの綺麗な額に青筋が見える気がします…
声に嫌味が含まれていますね…
その笑顔が怖いのです…
「ご学友は、あなたが居ない事にも気付かなかったのですか…
はぁ、僕にはとても考えられませんが…
それで、どなたでしょうか、___なご学友とは」
ああ…、義弟がお聞かせ出来ない言葉を使われました…
「い、いえません!カイルは大袈裟なのです!
そもそも、迷子になったのは、わたしの不徳の致すところです。
それに、わたしも15歳ですよ?子供ではありません、この程度の事、
自分で解決出来なくてどうします?
人の所為にしてはなりませんでしょう?」
わたしが懸命に反論すると、
カイルは冷静さを取り戻したのか、目を伏せ息を吐いた。
「成程、姉上の言う通りですね…
ですが、姉上お一人では解決出来なかったのでしょう?」
うう…!
「姉上はご自分が思っている程、大人ではありませんよ、箱入り令嬢です。
僕が教えて差し上げ無かった所為でもありますが…
信頼出来る方以外とはお付き合いなさらない方が良いと、僕は思います」
ごもっともでございます…
「それで、ご学友とは、勿論、女性の方なのでしょうね?」
急に声が冷たくなりましたよ?
それなのに、笑みを浮かべておられるのが怖いです!
「女性です、分かっておられるでしょう?」
義弟は賢いですし、わたしの周囲に男性が居ない事位、
誰にでも分かります。
それなのに、わたしの口から言わせるなんて…
「大変結構」
ああ、時々義弟が嫌いになります。
なので、わたしは反撃に出た___
「カイル、今日は『デート』の筈ですよ?その質問はマナー違反だと
思います」
「『デート』だから、『嫉妬したのだ』と思って頂いて構いませんよ?」
カイルは少しも動じず、飄々と返す。全く、憎ったらしいです!
「『デート』という事、カイルは忘れていましたよね?」
「勿論、覚えていますよ?」
「でも、『姉上』と呼ぶではありませんか、態度もいつもと同じです!」
「使用人に聞かれたら、姉上が困るでしょう?」
「カイルは困らないのですか?」
「まぁ、変な噂が立つでしょうが、特には」
カイルは肩を竦めたが…
その時になり、わたしは、それが完全に困る事態だという事に気付いた。
確かに、使用人に変な目で見られたら…
寮で暮らしているカイルはまだ良いけど、
屋敷暮らしのわたしは、気まずいです!居た堪れないです!!
「ま、負けました…」
敗北を宣言したわたしに、カイルは「ふふふ」と楽しそうに笑った。
そして、わたしの方へ顔を近付けると…
「二人きりになったら、楽しもうね、セシリア」
極上の声と、魅力的な笑みに、わたしは完全に撃沈したのだった。
恐るべし、我が義弟!!
お陰で、馬車から降りる時に段を踏み外しそうになり、カイルに助けられ、
笑われてしまいました。
「薬物中毒について、最近本を読んでいたのですが…
解毒剤のような物はあるのでしょうか?」
通りの店で食事をしながら、わたしはそれを思い出し、カイルに聞いてみた。
「それは難しいですね、身体に回った薬物成分を消す事は出来るでしょうが、
中毒性は精神の問題なので、何度解毒しても結局は薬を求めてしまう、
その繰り返しなんです。深刻な症状の場合は何処かの施設で管理治療
をするか、記憶を消す方法もありますが…あまり効果は無いそうです」
「効果が無いとは?」
「完全に大丈夫だと診断されても、何かの切っ掛けで、また同じ様な事を
してしまう事例が多いらしいんです。勿論、再発しなかった事例もあります。
結局は自分次第という事なんでしょう。でも、一度知ってしまった快楽の味は、
この上無に誘惑だと思いますよ___」
カイルは何か思う処があったのか、
その目は暗い青色に染まり、空を見つめていた。
「変な事を聞いてしまってすみません、カイル、食べましょう!」
話を変えようと明るく言い、目の前のピザの様な料理に向かうわたしを、
カイルは「ふふ」と笑った。
その目にあった暗い色は消えていて、「ほっ」とした。
「セシリア、一口下さい」
名前を呼ばれてドキリとする。
カイルの声で呼ばれ慣れていない所為か…それは、少しだけ独特な
イントネーションに聞こえる。
カイルはニコニコと笑っている。余裕の表情が憎たらしい。
わたしは料理を切り分け、フォークに差してカイルに向けた。
「はい、あーん!」
「あー…ん」
カイルは迷う事無く、それを一口で食べた。
「ああ、美味しいですね、こっちも食べてみますか?」
「け、結構です!」
「ほら、セシリア、あーん」
目の前にフォークを差し出され、わたしは内心の動揺を隠し、
覚悟を決めて口を開けた。
あー・・・むっ
「美味しいですか?」
「…おい、しい、でふ…」
味なんて分かりません!!
「カイル、正直に白状して下さい!」
「白状?何をですか?」
「わたしに内緒で、お付き合いしている方がいますね?」
「いませんよ、それに、その質問はルール違反でしょ?」
「慣れ過ぎじゃありませんか?姉の目は誤魔化せませんよ!」
この際、ルール違反なんて関係ありません!!
わたしが頬を膨らませて睨むと、カイルは『まるで相手にならない』とばかりに
肩を竦めた。
「慣れていると思われるのなら、それは相手が義姉だからでしょう。
それに僕は、想い人が相手でなければ、緊張も動揺もしません。
唯一、独りだけです、僕にとって他の方は誰でも一緒なんです…」
ツキンと胸が痛んだ。
ああ、調子に乗って聞かなくても良い事を聞いてしまった。
「そ、そうでしたか、失礼な事を聞いてしまいました…」
「気にしないで下さい、僕も調子に乗り過ぎました、
姉上が思いの他可愛かったので」
カイルは楽しそうに笑う。
『可愛い』と言われても、うれしくは感じられませんでした。
カイルには好きな人が居る…
はっきりと言った分けでは無いが、彼の言葉はそう言っている。
想い人がいると、唯一無二だと。
その事実に、わたしは自分でも驚く程、打ちのめされてしまった。
誰だろう?どんな人だろう?何処で出会ったんだろう?
わたしの知っている令嬢でしょうか?
凄く気になるのに…聞くのが怖い、知るのが怖い___
何れ、カイルは何処かの令嬢と結婚する、わたしたちは離れるだろう。
それは、最初から決まっていた事だ。
それなのに、わたしは…嫌だと思ってしまっている。
嫌だ、離れたくない___
他の人を___ならないで___
ああ、わたしは本当に穢れている。
誰よりも大切な義弟なのに、彼の幸せを願えない自分…
彼女の言った通りだ、女神の言った通り。
わたしの心は黒いものでいっぱいだった。
「姉さん、こっちです、足元に気を付けて下さい」
そう言って、カイルがわたしの手を取り、歩いて行く。
好きな人と手を繋ぐカイルは、どんな風なんだろう?
緊張して、動揺したりするのだろうか?
「ここ、凄いでしょう?」
眼下に広がる一面の草原、小さな花々が咲き、彩る。
「姉さんに見せたかったんです___」
カイルは酷い人です。
こんな風に、想ってくれるから。
繋いだ手も優しくて、自然に傍にいてくれるから。
少しだけ、特別だと思ってしまっていた自分が恥ずかしい。
でも、『義姉』だから、少しは特別ですよね?
今はまだ、あなたの心の近くに、置いてくれますよね?
「泣かないで下さい…」
カイルの指がわたしの髪にそっと触れ、わたしは目をギュっと瞑った。
「素敵な場所に連れて来て下さって…ありがとうございます」
わたしとカイルだけの、秘密の場所に出来たらいいのに…
◇
馬車でダリルとマリーの店に向かった。
何時かお礼に来たいと思い、住所を控えておいたのだ。
店は開店準備を始めていた。
わたしを見たダリルとマリーは最初分からなかった様で、訝しげな顔を
していたが、「先日迷子になった処を助けて頂いた者です」と言うと、
合点がいった様で、破顔した。
「ああ!この間の嬢ちゃんか!」
「見違えたねー!あの時のあんた、捨て猫みたいだったからねー、
これはあたしらが助けてやらなきゃって思ってさー」
ええ、絶望感でいっぱいでしたから…
「先日は義姉を助けて頂き、有難うございました、
義弟のカイル・モーティマーです」
カイルが先程買った花束をマリーに渡すと、マリーは目を丸くし、
そして喜んだ。
「あれまー!こんな花束なんか貰ったの初めてだよ!
しかも、こんな男前にさ!」
わたしは子供で、カイルは男前ですか…
「あの、これ、わたしが焼いたのですが…お酒に合うかと思って…」
わたしは用意して来たチーズスナックの缶をダリルに渡した。
お礼は断られたが、お菓子ならと思ったのだ。
「嬢ちゃんが作ったのかい?
令嬢ってのは、料理なんかしないもんだと思ってたよ」
「わたしは、趣味みたいなもので…」
「こりゃ、ウマイ!チーズの味が効いてて、ピリってしてるのがいい!」
「マリーも食ってみな!」と、ダリルがそれをマリーの口に入れる。
「ああ!本当だ、美味いよ!大したもんだね」
気に入って貰えて良かった。
それに仲の良い二人を見ていると癒された。
「あんたら、気を付けて帰りなよ、昨晩、そこの通りに魔が出たんだよ」
「ありゃ、酷かったなー、男が二人も襲われてさ」
「剣かなんかだろうけど、あちこち切り裂かれて」
「肉片が飛び散ってたよ」
「あんた、そんなの見たのかい!?…あたしゃ、恐ろしいよ!」
わたしはぞっとして思わず身を竦めたのだが、
カイルは何か考える風に指で顎を押さえた。
「それは…獣か何かじゃありませんか?」
「確かに、野良犬が食い散らかしたような感じもあったがねー、
けど、そんな大きな獣、この辺にはいないさ」
「報告はしましたか?」
「昼前に何人か来て、死体を引き取って行ったから、
してるんじゃないかい?」
二人に別れを言い、店を出たが、カイルはわたしを馬車に乗せ、
「少し待っていて下さい」と、何処かへ行こうとした。
わたしは慌てて馬車を降りると、カイルを追った。
「待って下さい!あの、先程のお話が気になっているのでは?」
「はい、ですので、姉上は馬車で待っていて下さい」
「どうしてですか!わたしも行きます!わたしも気になりますから!」
「でも、先程、怖がっていたでしょう?」
うう…バレていましたか。
確かに、怖いですし、気持ち悪いですし、
直接見たりすれば気を失うかもですが…
「こ、怖いですが、カイルを一人では行かせません!」
「僕は大丈夫ですよ?」
向けられた目には、少しの動揺も恐怖も浮かんではいない。
「だからです!カイルは危ない事も平気でしてしまいそうだから、
わたしの様な者が居た方が、いいのです!」
「信用がありませんね」
以前、父の友人のバリー・ハッカー侯爵から、わたしを助けてくれた時の
事が頭に浮かぶ。屋敷の庭で、侯爵を驚愕させる程の魔法を使ったり、
少しも怯まずに父を脅したり…
カイルは冷静な様で、時々驚く程冷徹で大胆なのだ。
「信用などおこがましいです!」
わたしは真面目だったけど、カイルは「ぷっ」と噴き出した。
カイルは死体があった場所を検分し、それから周囲の人に話を
聞いていた。一通りそれらを終えたカイルは、また少し思案していたが、
空を見て、それを口にした。
「僕は、これは魔獣の仕業じゃないかと思います…」
思い掛け無い言葉に、わたしは思わず声を上げた。
「魔獣!?こ、こ、この辺りに出るのですか!?」
「王都の外では少数いますが、王都では珍しい事だと思いますよ」
「結界があるので、魔獣や魔族は居ないものだと思っていました…」
「結界が堅固な内は、外から結界の中に入って来れませんが、
元々居た魔獣たちはそれなりに居ます。それらは、それぞれの土地の
領主が討伐を行ったり、魔術師団を派遣したりしていますが、向こうも
繁殖しますからね、根絶やしには出来ないかと…結界のお陰で少しは
弱体化しているんですよ、大群で襲って来る事も稀ですし」
「今回の件は、少数ですか?」
「一匹、でしょうか?ですが、それなりの魔力の持ち主か、魔術師団や
騎士団でも無い限り、魔獣に対抗する術は持ち合わせていないので…」
それで、報告をしたのか聞いていたんですね…
その時にはもう、カイルは魔獣の仕業だと見当付けていたのね…
「見た処、警備をしている者はいないですね…」
「それでは、また襲われる可能性がありますよね!?
何故警備して貰えないのでしょうか!?」
「警備を嫌がる人もいるのでしょう、この辺は違法な店も多そうですし…」
「それでは、報告していらっしゃらないと…」
「魔獣も同じ場所に留まるとは限りません、この辺に居るかもしれないし、
居ないかもしれない」
「マリーさんとダリルさん、大丈夫でしょうか…」
「大丈夫ですよ、活動時間は深夜の様ですし、
建物の中までは入って来ませんから」
カイルが穏やかに言い、わたしの背を押し促した。




