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10歳


誰かに背中を押され、階段から滑り落ちたわたし、セシリア・モーティマーは、

薄れていく意識の中、前世の記憶を見た。


九条由香里。


これがわたしの前世の名前。

22歳、動物が好きで、トリマーの資格を得てペットショップで働いていた。

仕事帰りに歩道橋の階段から落ち、打ち所が悪かったのだろう、多分即死で、その後の記憶は無い。

あの時、誰かに背中を押された気がしたけど、死んでしまったのだから、気にしても仕方ないか…。


内向的で人と喋るのが苦手なわたしには、友達らしい友達はいなかった。

両親、兄、姉にですら、構われた記憶が無い。

言うなら『空気』の様な存在だ。

きっと、わたしが死んでも誰も悲しんだりはしなかっただろう。


前世を思い出したというのに、心の中はどんよりと小雨模様だ。

わたしはちいさな手を天井に伸ばし、溜息を零した。


寝心地の良い大きなベッドに、豪華なチェスト、机と椅子、壁に飾られた大きな絵画。

ここはセシリア、わたしの部屋だ。


セシリア・モーティマー、10歳、伯爵家の次女。

豊かな金色の髪に、アメジストのような瞳、白い肌。

前世とはまるで違う様相をしているにも拘わらず、わたしはやっぱりわたしだった。

その事に心底失望してしまうのだ。


金髪とアメジストの瞳、白い肌…これ程お人形的要素がありながら、印象は薄く、

言うなら「パっとしない顔」だ。

そして性格は、転生してもやっぱり、内向的で小心者。

伯爵令嬢でありながら、メイドから意地悪をされても何も言えないでいる。

でも、まさか、階段で突き飛ばされるとは思わなかった。


「ううん、きっと、肩がぶつかったのよ…」


幸い怪我も無く済んだのだから良かった。





父親が帰宅し、わたしは父の書斎に呼ばれ、ある公爵家の茶会に出席するように言われた。


「ベントリー公爵子息、ナイジェル様の婚約者候補が集まる茶会だ、おまえも出席しなさい」


父親の威厳ある口調に、わたしの心臓はキュっと絞られた。

婚約者の座を射止めろという無言の圧力だ。


そんなの、わたしには無理だ。


茶会で気の利いた事一つ言えないのは、行かなくても分かる。

前世でもコミュ障だったのに…

幸いなのは、10歳という年齢の低さだろうか?大人相手よりはまだ緊張せずに済む気がした。


父の書斎を出て、わたしはふと、それに気付いた。


「ベントリー公爵…ナイジェル?」


何処か聞き覚えがあった。


わたしはセシリア・モーティマー。

父はマックス、母はミランダ、美人の姉ダイアナは公爵令息と婚約している。

そして、この国は、オーリアナ国___


「『オーリアナの聖女』だわ…!」


前世のわたしの愛読書、異世界物語『オーリアナの聖女』が頭に浮かんだ。

ヒロインが魔法学園で第二王子と出会い、困難を乗り越え、聖女となり、愛を知り、力を得ていく。

オーリアナ国の危機に立ち向かい、最後は聖女の純真な愛の力で世界が救われる、愛と冒険の物語___

セシリアも、マックスも、ミランダも、ダイアナも、ナイジェルも…全員、その中に出てくる登場人物だ。


そして、物語の中のセシリア・モーティマーは…


「悪役令嬢だわ…」





ヒロインのパトリシア・クラークは、平民出身で魔法学園に入学した事と、その高い魔力とで、注目される存在だった。

何でも自分が一番でいたいセシリアは、ベントリー公爵子息の婚約者という立場を利用し、

義弟や取り巻き令嬢たちと共に、パトリシアに嫌がらせを始める。

だが、その事で逆に第二王子とパトリシアの仲は深まっていく。

パトリシアが聖女に認定され、第二王子の婚約者の打診を受けると、セシリアは自分が格下になった事を妬み、

婚約式直前、パーティで聖女に毒を盛り、それが明るみになり、幽閉され一生を終える。



「これが、わたしの役割…」


物語を思い出しながら、流れを整理したわたしは、茫然と呟いていた。


「陰湿で執拗な苛め、毒殺…そんな大それた事、わたしなんかに出来っこないわ!」


考えただけで震えがくる。

人とまともに会話も出来ないわたしが、数人従えてヒロインを苛めるなんて、ハードルが高過ぎます!

毒を盛るなんて論外だわ!


「それに、男性とまともにお付き合いした事の無いわたしが、婚約…」


相手は同じ年頃の子供、結局結婚する未来は無いとはいえ、婚約なんて…

駄目だわ、熱が出そう…

わたしはベッドに仰向けになった、そして、指を組み祈る。


「あぁ、無理です、神様、女神様、オーリアナの守護天使様、

誰でもいいので、この憐れな転生者を助けて下さい!」


わたしに悪役令嬢なんて、無理です___!!





ベントリー公爵家の茶会に向かう馬車に揺られながら、

向かいの母親やメイドに気付かれない様にそっと溜息を吐いた。


公爵子息との結婚は家同士の繋がりが出来る為、格下の家としてはなんとしても手に入れたいものだ。

だが、両親はそこまでわたしに期待していないだろう。

今朝、それなりに着飾ったわたしを見た父は、苦々しく「しっかりやるんだぞ」と言っただけだった。

母は道中、「これがダイアナならね…」と散々愚痴を零していたが、遂に疲れたのか口を閉じた。


5歳上の姉ダイアナは美人で社交的で頭も良く、両親の自慢の愛娘だ。

ダイアナが今年魔法学園に入学し、領地から王都の屋敷に移り住んだ事で、

顔を合わせる機会はほぼ無くなった。

両親は度々王都の屋敷へ行っている様だ。

ダイアナは公爵子息と婚約しており、学園卒業後に結婚の予定だ。

そんな人と比較されるのは正直辛いものがあるが、

自分の評価は自分でも分かっているので仕方ないと納得しかない。


でも、物語の通りなら…

わたしは今日会う、ナイジェル・ベントリーの婚約者に選ばれる筈だ。


もし選ばれたなら、ここが『オーリアナの聖女』の世界だと、また一つ裏付けられるが、

それはそれで困る。

『オーリアナの聖女』の世界なら、わたしはヒロインを苛め、毒を盛り、幽閉されるのだから。


あぁ、考えただけで気を失いそうになります…

わたしはまたひとつ息を吐いた。





ベントリー家の別宅に着くと、メイドに案内され、母に従い茶会の会場である庭園へと向かった。

庭園にはテーブルが幾つかあり、白いテーブルクロスが敷かれ、沢山の菓子や果物が盛られていた。

大人たちは大人たちで集まり、綺麗に着飾った幼い令嬢たちが十人ばかり…

まるで夢の様な世界だ。


母は「あなたも行きなさい、しっかりやるのよ」とわたしの背を強く押した。


夢の世界は見ているだけで十分で、わたしは幼い令嬢たちに近付いてみたものの、

やはりその輪には入れそうになかった。

後々、両親に叱られるのは明白で気が重い。


「ナイジェル様よ___」


幼い令息が庭園に現れ、臆さずに大人たちと挨拶を交わしている。

社交的で礼儀もしっかり身に付いているらしい。

挨拶を終えたナイジェルが振り向くと、幼い令嬢たちが我先にと群がって行った。

わたしもそれに習う。

まともに顔を見る事は出来ず、令嬢たちに紛れ、後方で只管に頭を下げていると、ナイジェルは通り過ぎていった。

これで両親には許して貰おう。


顔を上げた時には、ナイジェルは一人の令嬢に熱心な視線を向け、微笑んでいた。

ふわふわとした豊かな薄い金色の髪に、愛らしい笑顔___わたしでも見惚れてしまう。

どうやらお相手はあの可愛らしい令嬢に決まりそうだ。


良かった___


礼儀正しいナイジェルには好感が持てたが、やはり面と向かう勇気は無い。

最悪緊張して口が開けないだろう。

みっともない姿を他の令嬢たちに見られずに済む方がいい。

それに、ナイジェルがセシリアを選ばなかったという事は、物語から外れる。


この世界が『オーリアナの聖女』とは違う事の証明だ。


「それはそうよね…」


そもそも、物語のセシリアはわたしとは正反対の、気の強い令嬢だ。

義弟と一緒に使用人を苛めるのが毎日の楽しみという、凶悪性を持っていた。

それに、物語のセシリアは両親から愛されていた。

特にダイアナが結婚してからは、ダイアナに向けていた愛情も全てセシリアに向けられ、

それによってセシリアは更に我儘放題で傲慢な令嬢に育っていくのだ。


「それは絶対無いわね」


今の両親の姿からは、4年後にダイアナが結婚して公爵家に入ったとしても、

わたしを愛するとはとても思え無かった。


「そういえば、義弟は…」


ダイアナが公爵に嫁ぎ、セシリアも又ベントリー家に嫁ぐとなると、モーティマー家の後継ぎがいなくなる、

そこで迎えられたのが遠縁のカイルだ。

カイルは頭が良く魔力も強い、跡取りとして申し分の無い資質を持つものの、

その性格は、人の苦しむ姿に快楽を覚えるサディストであり、趣味は毒薬作り。

セシリアとは気が合い、二人は共謀して使用人を虐待したり、様々な悪事を働く。

ヒロイン苛めにもカイルは加担していて、ヒロインに盛った毒薬はカイルが調合したものだ。


わたしが公爵子息の婚約者にならなければ、後継ぎは今の処問題ないだろう。

カイルがモーティマー家に引き取られてくる事は無いかもしれない。


わたしは久しぶりに感じる晴れやかな気持ちを味わいながら、

緑と花々に囲まれた美しい庭園を眺めたのだった。




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