爪先の恋
いつだって、私は届かない。
「私は君とは一緒にならない」
私と違う、可愛い令嬢と並び立つ王子。
「婚約は解消した」
少しの罪悪感を見せた瞳に、また気づかされる。
また、届かなかったのだと。
「君も、君の家も将来の事は私がきちんと補償しよう」
一方的なのに、十二分な優しさをくれるのは、王子自身の我儘だと気づいているから?それとも少なからず私に好意を持っていてくれたから?
でも
「君は君で幸せに」
私の想いは届かない。
あの時届いていれば違ったのだろうか。
建国記念日の舞踏会。
王子と二人で庭園の東屋で休息を取っていた。
誰もいない静かな夜空の下、王子は切り出した。
「父上が来年には譲位したいそうだ。余生を謳歌するらしい」
つまり来年には王子が即位するという事。
それは、王子の結婚も意味する。
「まだ内々の話だが、婚約者である君は知っておくべきだからな。準備はこちらで手配するから、心配はいらない」
本当に私と結婚してくれますか?
婚約者なんて肩書きすらも怪しくなった私と?
「君は、どうしたい?」
今なら、まだ間に合うの?
私の言葉は王子に届くの?
ううん
今しかない。
二人っきりの今しかないのだ。
でも
「殿下!」
今、一番聞きたくなかった声に振り向く王子。
その事に一瞬絶望してしまった私は、声も、手も、遅れてしまって。
伸ばした爪先は空をかいて。
「私、やっぱり、私はっ、殿下の事が好きです!」
やっぱり私は、届かなかった。
それよりも前に届いていれば、もっと違っていたのだろうか。
「お嬢様がいっぱい悩んで選んだんですから、絶対殿下もお喜びになりますよ!」
侍女にそう勇気づけてもらって、私は王子の部屋へ向かう。
緊張で心臓は高鳴り、手足は少し震えた。
今年は今までよりもずっと考えて考えて、自分の足で色々な所を回って、最終的には職人の方達と一緒に額を突き合わせて作ってもらった。
王子が普段から愛用している物には劣るが、王子の事を考え、長時間使っても疲れづらいようなるべく軽く、そして持ち手の部分に持ちやすい様に窪みをつけた万年筆。
結果的に装飾は控えめになってしまったが、妥協しなかった分、実用的な良い物となった。
上品な箱に入れ、綺麗にラッピングされたそれを大切に持ちながら王子の部屋の前に辿り着く。
一息ついて、ノックしようとしたその時だった。
「殿下、お誕生日おめでとうございます!」
中から聞こえて来た、甘いいちごの様な声。
普通なら、こんな所で聞くはずのない声。
「プレゼントはこのケーキです。殿下のために頑張って作りました」
それが聞こえるという事は、王子が部屋へ招いたの?
血縁者でも、婚約者でもない、女性を?
「美味しいですか?えへへ、よかったです」
そっと、少しだけ扉を開けて隙間から見えたのは、嬉しそうに笑う可愛らしい令嬢と、幸せそうにケーキを口に運ぶ王子。
「とても美味しいよ。ありがとう。今日は人生で一番幸せな誕生日だ」
そんな笑顔なんて、初めて見た。
もしかしたら、私のプレゼントでも見せてくれただろうか。
でも
きっともう、私では「一番」にはなれない。
冷たいのは手の中のプレゼントか、それとも私の手か。
結局手渡せなかったプレゼントは、他人事の様に人伝に贈った。
ああ、今度も届かなかったんだ。
あの頃には、もう手遅れだったのだろうか。
「聞きました?王子のお話」
「ええ、王子が田舎令嬢にご執心ってお話でしょう?」
「沢山いる令嬢の中からどうしてあの令嬢だったのかしら」
「礼儀もなってない、学もない、田舎娘の癖にねぇ」
「そこが良いのではないかしら?殿方は物を教えるのがお好きでしょう?」
「それに、見目だけは良いものねぇ」
「そうね。婚約者よりはずっと可愛らしいもの」
私がいる事を知っても知らなくても、聞こえていてもいなくても。
絶えず耳に目に入る。
王子の隣にいる令嬢。
噂のいちごみたいな愛らしい令嬢。
私よりも可愛い。
いつも笑顔で、感情豊かで、元気良く、物怖じしない、女性。
人々は王子のスキャンダルを噂し、令嬢をこき下ろし、私を気遣ってみせるその影で、私を嘲笑う。
私がとやかく言われるのはいつもの事。
でも、王子の評判を悪くするのは良くない事。
「君の言いたい事はよく分かった」
その事を王子に進言すれば、王子は耳を傾けてくれた。
でも
「だが、学園は身分が適応されない場だ。ただのクラスメイトが仲良くしているだけでその様な邪推をする者達など放っておけ」
そんなしきたりは建前だ。
学園は国の縮尺図。ただ肩を並べて学ぶ場ではなく、身分に応じた常識的な礼儀を実践し、社会に慣れる為の場。
それくらい知っているはずなのに、どうして?
「今の貴族は身分の低い者を扱き下ろす風潮が強過ぎる。だから私が身分が低い者にも等しく対等に接する事でその思想は誤りだと示しているんだ」
そう言われてしまえば、納得せざるを得ない。
確かに彼女はクラスメイトの中では一番身分が低い。
それにより、はじめは理不尽な誹謗中傷があった事も事実だから。
「君も将来私の隣に立つと言うのなら、相応しい振る舞いをしたまえ」
相応しい振る舞いとは何ですか?
婚約者がいるのに他の女性と手を繋ぎ、胸に抱き、瞼に口づけを落とす事は、相応しい振る舞いなのですか?
私の呟きは、王子には届かなかった。
もしかしたら、はじめの時点で未来は決まっていたのかもしれない。
「きゃあっ」
「!危ないッ」
王子と歩いていた横の階段から落ちてきた人影。
王子はそれに素早く反応し、私の前に出て落ちて来た人を受け止めた。
いくら鍛えていれど落ちて来た人間を受け止めたのだ。王子を心配し、声をかけようとして手を伸ばす。
「君、大丈夫か?」
「は、はいっ、ごめんなさい!顔がおキレイですね!」
受け止めた人間が令嬢である事を確認し、王子が声をかけた。
王子の腕の中、そうと気づいて気が動転した令嬢は真っ赤な顔で叫んだ。
「ぷっ、あはは、何だそれは」
その頓珍漢な返答に、気の抜けた笑いを漏らした王子に、私は目を釘付けられた。
王子のそんな笑いは、初めてだった。
それに、釘付けになっていたのは私だけではなくて。
「王子様って、笑うととっても優しそうなんですね」
ふわりとしたその笑顔は、私でも見とれるくらいに可愛くて、
「···そんなに私の顔は冷たいかい?」
王子が凄みを増した笑顔で令嬢をからかい、令嬢は必死になって弁解をする。
令嬢の可憐な笑みに見とれた王子も、いつまでも令嬢を腕から下ろそうとしない王子も、令嬢と楽しそうに話す王子も、私は、横でずっと見ている事しか出来なかった。
王子と出会ってから今までで、初めて見た王子の姿だったから。
届かなかった手は、小さく自分のドレスの裾を掴んでいた。
あの時、あの時と、いくら思い出しても私は届かない。
あと少し、せめて爪先だけでも届いていれば、何かが変わっていたのだろうか。
礼儀を捨て大胆にすれば、届いたのだろうか。
手料理をしていれば、届いたのだろうか。
声を大にしていれば、届いたのだろうか。
私がもっと可愛ければ、届いたのだろうか。
いつだって、私は届かない。
私の爪先で、恋が始まり、恋が深まり、恋が実る。
私の恋は爪先ほども届かないのに。
今もまた、私の爪先で二人が幸せそうに笑っている。
お揃いの純白をまとって。
貴方は私とでは、笑えませんか?
貴方は私とでは、幸せになれませんか?
貴方はいつまで私と一緒になるつもりがありましたか?
貴方はいつから私を切り捨てたのですか?
貴方は、届いたのなら、私の想いを受け止めてくれましたか?
今もまた、届かない。
手を伸ばせば届きそうな距離なのに。
手を伸ばしても、爪先の向こうにいる貴方には届かない。
もう二度と。
いや
はじめから。
この爪先さえも届かないのなら。
貴方の前から消えてしまおう。
私の願いが届かぬように。
私の想いが届かぬように。
私の言葉が届かぬように。
私の爪先が届かぬように。
爪の先ほども、残さぬように。
お読みいただきありがとうございます。
後日、別視点のお話を上げます。
悲恋ばかり書いているので、次作はハピエン風を目指しました。
最終的に悲恋なのは確定しているので、あくまで「風」となりますが。
いつか王道の様な完全ハピエン物語も書いてみたいものです。