紫龍の目的
「ここか」
手紙に指定されていた、森の前に着く。
月は既に上空で輝いているが、周囲に気配は感じない。森の中に来い。そういう事だろう。
「……念のため、スキルは常時発動しておくか」
森へと入る前に、準備は怠れない。
「【鉄壁】……【絶対防壁】【反撃】」
少しだけ悩んだが、【絶対防壁】も発動させた。
もし相手が俺の防御を超える攻撃を放ってきたら体力がマズイが、防御十倍でも貫通されるならどの道勝ち目は無い。
「……どこだ?」
闇に包まれる森林に足を踏み入れ、ゆっくりではあるが確実に奥へと進む。
「……あそこか」
視界の先。森の中で、そこだけがぽっかりと不自然に広がる空間。その空間の更に奥から、何か巨大な物体がこちらを睨んでいた。
あれが恐らく、紫龍。
『少し、遅かったな』
物体から、声が上がる。やはり間違いないようだ。
「月が真上に来た時には、ちゃんと森に着いていたさ」
『……そうか、森の入り口からここに来るまでを計算に入れてなかったな』
声は聞こえるが、物体が動く気配はない。ーーそうか、あれは。
「それより、姿を見せてはくれないのか?」
色を冠した名前を持つ使龍達は、その色によって特徴がある。
炎を操るのが赤龍なら、紫龍が扱う魔法は。
『……気づいていたか。流石だ』
目の前の物体が消え去り、ただ何もない空間だけがその場に残る。
紫龍の操る魔法は、幻。
『だが、すまないな。呼び出しておいてなんだが、我はまだ貴様を信用している訳ではないのでな』
幻覚から声を出す必要が無くなったせいか、声は森の周囲全体から聞こえるようになる。自分の居場所を悟られたくない、そう言う事だろう。
「それは、お互い様だと思うが?」
『ふふ、そうだな』
俺が口を釣り上げ、嫌味な笑みを浮かべると、紫龍も釣られるように笑う。
「目的はなんだ?」
しかし、ここに呼び出した理由はこんな談笑を繰り広げる為ではないはずだ。
『……取引だ』
少しだけ悩むような素振りを感じた後、紫龍はゆっくりと理由を語った。
「取り引き?」
『そうだ。我がここで行っていた本来の役目は、赤龍の監視と非常時の報告』
やはり、あの戦いは覗かれていた。という事か。
「……」
しかも、ミオンの索敵外からの監視だ。恐らくこいつは、赤龍よりも強い。
『今日、赤龍がお前に倒された事を我は四天王に報告しなければならない』
そんな事をされたら、魔王はともかく四天王には目を付けられる可能性がある。
謎の誰かが赤龍を倒した。と言うのと、赤龍を倒した奴は分かってる。だから警戒しよう。では意味合いが全然違う。
「……させると思っているのか?」
一気に警戒の色を強くし、臨戦態勢に入る俺を。
『落ち着け』
紫龍は一言、そう制した。
『これが、取引の内容だ』
「……?」
意味がわからず混乱する俺に、紫龍は構わず話を進める。
『我は今日、報告をせず行方を眩ませる』
「どういうことだ?」
『本来あの町には、赤龍を倒せる戦力なぞ存在しない。その前提で、四天王が送り込んだ刺客だ』
「……だろうな」
だからこそ前回の世界では、あっさりと壊滅したんだ。
『そこで赤龍が、町にいた謎の人物に倒され、我は行方知れず。そうなると四天王はどう思う?』
その問いに、少しだけ考える。
「……お前が裏切った。そう考えるだろうな」
予想外の戦力に、監視役に徹していた紫龍を含む二体のドラゴンがやられるとは向こうも考えないはず。
『そうだ。お前が、我の条件を飲むのなら、我は魔王軍を裏切ろう。どうだ?』
……悪い提案ではない、そう思う。恐らく信用も出来る。他でもない、紫龍が言うのだから。
「……条件はなんだ? それ次第だな」
しかし、それを聞かなくてはおいそれと返答することは出来ない。
『魔王軍、および魔王討伐後の安寧の保証……それだけだ』
紫龍の語る条件は、それだけだった。
「……何故裏切るんだ?」
安寧が欲しいと奴は語った、だが。
「それなら、魔王の元に居ればいいじゃないか。そこにいれば、安泰だろう?」
裏切れば、確実な死が待っている。
それよりは、魔王の元にいた方が十分安全ではないのか。
『安泰……? 安泰だと?』
俺の発言に、今まで冷静に喋り続けていた紫龍の雰囲気が、変わった。
『奴は……奴等は! 誇り高き我ら龍を! 道具としか思っていない!』
周囲の森林が怒声に震え、地面までもが微かに揺れている。
『もし貴様らと戦争になれば、我らは真っ先に前線へと立たされ四天王共の無茶な命令で死ぬことになるだろう!』
……確かに、前回の世界では殆どの使龍達が、勇者パーティーである俺たちに狩り尽くされたな。
『殺すことが好きな奴! 魔王の恐怖に屈した者は好きにすればいい!』
次第に声が、怒りから、悲痛な叫びへと変わっていく。
『だが……我は――!』
「もういい」
俺の一言で、周囲にはようやく静寂が戻る。
『ぐっ……すまない、熱くなってしまった』
「いいさ」
深呼吸をするかのような音が響き、紫龍は落ち着きを取り戻したのか声音が戻る。
『……死ぬのなら、奴等に一矢報いたい……。そしてもし、万が一魔王に勝つことがあれば、今度こそ安寧に暮らしたい。それが、裏切る理由だ』
「……そうか」
それが……理由か。恐らく、あの時もそうだったのだろう。
『それで、どうする』
提案を拒む理由は、もう俺には無くなっていた。
しかし、一つだけ気になることがある。
「もしお前が裏切ったとして、お前を四天王が探しに来たらどうする」
それが原因であの町を探られ、赤龍を倒したのが紫龍ではないとバレる可能性も十分にある。しかし。
『……それは、ないだろうな』
少しの沈黙の後、確信するように紫龍はそう言った。
『奴等は、基本的に我らを舐めている。謎の人物が赤龍を屠った。と言う理由なら、調査ぐらいはするだろう。だが、我が裏切ったと思ったら動かんよ』
自分の部下が裏切って、調査すらしない。そんなことがあるのか。
「そんなもんなのか?」
『そうだ』
それだけ、使龍という存在は舐められている。そういう事か。
「……」
俺は少しだけ考えて。
「いいだろう」
紫龍の提案を、飲むことにした。




