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英雄の失墜

やらかしのツケが回ってきました。

 死者の世界、冥界を統べる王。

 冥王ハデスは厳めしい表情を保っていましたが、内心呆れ果てておりました。


 人生の酸いも甘いも噛み分けた分別盛りの50男、しかも一国を統べる王たる者が二人もやって来て、何を言うかと思えば

「お宅の()()()()を僕に下さい!」。


 全くもって意味が分かりません。

 神を舐めているんでしょうか。

 いや仮に神でなく人間相手でも「お前の嫁を寄越せ」は許される話ではありません。


 これが他の神だったら即座に怒り、その場で二人を殺していた事でしょう。

 しかしハデスは神としては珍しく、思慮深く落ち着いた性格でしたので少なくとも表面上は冷静なまま、


「まあ、とりあえず座るがいい」


 と二人に椅子を勧めました。



「じゃあ遠慮なく」


 と用意された椅子に二人が座った、その途端。


 テセウスとペイリトオスの眼から、知性の光が消えました。

 呆けたような表情で力なく椅子に腰掛けたまま、動かなくなりました。


 実はこの椅子は「忘却の椅子」と呼ばれる不思議道具で、座った者は全てを――――冥界へ来た目的ばかりか己が何者なのかさえ、忘れてしまうのです。


 これは畏れ多くも冥王の妃掠奪を企てた痴れ者へ、ハデスが与えた罰でした。

 あの浮気しまくり種馬野郎ゼウスですら、妻ヘラに言い寄った男には容赦なく制裁を加えました。愛妻家のハデスが妻を奪おうとする不届者を簡単に許すはずがありません。


 もはや置き物状態のテセウスとペイリトオス。

 だらしなく半開きの口から時折「あー」「うー」と呻き声を漏らすだけの存在に成り下がりました。


 ハデスは彼らを放置しました。

 助ける気は無いので永久にそのままです。



 テセウスが冥界で呆けている間に、スパルタからヘレネ救出部隊がやって来て、アッティカ地方(アテナイを含む周辺地域)へ攻め入りました。彼らはアピドナイの城に隠されていたヘレネを見つけ出し、テセウスの母アイトラと共にスパルタへ連れ帰りました。

 アイトラは捕虜という名目でしたが、すっかりヘレネ信者と化していた彼女は自ら望んで奴隷(この場合は召し使い・ばあや的ポジション)になり、この後も長くヘレネに仕えました。

 一説によれば、後に婿を取ってスパルタ王妃となったヘレネをトロイアの王子パリスが口説いた際、夫を捨ててパリスに付いていく事を勧めたのはアイトラだと言われています。婆ちゃん、そこであなたが止めときゃトロイア戦争は回避できたんじゃないっスかね……。




 さて。

 それからどれ程の時が経ったのでしょう。

 考える事すら忘れたテセウス達には分かりません。


 けれども、そんな永遠とも思われた時間は、意外な来訪者によって終わりを告げます。



 ある日、冥界に珍しく客がやって来ました。

 不死身の英雄ヘラクレスです。

 件の『お仕事』の12番目、一番最後の偉業が「地獄の番犬ケルベロスを連れてくる」であったため、ケルベロスの飼い主であるハデスの了承を得ようと訪れたのです。


 玉座のハデスから「傷つけたり殺したりせず、優しく扱ってくれるならイイよ」と許可されたヘラクレス。

 さあ行こうかと踵を返し、ふと横を見ると、なんだか見覚えのある顔が二つ並んでボケーっとしています。


「テセウスとペイリトオスではないか。こんな所で何をしている」


 部屋の隅で椅子に座ったまま動かない二人を見て、ヘラクレスは彼らの手を引いて椅子から立ち上がらせました。


「――――はっ! 俺は、一体何を…………………」


 運良く忘却の椅子から解放された二人。

 この時、ヘラクレスはテセウスだけを助け、ペイリトオスは放置されたという説もあります。何か恨みでも買っていたんでしょうかペイリトオス。



 ようやく置物状態を脱したものの、さすがに今更ペルセポネをどうこうする気力も無くスゴスゴと退散したテセウス。

 地上へ戻り久しぶりに太陽を拝みました。

 さあ、長いこと留守にして放ったらかしだったアテナイへ戻りましょう。



 ―――しかし、アテナイにもはやテセウスの居場所はありませんでした。


 今や民衆にとってテセウスは、思いつきで他国の幼い姫を誘拐して争いの種を撒き、その後は失踪して国を放置し、攻め込まれた際に国や民を守りもしなかった暗君。

 とうの昔に王座は他の者に奪われ、母アイトラはヘレネと共にスパルタへ連れ去られ、亡き妻パイドラの遺した二人の息子アカマースとデーモポーンは他国へ追放されていました。

 誰もが「今更何をしにノコノコ戻ってきたんだ」と言わんばかりの視線を向けてきます。というより油断したら殺されます。

 テセウスは失意の内にアテナイから逃げ去る事しかできませんでした。




 アテナイを追われたテセウスは、エーゲ海に浮かぶスキュロス島の王リュコメデスの元へ身を寄せました。

 リュコメデス王は『アキレス腱』の語源として有名な英雄アキレウスの養父として知られています。


 アキレウスの母である女神テティスは予言の力を持ち、トロイア戦争へ参戦すると我が子が必ず死ぬ運命にあると知りました。そこで幼い彼をリュコメデス王に預け、女装させて女の子として育てさせたのです。

(なかなかの美少女っぷりだったそうですが、ギリシャ軍の知将オデュッセウスに女装がバレて結局引っ張り出されました。)



 アキレウスを快く養育してくれたことからも察せられる通り、リュコメデス王は決して「悪い人」ではないのです。テセウスのような派手さはないものの、安定した治世を敷く穏やかな人物であったと思われます。


 しかし、老いと共に視野が狭くなったのか、疑り深くなったのか。

 亡命直後は良好だったテセウスとリュコメデス王の関係に、だんだんと不穏な気配が漂い始めました。


 良くも悪くも地味なリュコメデスに対して、テセウスは腐っても英雄だけあって、常人にはないカリスマ性がありました。数々の華々しい武勇伝、老いに差し掛かっても尚衰えぬ逞しい肉体、歳を重ね渋みの加わった美貌。

 晩年のやらかしにさえ目を瞑れば、テセウスは伝説の英雄であり素敵なイケオジなのです。


 ろくな情報伝達手段のないこの時代に「周辺国の庶民にまで名を知られている」というのは凄い事です。

 今で言うなら元オリンピック金メダリストとか、かつて一世を風靡した伝説の元アイドルがド田舎に移住してきた位のインパクトはあったでしょう。そんなのを島民が放っておくはずがありません。


 スキュロスで皆から好意的に受け入れられ、足場を着々と固めてゆくテセウス。

 そんな彼を見ていたリュコメデスの胸に、ふと不安が芽生えました。


「―――まさかテセウスは、このまま支持者を増やし、スキュロス王の座を奪おうとしているのではないか―――?」


 敗走してきたとはいえ元英雄だからめっちゃ強そうだし、島民にもやたらモテてるし。もしかして島のみんなもワシみたいな地味な王じゃなくて、ああいう支配者オーラ溢れるタイプの王を求めているの?ワシ今までそれなりに頑張ってきたよ?あんまりじゃね?ってかワシだけじゃなく息子達の命までかかってんじゃん!ヤバくね?


 一度疑い始めてしまうと、もうダメです。

 リュコメデスには、テセウスのあらゆる言動がスキュロス乗っ取り作戦の布石にしか見えなくなりました。

 疑心暗鬼のドツボに嵌まり、どんどん自分で自分を追い込んでゆくリュコメデス。遂には「殺られる前に殺るしかない」という所まで追い詰められました。


 一方テセウスは「なんか変だな~」程度の違和感は感じていましたが、まさかリュコメデスに殺意まで抱かれているとは思いません。

 なので特に警戒もせず、リュコメデスに誘われて崖の上までやって来たのです。


 そこで、リュコメデスはテセウスを崖から突き落としました。

 いかに剛力を誇る英雄とはいえ、テセウスは半神などではなく単なる人間ですから、崖から落とされては流石に助かりません。


 かつての敵でもなく、アテナイからの追手でもなく、亡命先で頼った相手に殺されて英雄テセウスはあっけなく散ったのです。



 胸踊る冒険と輝かしい栄光に溢れた人生の前半に対し、歳を重ねるごとに残念さが増した後半。児童書には載らない英雄の半生は、なかなかにしょっぱい物でした。








テセウスの話はこれにて終了です。

お読みいただきありがとうございました。

後日、おまけでダイダロスについて投稿予定。

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