表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/11

英雄のやらかしと帰還

ダメ男の本領発揮。

 クレタからの帰還途中、テセウス一行はキクラデス諸島のひとつ、ナクソス島へ立ち寄りました。

 この島はちょうどギリシャ本土のアテナイとクレタ島の中間辺りに位置しており、神話においては主神ゼウスが幼少期を過ごした島としても知られています。


 ここでテセウスは驚きの行動に出ます。

 なんと、ナクソス島にアリアドネを一人置いたままサッサと出航してしまったのです。


 曲がりなりにも一国のお姫様を、自主的な駆け落ちとはいえ拐うように連れ出した挙げ句、ひとりぼっちで見知らぬ島に置き去り。鬼か。

 人でなしの謗りは免れないでしょう。


 この「アリアドネぽい捨て事件」には、


 ・長い船旅の中で妊娠したアリアドネの悪阻が酷くて足手まといだった説


 ・敵国の姫を連れ帰って妃にする事で引き起こされる混乱を忌避した説


 ・島にいた酒神ディオニュソスがアリアドネを見初め、テセウスに譲ってもらった説


 など諸説ありますが、ミノタウロス討伐の恩人アリアドネをテセウスがあっさり手放した点だけは共通しています。

 特に悪阻説では孕ませた上で捨てていくテセウスの鬼畜っぷりが際立ちます。英雄のはずなんですけど。



 この後、なんやかんやでアリアドネは酒神ディオニュソスの妻の座に納まります。


 ディオニュソスは葡萄酒の醸造技術を広めた豊穣の神であり、酒がもたらす酩酊と狂乱を司る神です。バッカスという別名の方が知られているかもしれませんね。「地上のゼウス」とも呼ばれ、悲惨な生い立ちのせいで狂気に囚われており、多くの狂信者を抱える教祖様でもあります。

 そんなのに娶られてしまったアリアドネ。ポイ捨て英雄の次はヤンデレ系神様。男運の悪さに同情を禁じ得ません。


 この悲劇「ナクソスのアリアドネ」は芸術家のインスピレーションを刺激するらしく、物語や絵画、オペラ等、多くの芸術作品の題材となっています。

 美青年のディオニュソスが悲嘆に暮れるアリアドネを優しく慰め愛を乞うパターンから、酒臭くて脂ギッシュな中年ディオニュソスにアリアドネが手篭めにされるR18パターンまで様々ですが、ここはアリアドネの幸せのためにも、せめて酒神イケメン説を支持したいものです。



 仮にも結婚の約束を交わした女をサクッと捨てたテセウスの一行は航海を続け、ついに陸地が見えてきました。目指すアテナイまではあと少しです。

 勝利と帰還の喜びに沸く船内はお祭り騒ぎ。

 しかし、テセウスも他のメンバーもテンションが上がりすぎて、“あの約束”の事をコロッと忘れていました。




 一方その頃、アテナイではアイゲウス王が毎日、城壁の上から海を眺めては船の帰還を待ちわびておりました。


 跡継ぎの無かったアイゲウス王が初めて得た「息子」。逞しく健やかな若者に育った我が子は、老いの域に差し掛かった彼にとって唯一の希望でした。


 そんなある日。

 水平線にぽつりと船影が現れました。遂に船が戻ってきたのです。

 港はたちまち大騒ぎになり、水夫達が船を受け入れる準備を始めます。

 しかし船の姿が少しずつ大きく鮮明になっていくにつれ、ざわめきは静まり、やがて港は深い悲しみに包まれました。


 遠目にもよく目立つその帆の色は、紛うことなき漆黒。


 首尾よくミノタウロスを討ち果たしたならば白い帆を揚げて帰ってくるはずの船が、生贄の悲しみを表す黒い帆のままで帰還した。

 それは即ち――――――


「おぉ…………テセウスよ……………………」


 我が子の死を悟った(と勘違いした)アイゲウス王は、ふらふらと城を彷徨い出て、海辺の崖へと向かいました。

 そして絶望に染まった瞳で黒い帆の船を見つめ、そのまま青い海へと身を投げたのです。


 まさかの国王投身自殺。


 気持ちは分かるが、せめて船が到着するまで待てなかったのか。

 早とちりで衝動的に行動するのは一国のトップとしてどうなのか。

 側近とか侍従とか止める奴は居なかったのか。曲りなりにも王様なんだから野放しにすんな。


 ……等と言いたい事はたくさんありますが、テセウスのうっかりミスがとんでもない悲劇を生んだのは間違いありません。


 一説によれば、エーゲ海という名称はこの海へ身投げしたアイゲウス王の名に由来するそうです。



 そして、王子様死亡のお知らせからの王様自殺コンボで大騒ぎの中、黒帆の船が帰港。

 船から元気いっぱいな王子テセウスが降りてくるに至り、港も城も更なる大混乱に陥りました。



 驚いたのはテセウスです。

 意気揚々と凱旋したら、直前にお父様が自殺したというじゃないですか。

 しかもその原因は帆の色。



「……あ。

 帆、張り替えるの忘れてた…………」


 テセウスは真っ青になりましたが、今更どうにもなりません。

 とりあえず必死になって混乱を静めた後、アイゲウス王ただ一人の息子として王位を継ぎ、アテナイを治める若き王となったのです。



 で。

 この、テセウスがうっかり黒い帆のままノコノコ帰ってきてしまった船こそが『テセウスの船』な訳ですが。


 ……これ「よし、記念に保存しよう!」ってなりますか?


 確かにミノタウロスとクレタからの解放を象徴する物ですが、国王を自殺に追い込んだ縁起の悪い存在でもあります。王様の自殺がワンセットになった『勝利の象徴』を記念品扱いするのは不謹慎だし不敬じゃないんでしょうか。愚王だったならまだしもアイゲウス王は慕われていたようなのに。

 なんでこんなモノを保存しようなどと思ったのでしょう。しかも小さい物じゃなくて帆船まるっと一隻。場所も手間も必要で非常に面倒くさいはずです。


 もしやこれは、徳川家康があえて敗走時の情けない姿を描かせ自己への戒めにしたとされる「しかみ像」のように、この船を見る度に凡ミスが父親の命を奪った事実を思い出して噛み締めろ、というテセウスへの罰なのでしょうか……。




テセウスの冒険譚はここで終わる事が多いのですが、もうちょい続けて彼の晩年の暴走にも触れたいと思います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ