始まりの目覚まし時計は壊れてしまったけれど。
だってさ、コーヒーは熱いし、春巻きは美味しい。それなら、一年は長いし、1日は短いじゃんね。そんなもんなんだって、人生なんて。青春なんて。
私の名前は春。朝日春。気軽に話しかけてくれていいよ。ついにはこの毎日の主人公かも知れないけど、まあ、どうせ大したことなんか起こらない毎日だし、大したことくらいしか起こらない毎日だから、脇役でも良いのにね。
そう、そういえば、目覚まし時計が壊れたんだった。今朝の話ね。それで、遅刻してしまった。だからこうやって、わざわざ放課後に買いに来てる訳だ。私は目覚まし時計を買うし、目覚まし時計は私に買われるし、その間に企業があるし、それだけの放課後。
そう考えると、「放課後」という時間は、次の日の目覚まし時計が鳴るまでと考えて良い。別にそう考えなくても良いが、考えても良い。なので世界で一人だけ朝日春はそう考えた。他の人は多分考えてない。
「あー」
その日の第一声がそれだった。午前中とかに、いくらでも声を出す機会はあっただろうに、ずっと色々考えてたせいで(もしくは何も考えてなかったせいで)、放課後の今まで何も喋らなかったのだ。そう考えると、なんだか凄くもったいないことをしたような気がして、例えば隣の席の奈々子ちゃんとかに話しかけておけば良かったと、先に立たない後悔をした。
あー、今から奈々子ちゃんに会って、なんか話したいなあ。例えばわからないこととかについて。あの数式の解き方から、地球の裏側のことから、宇宙の表側のことまで。喋ってるうちに疲れて眠ってしまいたいなあ。そして、そうだ、私は目覚まし時計を買いに来たんだった。ここは百均。家具屋で買う程の金はない。
私は目覚まし時計を探した。よく考えたら、電池も買わなければいけないなあとか考えて電池も探したが、百均には目覚まし時計しか無いらしい。
うーん、電気屋にも行かないと、と、思案している私は、視界にとある人物を捕らえた。奈々子ちゃんだ。奈々子ちゃんが、クッションのコーナーを見ている。
やった。これは、完全に「話しかけるべきタイミング」だ。そういう運命だ。今日は多分、最初からそういう日だったのだ。きっと今、外の世界の信号機は全て青になっている。地球はそうして今日も青い。
「なーなーこーちゃーん」
私は、今日の第二声で後ろから声をかけた。背後から忍び寄ってなんの警戒もしていない奈々子ちゃんに、なんの変哲もない声をかけるとは、なんて非道なことを。
「え、ああ、春ちゃん。おはよう」
予想外の薄い反応。もっと驚くかと思ったのに。というか、今はおはようではない。そう思った。
「というか、今はおはようではない」
そう思ったので、そう口にした。
「え、あー、夜だから、こんばんはかなぁ。夜と言うには、夕方だけどね。春ちゃん、どうしてこんなところに?」
奈々子ちゃんは、少し茶色の入ったボブヘアーの先を触りながら、私が先に聞きたかったことを私に先に聞いてきた。
「放課後終了合図機が壊れたから買いに来ただけー」
私も負けじとそれなりにロングなヘアーの先をいじりながらそう答えた。
「なにその消火器みたいなの。百均に売ってるの?欲しいー!」
奈々子ちゃんは、謎の期待で目をキラキラさせている。そもそも消火器みたいの意味がわからない。
私は、持っていた目覚まし時計を見せた。奈々子ちゃんは、「おおー」と言いながら観察したあと、「目覚まし時計時計だ!」と、時計を二回言いながら頷いた。
「で、奈々子ちゃんの方は、どうしてここに?クッション見てるみたいだったけど」
「私はねー。クッションと一緒に寝たかったのです」
そう答えた後で奈々子ちゃんは、「あ!」と、何かに気がついたような声を出して、目覚まし時計とクッションを重ね合わせた。そして、満足気な表情でこちらを見てきた。
「え、あ、はぁ。つまり、どういうこと…?」
私は、至極当然(だと思われる)質問を返した。私の理解力が追い付いてないだけなのだろうか。
奈々子ちゃんは「え?」という顔をして、「うーん」という顔をして、「しょうがないなあ」という顔をした。
「つまりね、クッションという寝るための道具と、目覚まし時計という起きるための道具を重ね合わせて、この世の真理を作り上げたわけです」
そういうことらしい。この世の真理とは、二百円と消費税があれば作れるらしい。まあ、冷静に考えたら、案外そんなもんかも知れないなと思わなくもなかった。
奈々子ちゃんは、私に目覚まし時計を返すと、クッションを一瞬眺め、「よし、これにしよう」と言った。ついでに、「春ちゃんも、それにしよう」と言った。世界の真理セットだ。
私達はレジに並び、私、奈々子ちゃん、の順番で会計を済ませ、帰路についた。帰路につこうとした。だが、奈々子ちゃんが、とある提案をしてきた。
「春ちゃん、私達は、この、今回買った物が、ありますね?」
「え、あ、はい。ありますが」
「これらは、家に持って帰ってしまうと、もう完全に、その家の物っぽくなります」
「あー、まあ、うん」
「つまり、家に持って帰る前に、せっかくなので、これらの物を持って、旅をしてみませんか?」
奈々子ちゃんが変なことを言い出した。しかしまあ、言いたい事の意味はわかる。
「要するに、まだなんとなく家に帰りたくないのね」
「ううー、春ちゃん、それは、そうなんだけど、ストレートに言うのが恥ずかしいわけで…」
何がどう恥ずかしいのかわからないが、世の中わからない事の方が多分多いので、「そんなもんなんだなあ」くらいに思っておくことにした。
奈々子ちゃんは、家に帰りたく無いらしいが、かといって多分、目覚まし時計とクッションを使う機会なんて外に居てもない。というか、目覚まし時計はまだしも、外でクッションを使うのは、なんだかせっかくのクッションが汚れてしまいそうで気が引ける。なので、
「奈々子ちゃん。私は、奈々子ちゃんと、もう少しだけ放課後を過ごしたいな」
と、言った。普通に過ごしたいのだ。
「え、は、春ちゃん、それさ、何て言うか、言ってて照れたりしないの?」
「え?めっちゃ恥ずかしいけど?」
「ふわー、今日このあとクリームソーダ奢るねえ…」
謎の契約が成立した。